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2663. まだ見ぬ安住地


穏やかな早朝。今朝は一度五時半に目覚めたが、寝室から出たのは六時前だった。

六時を少し過ぎてから一日の活動を開始させた。今日も昨日に引き続き良い天気である。

六時半を迎えようとしている今において、すっかり太陽が昇り、明るい世界が広がっている。雲らしい雲は一切なく、晴天の様子だ。

風もほとんどなく、小鳥たちのさえずりがよく聞こえてくる。今日は天気に恵まれているため、昼食前に近所のノーダープラントソン公園へランニングに出かけようと思う。

初夏の様相を呈している公園を走り抜け、その足で行きつけのインドネシア料理店とチーズ屋に立ち寄る。今日は体を動かし、心身の状態を整える一日としたい。

ある一人の人間がある街で人間として暮らしていくこと。それを書き留めたのがこの一連の日記なのだ、ということを昨日改めて思った。

一人一人の生には物語がある。その物語が一体どのようなものであるかは当人にとっても未知なものが多分に含まれており、私は自分の人生の未知な物語をできるだけ明らかにするためにこの日記を綴っているのだと思う。

また、人生の物語は著述していかなければ深まりようがないということを強く思う。昨日という一日も今日という一日も非常に貴重な一日として過ぎていく。

北欧にほど近いオランダのフローニンゲンという街で生きて行く一人の人間に体験される固有な毎日。それを書き留め、書くことを通じて毎日の中に意義を見出しながら進んで行く人生。

昨日あれこれとスイスについて調べていた。それは主にスイスへの永住に関する情報である。

ここ最近似たようなことをオランダや北欧諸国に対して行っていた。オランダに関しては、この国にまたいつか戻ってきたいという思いが最近強くなっている。

できれば来年は一度国を変え、別の生活拠点で気持ちを新たにして探究活動に打ち込みたいと考えている。ただしその後には再びオランダに戻ってくるというのも選択肢として浮上している。

その際はロッテルダム、アムステルダム、アイントホーフェンの郊外に住みたいと思う。オランダの落ち着いた雰囲気と時間の流れ。国土は極めて小さいにもかかわらず、適切に確保された空間的なゆとり。

時間的かつ空間的なゆとりを考えてみた場合、オランダは私にとって魅力的な国だ。もちろん、主要都市の中心は密集しており、時間的かつ空間的なゆとりは希薄化される。それは現代社会の一つの悪しき側面であり、不可避な事柄でもある。

街の中心部で生活をすることを避け、郊外の落ち着いた場所で生活拠点を構えたいという思いが湧き上がってくる。スイスや北欧諸国に関しても事情は同じであろうし、生活拠点の置き場所についても同じようになるだろう。

あとは本当に自分の魂が納得する場所なのかどうか、魂が安住の地としてそこを選ぶかどうかが大事になる。そうした場所を探す旅はまだ終わりが見えない。

最後の生活地に落ち着くのはずっと後のことになるだろうが、そうした場所を見つけ出そうとする意識は常に持っておきたい。そうでなければ魂の安住地との真の出会いは得られないだろう。そのようなことをふと思う。フローニンゲン:2018/6/7(木)06:45 

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