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2776. 散りばめられた宝石


成層圏に触れられそうなスカイブルーの青空が広がっている。今はこの青空を一人で眺めているとが、空のこの美しさを誰かと分かち合いたいと思う。

この空を天空と言わずして他にどのような天空がありえようか。一羽のカモメが優雅に青空を横切っていく。爽やかな初夏の風が街路樹を揺らしている。

何度でも繰り返し書き留めておきたいと思う。書斎の窓から見える景色の美しさは筆舌に値する。一見するとそれは何の変哲も無い景色かもしれない。

しかし私にとってそれは、美の権化でしか思えない。空には宝石が散りばめられていて、風にも宝石が散りばめられている。街路樹の一つ一つの葉の中にも宝石が散りばめられているのだ。

それが見えない馬鹿ではないことに感謝をし、それが見える馬鹿であることに感謝しなければならない。

目を開けていられないほどに世界が輝いている。この世界が対極で成り立っていて、光と闇によって作られているということを今この瞬間に持ち出すことは何の意味も持たない。

光しかないのだ。今この瞬間には光しかない。嘘ではなく本当に光しかない。

闇がかき消されてしまうぐらいの輝く光がこの瞬間を包んでいる。だから鳥たちがあのように自由に飛んでいるのだ。きっとそうだろう。そうでなければ説明できないことが多々ある。

光と美が顕現する世界を前にして、またしても自分が一人であることに気づいた。もっと一人になりたいと思う。

諸々の煩わしいことから解放され、究極的に一人になりたいと思う。その実現に自分が向かっていることを知っているし、それは近い将来実現されると知っている。それが実現されれば、自分は光と美に還れるのではないかとすら思ってしまう。

時計の針を少しばかり巻き戻すと、今日は午前九時頃にどこからともなく鐘の音が聞こえてきた。ちょうどその時私は音楽を止めており、書斎の開いた窓から鐘の音が風に運ばれてきたのである。

普段は教会の鐘の音など聞こえないのだが、今日は日曜日の静けさと部屋に音楽がかかっていないこと、そして程よい強さの風のおかげもあって鐘の音が自分の元に運ばれてきたのだと思う。

鐘の音の始まりから終わりまで私はずっと耳を傾けていた。自分の内側の何かが浄化されていくような感覚が伴った。

今日はすでに一曲ほど曲を作った。昨日、友人のピアニストの演奏を聴いたことに影響されてか、今朝はショパンではなく、ドビュッシーに範を求めて曲を作った。昼食後にもまたドビュッシーに範を求めて曲を作りたい。

昨日のコンサートで偶然一緒になった知人のオランダ人が現代音楽について興味深いことを述べていた。「現代音楽の美を過去の音楽形式の枠組みで捉えているとその美が全く見えてこない。もしかするとそこにあるのは美というよりも、より根源的な感情の渦であり、そうした渦を感じることが現代音楽を聞くことのポイントかもしれない」というようなことを述べていたのを思い出す。

現代音楽と括られる曲の多くはなかなか理解しがたいものが多かった私にとって、友人の言葉は何か重要なヒントが含まれているように思えた。

今日はこれから“Human Hearing and the Reality of Music (2013)”の一読目を行う。本書の分量を考えてみれば、今日中に初読が終わるだろう。

音楽理論の学習と作曲実践、そして日記の執筆を核とした生活をより強固なものにしていく。フローニンゲン:2018/7/1(日)10:58 

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