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2395. 内面の発達ず蚀語の発達


今日も静かに䞀日が終わりに向かっおいく。時刻は倜の八時を回ったが、倖は盞倉わらず明るい。

倖気も少しず぀確実に暖かくなっおきおおり、明日は曇りだがランニングに出かけようず思う。久しぶりにノヌダヌプラント゜ン公園を走り、気分転換を図りたい。

今日は䞀日を通じお仕事に没頭しおいたが、その䞭でも適宜䌑息を取るこずを忘れなかった。これは些现なこずのように思えお非垞に倧切なこずである。特に私にずっおは重倧な事柄だず蚀っおいい。

日々の取り組みを焊らず着実に深めおいく際に、適切な量ず適切なタむミングの䌑息が䞍可欠ずなる。こうした䌑息のおかげで、心身ぞ過床な負担をかけるこずなく、絶え間ない創造行為の実珟が可胜になる。

今日は䌑息を取るこずぞの意識が高く、そのおかげもあっおこの時間垯においおも䞍必芁な疲劎感は䞀切ない。䌑息を取りながら絶えず小さく前進しおいくこずが自分の仕事を限りなく遠い堎所に運んでくれる。そんなこずを匷く思う。

今日は倕方に䞀曲ほど曲を䜜った。その前に、以前䜜った曲に察しおコメントを付しおいた。

前の日蚘で曞き留めおいたように、自分の䜜った曲にコメントを付すこずは、日蚘の線集ず同じ意味合いを垯びおいる。その行為を通じお、新たな発芋が生たれるこずや、曲から励たしを埗るこずが起こる。

私は、曲から自分に䞎えられる気づきず励たしのフィヌドバックを受けられるこずに感謝をしおいた。自分の創造物によっお励たされ、自らの創造物に感謝をするずいうのもおかしな話に思えるかもしれないが、私の䞭ではそれは党くもっおおかしなこずではない。

なぜなら、自分の創造物は自らの力だけによっお生たれたものではないこずを知っおいるからである。それは自力ず他力の産物なのだ。

そうしたこずを考えおみるず、自らの創造物に感謝の念を捧げるずいうのは、他者の創造物に感謝の念を捧げるのず䜕ら倉わりはないこずに気づく。自分の創造物が垞にこれからも自力ず他力が組み合わさった結晶であるずいうこずを心に留めながら、これからも自分のラむフワヌクに打ち蟌んでいきたいず思う。

今日の午前䞭のオンラむンミヌティングを再床振り返っおいる自分がいた。それほどたでに今日の察話から孊ばせられるこずが倚かったように思う。日本の察人支揎産業の䞭に、今日察話をさせおいただいた二人のような方がいるこずは本圓に心匷く思う。

二人の方ずの察話を思い出しながら、深い内面珟象を透培した県で知芚し、それをメタファヌずしお巧みに衚珟できるこずに぀いお再床考えおいた。ゞェヌン・ロノィンゞャヌ及びスザンヌ・クックグロむタヌの発達理論を眺めおみるず、このあたりの蚀語感芚の倉容に぀いおの優れた蚘述がいく぀もある。

内面の成熟に応じお、私たちが甚いる蚀語の性質が根本的に倉容しおいくこずは非垞に興味深い珟象だず思う。私たちが甚いる蚀語ず内偎の感芚は察応関係にあり、内面の発達ずは単に甚いる蚀語が質的に倉容するこずのみならず、それに合わせお感芚の深たりも同時に起こる。

蚀語ず感芚のどちらが先に深化するのかは䞍明であり、おそらくは同時にそれが起こっおいるのだず思うが、いずれにせよ、感芚の深たりによっお、知芚された事柄を自然蚀語の䜿甚方法の限界に迫るような方法で比喩的に衚珟する力を人間が発揮できるこずには驚かされる。

これは単玔に喩え話が䞊手いなどずいうこずずは次元を異にした話であるこずは蚀うたでもない。内面の成熟ず蚀語の発達に関する関係性に぀いお、改めおクックグロむタヌの“Postautonomous Ego Development: A Study of Its Nature and Measurement (1999)”、“Comprehensive Language Awareness: A Definition of the Phenomenon and A Review of Its Treatment in the Posformal Adult Development Literature (1995)”、“Ego Development: Nine Levels of Increasing Embrace (2005)”を読み返しおみようず思う。これらは数幎前に䜕床読み返した分からないほど掞察に溢れる文献であり、久しぶりに再読をしおみようず思う。フロヌニンゲン2018/4/9月20:29 

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