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2927. 人生という贈り物に対する返礼


フローニンゲン大学での二年目のプログラムを終え、まだ一ヶ月も経っていないのだが、再び学術的な探究を旺盛に行っていきたいという強い意欲が芽生えている。芸術教育、霊性教育、美学を教育哲学によって紐付けていくという試みに着手したいという思いが沸々と湧いてくる。

当然それは独学で進めていけるものではあるが、同時にその道の学者の支援を得ながら探究をしていけば、自分だけでは到達できない深みに到達できるのではなかという思いがある。とにかく今年一年は大学機関に所属することをせず、休暇の年とし、独学で諸々の探究を続けていくことは確かだ。

だが、来年はやはり再び大学院に戻り、学び直しを行いたい。「学び直し」というよりも、私はまだ何も学んでいないのだから、再び新たに学ぶことを行いたい。

自分の内側の声を聞くと、より長期的な激しい学術探究を欲しているようだ。もしそうであれば、四つ目の修士課程に喜んで進み、博士課程にも進むかもしれない。

最近、自分は学術探究を何かへの奉仕の一環として行っているのではないか、ということを思う。確かに学術探究は自分の関心に根を下ろして行っているものなのだが、それを自分のために行っているとはもはや呼ぶことはできなくなっている。

この時代への奉仕、自分を含めた多くの存在に対する奉仕として学術探究を行っているのではないかと思えてきたのである。それを全うしたいという思い。それを全うするためには自己規律が不可欠であり、持続的に探究を進めていくためのコミュニティーに所属することが必要になってくるように思う。

所属する大学機関は本当に慎重に選ばなければならない。馴れ合いの組織や縛りの強い組織には決して所属しない。

自分が探究を深めようと思っていることをとことん深められる大学だけに所属する。そうした大学に行き着けるような気が昨夜もしていた。

また、自分でもそうした大学をこの世界から見つけ出すことを行いたい。今の私にとって最も大事であり、今後長らく探究を続けていくであろう、芸術教育、霊性教育、美学を教育哲学によって紐付けていく試みであれば博士論文を書くに値する大きなテーマだと思う。

四つ目の修士号を取得することになるかもしれないという可能性がここ最近強まっていたが、同時に博士課程の進学可能性も高まってきている。大学機関に所属して毎日少しずつ牛歩の歩みで学術研究をしていくことは、この世界に対する自分なりの奉仕なのかもしれない。

今朝方、起床してすぐにヨギティーを入れた。そのティーバッグに印象的な言葉が記されていた。

それは「この人生は一つの大切な贈り物である」というものだった。この言葉は確かにありふれたものかもしれない。だが、今朝の私には大いに響くものがあった。

自己を超えた何かと繋がりながら、この世界に奉仕をするために学術研究を進めていくという人生は、自分にとって大切な一つの贈り物なのかもしれない。大切な贈り物を与えてもらった後に行うべきことはなんだろうか?

それは返礼である。人生は贈り物を授かることと返礼の双方で成り立っている。

自分にとっての返礼は何だろうか?一生涯にわたって学術研究を続けていくこと、そして一生涯にわたって創造活動に従事することだ。

読みに読み、書きに書き、作りに作るというのは、この人生という贈り物に対する自分なりの返礼だったのだ。フローニンゲン:2018/8/3(金)07:20

No.1197: Arrival of Autumn

When I got up this morning, I felt chilly, which told me the arrival of autumn.

Also, autumn colour of leaves of street trees tell me the incoming of a new season. Groningen, 09:11, Saturday, 9/8/2018

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