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2397. 創造の流れへの返礼


起床直後に日記を書き始めてみると、自分が書こうと意図していないような事柄が突如姿を現した。文章を書くというのはこうしたことが起こりうるのだ。

書くことに潜む不思議な力を早朝から感じている。こちらが意図していないことが文章の書き出しと共に生まれうるということ。それは、私たちの存在が絶えず今の自己認識を超えた境界線に足を踏み入れていることの表れかもしれない。

つまり、私たちは常に自らが意図していない存在を内にはらんでいるのである。それは自分の内側にいる未知な存在であり、発達可能性と呼ぶべき存在なのだろう。

文章を書くことによってこうした存在が姿を見せうるということに驚かされる。内的感覚と共に言葉を紡ぎ出していくことの不思議さにはいつも驚かされてばかりである。

先ほど、固有の日々を生きることについて日記を書いていた。これも知らず知らず自分がその主題に引き込まれていくかのように書かれたものである。日々が固有であるというのは、毎日が異なったものを内包しているということだけを意味するのではなく、自己の存在そのものが異なるものを日々顕現させているということも意味する。

すなわち、内外世界の両方が絶えず差異を内包したものであるがゆえに日々は固有なのだ。厳密には、日々という時間単位よりも、毎日の瞬間瞬間が固有であると述べた方がいいだろう。

絶えず絶えず差異が内包された瞬間瞬間に対して、私はよく畏怖の念を覚える。今この瞬間に聞こえる小鳥の鳴き声と次の瞬間に聞こえるそれは異なる。

そして、それを聞いている私自身の内側の思考や感覚も移り変わっていく。瞬刻瞬刻の移り変わりが一つの巨大な流れを作っていることに気づかないだろうか。

日々は自分だけの固有な感覚によって作り出されるものではなく、全ての存在者と共に生み出す一つの大河なのだ。そのようなことにはたと気づかされる。

夜が静かに明けてきた。ここ数日間は、スヴャトスラフ・リヒテルの演奏するバッハの平均律クラヴィーア曲集を聴き続けている。もう何十時間この曲を聴いているだろか。今朝も起床と共にこの曲を聴き始めた。

音楽が日々の生活に不可欠なものとなった。それは単に音楽を聴くということのみならず、音楽を作るということに関してもである。

音楽が外から内に流れ、内から外に流れていく生活。これも一つ、この世界の絶え間ない流れに参画する一つのあり方なのだろう。

音楽を聴くという行為によって一つの巨大な流れから音を汲み取るだけではなく、その流れに再び音を返していくのである。そうした返報的な行為としあるのが音楽を作ること、すなわち作曲なのだとふと思わされた。

なるほど、作曲とはこの世界という絶え間ない流れへの音を通じた返礼行為なのだ。音楽と接することを通じて、この絶え間ない創造の流れから何かを汲み取るだけではなく、創造の流れには創造を返礼していくことを私は大切にしたい。

音楽から得られる充実感と幸福感を自分の内側に留めておくのではなく、充実感と幸福感をそのままこの巨大な創造の流れに返していくのである。「あぁ、そういうことか」という感覚が自分の中を満たしている。

今日も創造の流れへの参画と返礼を行っていく。それは自分ができる数少ないことの一つだ。フローニンゲン:2018/4/10(火)06:50 

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