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2286. 人生を導く存在について


今日は部屋の中にいても本当に寒い。暖房の設定もほぼ最大にしているのだが、それでも底冷えするような寒さである。

空には雲がほとんどなく、青空が広がっており、太陽がフローニンゲンの街全体を包んでいる。この太陽の光があるおかげで、寒さも少しは軽減されているのかもしれないと感謝すべきかもしれない。

相変わらずの寒さであるが、午前の途中から小鳥の合唱が聞こえ始めた。外に流れる小鳥の合唱に耳を傾け、同時に室内で流れているラフマニノフの音楽にも耳を傾ける。世界は音楽で満ち溢れている。

昨日から今日にかけて、なぜだかずっとラフマニノフを聴き続けている。13時間半にわたるピアノ曲集であるため、今日もこれからずっとラフマニノフを聴き続けることになるだろう。

今日もまた、人生の新たな一日が始まった、と今朝方思った。それは自己の新たなる出発を意味しており、今日もまた人生について新たな意味を見出すことを表している。

新たな意味の創出と絶えざる出発を経験しながら、人はゆっくりと進むべき方向に導かれるようにして歩んでいく。まさにそれは、対象に向かっていくというよりも、対象からの投げかけによってこちらが導かれていくかのような現象だ。

何か自分の理解の範疇を超えたものが自分を導いている。そんなことを先日も思った。

私の内側に、どこかに向かって進もうとする意思を超えたところに、私をどこかに導いていく力を感受するような感覚が育まれつつあるのを実感する。これまでの人生を振り返ってみた時に、人生の転機になるような決断の際には、私を導いてくこの力が常にあったように思う。

日本を離れて米国に行ったこともそうであり、オランダに来たこともそうであった。人間発達の探究を始めたこともそうであり、作曲を始めたこともそうであった。

全てが自分の意思だけに基づいてなされたことではなかった。それよりもむしろ、自己の意思を超えた導きがどれほど多大な影響を自分の人生に与えてきたかについて思う。

自己を導く誘導因に対する感謝の念が増すほどに、それは自然な形で私をまたどこか別のところに導いていく。これから私がどこで何をするかは明確なものではない。

当然、自分の中では目の前のなすべきことは見えている。しかし、そうした目の前の事柄を超えた人生の出来事については、もはや正確な予想などできるはずはない。

自分の人生を導いていくこの力に自己を委ね、その中で小さく日々の行為を積み重ねていこうと思う。

小鳥たちの合唱が突然激しくなり、フィナーレを迎えた。彼らもまた何かに導かれている存在であり、同時に私を導く存在でもあるのだろう。フローニンゲン:2018/3/18(日)12:20  

No.886: Daily Scintillation

Not overlooking scintillation within any daily phenomena is one of the most important ways of my living.

Are you aware of any glitter underlying daily trivial events? Groningen, 09:17, Friday, 3/23/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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