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2262. 日記とこれから


早朝の空が少しずつ晴れてきた。ライトブルーの空が顔を覗かせ始めると、どこか心も透き通っていくかのように感じるから不思議である。

内外の世界はそのような形で繋がっているようだ。昨日は改めて日記について考えていた。

日記という対象について深く考えていたというよりも、日記の持つ意義を深く実感していたというような経験をしていた。もはや日記を書かずして自分の仕事は前に進んで行かないであろうし、自分の日々が進んで行くことはないだろう。

仕事の土台はこの日記にあり、自分のいかなる創造物もこの日記の延長線上にしかありえないことを強く感じる。それは協働プロジェクトにおいても、学術研究においてもそうである。

また、作曲実践という一つのライフワークに関してもそうである。それらの仕事を通じて創造されるすべてのものは、この日記を起点に生み出されるものであることがはっきりと分かり始めている。

絶えず日記を書きながらゆっくりと仕事を前に進めていくこと。私にできるのはそれしかないだろう。

日記を執筆することによって、自分自身、そして日々そのものを深めていく。これからも日記を書き続けていきたいと思う。

昨夜は就寝前にいくつか重要なことについて考えを巡らせており、あるテーマについてまた新しい考えが生まれた。それについて頭の中であれこれとつぶやき、時に実際に口に出してつぶやいていた。

だが、興味深いことに夢と同じで、そのテーマが何であり、何をつぶやいていたのかについてはもはや覚えていない。ただ、自分の内側にそのテーマに関する新しい考えが生まれたという感覚だけが今この瞬間に残っている。

おそらくその考えは、今後また何かの機会に顔を覗かせるだろう。その際には、文章の形で書き留めておくことをしたい。

欧州での日々は相変わらず自然な形で着実と進んでいく。とりわけ二年目の生活では、欧州の土地にくつろいだ形で日々を過ごすことができている自分がいることに気づく。

自分の仕事も内面の成熟も、どちらもゆっくりとしか進んで行かない。仕事の進行と内面の発達の特性を考えてみた時、欧州に堆積された時間の中でじっくりと自己と仕事に向き合うことはどれだけ意味のあることか。

果たして秋から再び米国に戻ることになるのかはまだ決定していないが、欧州での残りの日々も、緩やかに全てを前に進めていくような形で過ごしたいと思う。

自己も仕事もゆっくりと深めていく。その意識と実践が何よりも大切だ。フローニンゲン:2018/3/14(水)07:53 

No.867: Fallacy of Misplaced Concreteness and Models

When I formulate a model——any conceptual or mathematical model, I have to be careful with not to perpetrating the “fallacy of misplaced concreteness,” which Whitehead coined.

To put it differently, I must recognize the difference between abstraction and concreteness.

Formulating and utilizing any models encapsulates the danger of committing the fallacy. Groningen, 15:53, Sunday, 3/18/2018

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