夕食に美味しい日本食を食べ、私は腹ごなしを兼ねてワルシャワの街が誇る大きな公園に足を運んだ。実はまだ書き留めていなかったが、私はワルシャワの街に到着した時に、西欧とは異なる雰囲気がそこに漂っていることを即座に察知した。
それは端的には、「どことなく侘しい感覚」と表現することができるかもしれない。侘しさ、もしくはどことなく寂しい感情が静かに私の内側に流れてきた。
この感覚の正体は一体何なのだろうか。ポーランドの首都であるワルシャワの街に降り立った時、この街が旧東欧諸国の名残を未だに残していることが一目瞭然だった。
まだ先進国とは言えない雰囲気がここにある。これは否定的な意味ではなく、事実として昔ながらの政治経済の体制が依然としてこの国に残っていることを静かに物語っていた。
街中にたたずんでいる建物も「歴史がある」と言えば聞こえがいいが、それは西欧諸国の歴史ある建物とはまたどこか違うオーラを放っている。「建物に哀しみの感情が染み付いている。そんな様子を持っているのがワルシャワの建物である」というのが私の第一印象だった。
そうした印象を絶えず持ちながら、私は目的の公園に向かって歩き続けていた。しばらくすると、市民の憩いの場である公園が目に飛び込んできた。二つの大通りが交差する場所にその公園があり、その空間だけ別種の結界を張っているかのように映った。
公園の中に入ってみると、先ほどの哀しみの感情とは打って変わり、平和な空気がそこに流れていた。公園内には数多くのベンチがあり、たいていのベンチには誰かが腰掛けており、何をすることもなくぼんやりと休憩している人や、連れと対話をしている人、ノートを片手に黙々と何かを書いている学生のような姿を見かけた。
それぞれが思い思いにこの公園でゆったりとした時間を過ごしているという印象を受けた。公園内を歩くにつれて、どこか見覚えのある木々、いや忘れようにも忘れるはずのない木々が目に飛び込んできた。
それは満開の桜の木々であった。「空港から駅に向かう最中に見たのはやっぱり桜の木だったんだ」と私は心の中で叫んだ。
私は急ぐ気持ちを抑えながら、桜の木の下に向かっていった。あたかも桜の木に話しかけるように、「とても綺麗な桜だ」と私は心の中でつぶやいていた。
桜の木の下に歩み寄り、満開の桜を見上げた。ワルシャワの青空と満開の桜の花々が見事な調和を成していた。
ワルシャワの気候のおかげもあり、日本よりも随分と遅い時期に桜が満開になったようだった。私は久しぶりに満開の桜を眺め、桜の香りを味わうことができた。
結局、この公園にあるはずのショパンの銅像を見つけることができなかったが、この満開の桜を見ることができただけで十分だった。私はしばらくこの公園でゆっくりし、また来た道を戻りホテルに帰った。
心休まる公園の周りには、再び侘しい感情を引き起こす空間が広がっていた。そんな印象を与えたのがワルシャワ滞在の一日目であった。ワルシャワ:2018/4/13(金)21:44
No.970: Tranquility
The essence of this reality encloses something that makes us tranquil. “
Tranquility” would be one of the essential aspects of the depth of this reality. Groningen, 08:09, Saturday, 5/5/2018