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2847. 夏期休暇の本格的な開始


今朝は六時に起床し、六時半から一日の活動をスタートさせた。昨日は七時に起床していたが、今日からはまた六時に起床するリズムに戻った。

月曜日が少しずつ始まりを迎えているのを感じている。この時間帯はまだ朝日が柔らかく、外の雰囲気もこれから一日が始まろうとしている様子を醸し出している。

ただし昨日の日曜日とは異なって、この時間帯からもうすでに通りを行き交う人の様子を確認することができる。フローニンゲンの夏の一日の始まりは早い。

昨夜無事に論文を二人の審査官に送ることができた。これにより、論文の執筆に区切りがつき、それはフローニンゲン大学での二年目のプログラムを終えたことを意味する。

論文を提出することができて今は安堵感に包まれている。同時に、今日から始まる夏期休暇への大きな期待感を持っている。

実は二週間前の水曜日に研究発表を終え、その時に一度論文を提出したことをもって夏期休暇に入れると思っていた。実際にそこから数日間は夏期休暇のような過ごし方をしていた。

ところがそこから一変して、論文を幾分修正する必要に迫られ、結局昨日までは完全な夏期休暇とは言い難かった。だが今日からはもう本当に夏期休暇に入ったとみなしていいだろう。

以前から計画していたように、この夏期休暇においては旺盛な読書、そして旺盛な創造活動を進めていく。また、七月と八月にはそれぞれ一回ずつ旅に出かける。

今回の夏期休暇が充実したものになることをすでに予感している。今ふと思ったが、もはや今日からの生活を「夏期休暇」という言葉を当てる必要などないのではないかと思った。

これからの一年間は、本当に自分が従事したいと心底望むものにだけ従事できる時間となり、実質的にはこの一年間は全て休暇のようだとも言える。いや、これは今年の一年間だけに限らせてはならない。

これから生涯にわたってこのように生きて行く必要がある。日々が常に休暇であるような落ち着きを保ち、その中で絶えず自分が打ち込むべきことに打ち込んでいく。そのような生活が今実現されつつある。

そう考えてみると、今日からの生活は、これから生涯にわたって続いていくであろう真の生活の始まりを意味しているのだ。もう他者や組織に煩わされるような生活はしないようにしよう。何となれば他者や組織は人の生活を惑わすのだから。

今日からの読書は、まずは詩集と教育哲学が中心になるだろう。今日はルーミーの詩集を読み進め、時間があればクリシュナムルティの“Krishnamurti Beginnings of Learning (1982)”の初読を開始する。

この夏は、美学や芸術教育に関する書籍、そして音楽理論や作曲理論に関する書籍も積極的に読むことになるだろう。八月が終わる頃には、書斎の机の上に積み重ねられた書籍を全て読み終え、ソファの上に置かれた書籍に関しても初読を終えることができるだろう。

そうすれば秋からは諸々の書籍を再読し始めることができる。今日から始まる夏期休暇に期待が募り、夏の一日一日が充実感ではちきれそうなものになるであろうことを確信している。

そうした日々を送ることができれば、秋以降にやってくる厳しい冬もきっと充実感を持って乗り越えることができるはずだ。フローニンゲン:2018/7/16(月)06:51

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