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2997. 淀みない創造に向けて


時刻は午後の四時を迎えた。つい先ほど、“Education Towards Freedom: Rudolf Steiner Education: A survey of the work of Waldorf Schools throughout the world (2008)”の一読目を終えた。

本書は本当に実りのある内容が詰まっていた。随所にシュタイナー教育で行われるアクティビティの写真が掲載されており、中でも生徒たちの絵画作品に多大な感銘を受けていた。

あの独特な色使い。それはどこか、オディロン・ルドンの色使いを彷彿とさせる。

驚いたことに、小学校に入ったばかりぐらいの年齢の子供たちの絵にある種の感動を引き起こす力が宿っていることに気づかされた。それはもちろん技術的な巧みさによって生み出される感動というよりも、魂の躍動から生み出される造形性がもたらす感動だと言える。また、魂の躍動の過程が様々な色になって現れ、それがまた感動を引き起こす。

昨日にもシュタイナー教育に関する書籍がもう一冊届き、書斎の机の右隅には合計で三冊ほどシュタイナー教育に関する書籍が積まれている。明日からも少しずつシュタイナー教育に関する理解を深めていきたいと思う。

空はすっかり晴れ渡り、今は太陽が力強く輝いている。昼食前に近所のスーパーに買い物に出かけ、帰り道にふと、自らの作曲実践について振り返っていた。今日は今現在すでに二曲ほど曲を作り、夕食後にまた一曲作ろうと思う。

今は基本的には毎日三曲ほど曲を作ることが習慣になっている。だがそこで作られる曲は、常に過去の偉大な作曲家の曲を参考にしたものである。

作曲に関しては当然今は修練の時期にあるため、日記のように内側のものを淀みなく表現していくことはまだできない。日記においては、創造の源泉は常に自分自身の内側にあり、常に自分の生活の中にある。

しかし、作曲においては、創造の源泉がどこかまだ過去の作曲家の中にあるように思えて仕方ない。この感覚がまさに、今の自分は型の習得の時期にあるということを示しているように思える。

型の習得をこれから何年かかけて行い、強固な型を習得する。そこから自分独自の作曲語法を確立したい。それが実現されて初めて、淀みなく曲を創造できるような気がしている。

また、その時になって初めて、曲の創造の源泉は自分自信の内側にあり、日々の生活が曲の生成を後押ししてくれることになるだろう。創造活動とは本当に日々の生活の営みなのだ。

生きることと創造行為を切り離してはならない。両者は不可分に結びついており、相互互恵関係を結んでいる。

生きることは創造活動に影響を与え、創造活動は生きることに影響を与える。そして、両者は限りなく一なる存在の方向に向かっていく。

内側から激流が流れ出すかのように曲を作る日はいつかやってくるだろう。今はその実現を焦るのではなく、とにかく作曲技術の土台を築き上げていく。

自らの作曲語法を確立し、作曲実践が日々の営みと同一のもの、つまり生きることそのものに他ならなくなった時、私は自分の内なる創造の源泉に触れながら絶えず曲を作り始めるだろう。

そのようなことを買い物からの帰り道に考えていた。気づいた時、私は自宅のドアの前にいた。フローニンゲン:2018/8/17(金)16:26

No.1240: Lovely Flowers in the Sky

The sky looks as if there were a number of lovely flowers there.

I hope that I’ll be allowed to pick one flower with which I want to make today’s fulfilled. Groningen, 09:35, Wednesday, 9/19/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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