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2652. 安住の地を求めて


時刻は夕方の七時半を迎えた。今この瞬間の外の様子は、昨日のこの時間帯の様子と瓜二つである。

空全体に薄い雲が覆っており、そよ風が時折吹いている。どこか寂しげな雰囲気を発していて、気温も低い。小鳥のさえずりと目の前の通りを走る車の音が時折聞こえてくる。

ここ数日間、なぜだか私は今後の生活拠点、とりわけ永住の場所について考えを巡らせている。候補地は幾つかあれど、それらが本当に自分の永住地なのかが一向に分からない。

それらの場所で暮らすことに幾分ためらいがあることを見ると、それらの土地は自分にとっての永住地ではないように思えてくる。「もうここが自分の安住の地だ」という場所がこの世界で一向に見つけられない。

地域はおろか、国さえも見つからない。どの国のどの場所に自分は最終的に落ち着くことになるのだろうか。そのようなことをここ最近よく考える。

安住の地とするための条件が幾つかあることはすでに明らかになってきた。この点に関しては朗報である。

だが、それらの条件をより精査し、そしてそれらの条件を満たす場所をこの世界から探し出していかなければならない。とにかくその場所を自分の目で確かめ、自分の足で歩くこと。それが大切であり、安住の地を見つけるという観点で今後は旅をしていく必要がある。

数年後をめどに世界を一周する船旅に出かけようと思っており、それは安住の地を見つけ出すためにあるのかもしれない。この世界にはすでに自分が生活できる場所がいくつもあることがわかった。ただし、まだ安住の地を見つけることができていない。

物質的に豊かな生活を求めるよりも、心の豊かな生活を求める。この点において現代社会の大衆は残念ながら賎民である。

金があっても金がなくても賎民であるということの意味を考えなければならない。賎民から脱却するには目覚めが必要だ。現代社会は眠った賎民ばかりで溢れかえっている。

今日は仮眠後、論文の加筆修正の続きを行った。相変わらずのはかどり具合に満足している。

今日をもってして、懸念事項であった先行研究の調査に関する文章の加筆修正が終わった。論文アドバイザーのミヒャエル・ツショル教授からの助言を基に、“Literature Review”のセクションの記述を随分と分厚くした。

今日の加筆修正をもってして山場を越え、あとは明後日に他のセクションに対してもう少し加筆修正を行う。具体的には、“Discussion”のセクションの最後で今回の研究の限界について言及する際に、新たに発見した限界について書き留めておく。

また、“Abstract”と同様に、250-350字ぐらいの“Conclusion”を書き足す。これによって、論文の締まりが良くなるだろう。

明後日にそれらの加筆修正を行い、明々後日に再度全体を読み返した後に、ツショル教授に最終ドラフトを送りたい。論文の完成が近づいてきていることを嬉しく思う。

それは論文から手を離すということに対してだけではなく、その後に待っている自分の純粋な関心だけに基づいた旺盛な探究活動を開始できることに対して感じている喜びである。フローニンゲン:2018/6/4(月)19:47 

No.1053: A Dance of the Ground

A dance of the ground is very strong, and at the same time, it is tender. Groningen, 08:27, Sunday, 7/8/2018

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