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2578. 今朝方の夢とシュタイナー


時刻は昼食前となり、起床してから随分と時間が経ったが、今朝方に見ていた夢をまだ覚えている。そういえばまだこの夢について書き留めていなかったことを思い出す。

夢の中で私は、大学時代の先輩三人と共に、大学の同級生の自宅に向かった。その友人が私たち四人を招待してくれ、彼の家で昼食をご馳走してくれることになった。

料理を作ってくれるのは友人の奥さんであり、私たちは手料理をとても楽しみにしていた。友人の自宅に向かう最中に、先輩のうちの一人が私に数学の問題について質問をしてきた。

それは純粋な数学の問題というよりも、金融工学か何かの専門書に記載されている数式の意味についての質問だった。正直なところ、私よりもその先輩の方が金融工学に造詣が深く、その数式についても私以上に深い知識を持っているはずだった。

笑みを浮かべながら私に質問をしてくる先輩の心中を察すると、私の理解度を試しにかかっているように思えた。そうした意図が見えたことは確かだが、私は先輩にその数式の意味ついて教えた。

数式について簡単に説明をしていると、いつの間にか友人の自宅に到着した。友人の自宅に上がり、食卓に到着すると、そこには一緒に来ていた先輩たちの奥さんも何人かいた。

私はまず最初に洗面所の場所を友人に聞き、食事をする前に手を洗おうとした。そこで私はなぜだか顔を洗い、さらには手を念入りに洗っていると、どうやらすでに料理の準備ができたようだった。

しかし私は一向に手を洗うことを止めようとせず、食卓で待っているみんなが少しばかり苛立ち始めた。友人の奥さんに「僕のことは構わずに皆で先に食べていてください。後40分したら食卓に行きます」と私は伝えた。

それに対して、友人の奥さんは少しばかり不機嫌な様子になった。それを見た私は、「そんな雰囲気が食卓に漂っていては美味しいものも美味しくなくなりますよ」と述べて、その場からすぐに去ろうとした。

せっかく招待をしてもらったにもかかわらずそれは失礼にあたると思ったが、私の決意は揺らぐことなく、友人の自宅を早々に立ち去ることにした。そのような夢を今朝方に見ていた。

今朝方の天気予報とは異なり、今のところ晴れ間が一向に姿を見せない。太陽の光を遮断する雲が空一面を覆っている。

先ほどシュタイナーの書籍を読んでいると、シュタイナーの音楽教育についてますます興味を持った。シュタイナーの音楽教育と比較する形で、モンテッソーリの音楽教育についても関心を持つようになったが、今のところ個人的な感覚として、シュタイナーの思想と教育実践の方により強い共感の念を覚える。

昨日から読み始めた書籍を午前中に全て読み終えることができなかったので、午後からも引き続き本書の続きを読んでいく。

シュタイナーにせよ、ブラヴァツキーにせよ、彼らの形而上学的な思想を学ぶことの意図は、あえてこうした一連の日記の中で書かないことや書けない知覚体験を曲として表現するためのヒントを得ることにある。彼らの思想から得られた観点や着想、そして感覚をもとに、自分の知覚体験を一段深く捉え直し、そうした体験を音楽言語を通じて形にしていく。

そうしたことを実現させていくために、どうしても彼らのような思想家が残した叡智が必要になる。意識の形而上学については、しばらくはシュタイナーとブラヴァツキーの書籍を丹念に読み進めていこうと思う。フローニンゲン:2018/5/18(金)11:32

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