時刻は夕方の六時を迎えた。今日は一日中曇りがちな天気であったが、今は少し青空が見える。
西の空に優しい夕日が照っており、夕日はこれからゆっくりと沈んで行こうとしている。
つい今しがた過去の日記の編集を終えた。やはり一日に20本ほどの記事の編集をすることが限界のようだ。
確かに心身の調子が過去の日記の編集にふさわしいような状態にあるときは一日に40本ほどであれば編集が可能である。だが今日はそのような日ではなかった。
どちらかというと過去の自分の文章を読むことにそれほど気乗りしない日であった。今日編集していた記事はちょうど今から一年前ぐらい執筆したものである。
一年前の自分の日記を読んでいると、いつも思うのと同様に、もう一年前の自分はここにはいないのだと知る。関心を寄せている事柄の中には共通のものがありながらも、もう以前の関心とはまるっきり異なることに探究の矢を向けている自分がいる。
来年、そしてこれからの自分はどのようなことに関心を持って探究活動を続けていくのだろうか。自己の進化に伴って関心が変容していくというのはごく当たり前のことである。
しかし、こうも激しく自己と関心の変容が生じることは少々疲弊感を引き起こしかねない。探究の速度を少しばかり緩め、ゆとりのある形で日々を過ごしたいものである。とりわけ今日はそのようなことを朝から感じていた。
早朝の探究がいつもほど進まず、少しばかり休憩が必要なのかもしれないと思った。ちょうど四日後に出かけるロンドンへの小旅行は優れた休息の機会になるだろう。
欧州での三年目の生活では、一ヶ月に一度の小旅行を行う予定だ。最初はその頻度を多いかもしれないと思ったが、今はそれぐらいの頻度がちょうど良いと思っている。
いやむしろ、それぐらいの感覚で旅行をすることを自分の深層部分の何かが求めているのだと気づく。学会への参加を兼ねてアムステルダムへ小旅行をしたのが今から二週間ほど前のことであり、今日はどことなく早くロンドンへ出かけて行きたいという気持ちになっていた。
ロンドンに足を運ぶことを待ち焦がれている自分の姿を見るにつけ、今年は一ヶ月に一度欧州のどこかの国に旅行に出かけるというのはとても良い判断だと思った。自分の内側の何かが激しく旅を求めている。自分にできるのはその求めに応じることだけだ。
夕暮れ時の小鳥たちの鳴き声は朝とは違った意味で美しい。早朝の音色や響きと異なるさえずりが心を落ち着かせていく。
今日はふとしたきっかけで、ワーグナーの曲を聴き始めた。ワーグナーといえば歌劇で有名だが、ワーグナーが作曲したピアノ曲を見つけ、それを一日中聴いている。
今書斎の中に流れているのもワーグナーのピアノ曲だ。私が想像していた以上にワーグナーが澄み渡るようなピアノ曲を作っていたことに驚かされる。
今日は就寝までワーグナーのピアノ曲を聴き、今後も彼の曲を聴き返すことによって徐々にワーグナーのピアノ曲への理解を深めていきたい。フローニンゲン:2018/6/16(土)18:19
No.1078: A Drizzle
It is hard to imagine from the present weather, but it will drizzle in the afternoon. Groningen, 08:11, Saturday, 7/21/2018