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2524. 音の息吹


今日は早朝に、過去の日記を編集したいと思う。一昨日と昨日に引き続き、今日も時間のゆとりがあるため、これまでの日記を20本ほど編集したいと思う。

おそらく20本の日記の編集は午前中の真ん中あたりで完了するだろう。そこからは、現在協働執筆中の書籍のレビューを行う。

昨夜も少しばかりレビューを進め、今日の午前中に全体のレビューを完成させることができればと思う。昼食後に作曲実践を挟み、午後からは、ある協働プロジェクトのレポートを作成する。

レポートの作成に目処が立つ頃には夕方か夕食時になっているだろう。夜には、協働者の方へのメールを一通書き、今週の水曜日に行われる研究ミーティングに向けて、二人の博士に論文のドラフトを送る。

ちょうど明日、主たる研究アドバイザーであるミヒャエル・ツショル教授とミーティングがあり、その内容を受けて論文を修正していくだろうが、とりあえず現段階のものを水曜日のミーティングの当事者である二人に送る。今日の計画としてはそのようなところだろうか。

日々の自分の取り組みは、本当に平日も休日も関係なく、一定のリズムを持っていることがわかる。自らのなすべきことが、途絶えることのない一つの大きな流れの中に組み込まれているという確かな感覚。

いや、日々の取り組みが流れそのものになっている。流れの中に組み込まれるというよりもむしろ、それは流れに他ならないのだ。

流れとして日々の取り組みに従事できているということ。まさにそれが毎日の充実感と幸福感を生み出している。

昨日、短い曲を三曲ほど作った。作曲の進展に関しては高望みをしてはならない。焦らずゆっくりとその歩みを進めていく。

自由に曲を生み出すことのできる境地が遥か彼方にあることがわかっていても、それは確かにあるのであって、そこにゆっくりと向かっていけばいいのだ。昨日作った曲のうち、一曲は和的なものだった。

現在使っている作曲ソフトを確認すると、日本の伝統的な楽器がいくつかあった。その中でも私は、尺八を選んだ。

これまではピアノ曲を作ることが多かったが、尺八に惹かれるものがあった。あの楽器は鍵盤楽器でも打楽器でもない。息を吹き込むことによって音を出す楽器だ。

「息を吹きこむ」という行為に私はどこか惹かれるものを感じた。息に魂が宿るということをどこかで聞いたことがある。

息を吹き込むというのは魂を吹き込むことに等しい。そんな考えが脳裏をよぎり、尺八の音色で曲を一つ作った。

その曲にはどこか和的なものが漂っていた。いつか私は、自分の中にある和的なものを自由に表現したいと思う。

自分の内側の奥深くには「日本人性」とでも呼べるようなものが眠っている。それを呼び覚まし、曲として表現すること。自分の日本人性に音という息吹をもたらすこと。その実現に向けて今日もまた実践を重ねていきたい。フローニンゲン:2018/5/6(日)07:04

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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