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2967. 死都に向かう首都


今日は激しい天気雨が時折降り注ぐ不思議な一日だった。現在の時刻は午後の五時を回り、辺りは穏やかさを取り戻している。

西日がまぶしく耀いている。午前中、書斎の窓の外を眺めると、小鳥たちが庭に植えられた木々に止まってひと休みしていた。

小鳥たちの様子を眺めていると、この世界は愛らしい生き物で溢れていると改めて思った。木々に止まって休む姿もそうだが、頭をキョロキョロと動かす仕草なども実に愛らしい。三羽の愛らしい小鳥が木々から飛び去っていくまでずっと彼らの様子を眺めていた。

今日は珍しく家の呼び鈴の設定を修正し、呼び鈴が鳴るようにした。というのも、今日中にシュタイナー教育に関する書籍が三冊ほど英国から届くことがわかっていたからだ。

午後の三時半あたりに呼び鈴がなり、待ちに待った書籍を受け取ることができた。自宅に帰ってすぐに呼び鈴を再び鳴らないように設定し、書籍の梱包を解いた。

今日は夕食後からこれら三冊のうちの一冊を読み進めたいと思う。まずは、“Understanding Waldorf Education: Teaching from the Inside Out (2003)”から読み進めるのがいいだろう。

成人になった自分に対してシュタイナー教育に近しいことを行っていることに先日ふと気づいて以降、シュタイナー教育が成人教育にもたらす意義について考察を深めていきたいと思うようになった。

また、何にも増して、現代という時代の中でシュタイナー教育が果たしうる役割が何なのかについて明らかにしていきたいと思う。それらの主題に対して、芸術教育と霊性教育の観点からアプローチをしていく。

今日のフローニンゲンの静かさにはただただ感謝の念しか持ち得ない。この落ち着きはいかほどだろうか。

フローニンゲンは確かに大都市ではないが、小都市でもない。オランダの中にあっては中規模の都市に該当するだろう。そうした規模を持つにもかかわらず、こうした落ち着いた雰囲気を持っている点に私は惹かれている。

都市文明を長い時間軸で眺めると、首都は軒並み「死都(ネクロポリス)」に陥り、遷都されるという事態を経験するのではないかとふと思った。この文明世界にはもう死都になりかけの瀕死の町が多いように思う。

それは一見すると物質的には華やかなのだが、精神的には頽廃の道を歩き始めている。世界の様々な首都を訪れてみた時に思う妙な胸騒ぎの正体はこの歴史的な力によるものかもしれない。

人が築き上げた都市が頽廃の方向に向かっていく力を感じる。これまでもっとも胸騒ぎを感じた町は東京とニューヨークだ。

その次にロンドンを挙げることができるかもしれない。そこから一二歩遅れたところにパリとコペンハーゲンがある。アムステルダムやオスロなどはさらにその後ろだ。

東京やニューヨークが現在のような形で発達したのはこの数十年以内、せいぜい百年かそこらの時間軸に収まるのではないかと思う。これらの都市は表面的な開発が進んでいたとしても、それは本質的な発達ではなく、むしろネクロポリスに向けた歩みを進めているのではないかと思えてくる。

両都市を訪れた時に感じるあの不気味な感覚の正体とその根源を確かめに、またいつか東京とニューヨークに足を運ぶかもしれない。西日に輝く街路樹の葉を眺めながらそのようなことを考えていた。フローニンゲン:2018/8/11(土)17:23

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