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2045. 作曲の意味と現在の課題


時刻は夕方の五時半を回った。雨が一向に降り続けているのだが、まだ完全な闇が訪れていない。

どうやら日が伸びたらしいのだ。相変わらず寒さは厳しいが、季節は春に向けて着実に足取りを進めている。そう思わずにはいられない。 今日も自分のなすべきことに取り組み続けているような一日だった。その中でも一つ、いつものように作曲実践に取り組んでいる中で、バッハの作品は独特の面白さがあることに気づいた。

各作品にはバッハの意匠が込められていることは間違いないが、バッハの作品にはどこか遊び心のようなものも含まれている。バッハの楽譜を丹念に眺め、それを範にして曲を作ろうとするとなお一層バッハの遊び心と類まれな技巧がありありと実感される。

遊び心と珠玉の技術が織り込まれた作品ほど教育効果のある教材も無いだろう。 昼食後に作曲理論のテキストを読み進めている中でふと、今自分が抱えている現代社会に対する問題意識を曲として表現したい、という思いが再度強く顔をのぞかせた。これは以前から持っていた想いなのだが、それが今日改めて強く自覚された。

実際には表現したいと思うこの世界に対する問題意識が様々にある。すでに焦点を当てるべき事柄や取り上げたいと思う社会事象については決まっているのだが、それを表現するための技術が一向に追いつかないという状況にある。

作曲実践を始めてほんのまだ数カ月程度なのであるから、それは高望みであろうが、自分が作曲を行う意味のようなものを求めるとするならば、日々の自己に立ち現れる諸々の思考や感覚を曲として表現するだけではなく、この世界に生きる私自身が感じている現代社会に対する問題意識を曲として表現したいと強く思う。

その実現に向けて、作曲理論の学習と技術的鍛錬を怠ることなく続けていく。 作曲理論のテキストを読みながら、もし仮に二つの声部で曲を作るならば、ベースはソプラノの音階に対して根音か三度の音を当てていったほうがいいのかどうかということを改めて考えていた。

しかし、実際に過去の作曲家の楽譜を見るとそんなことは全くない。確かにソプラノの音に合わせて根音や三度の音を当てていけばコードを作ることができるが、いつでもそのような形でベースを作っていくというのもどこかぎこちないだろう。

ハーモニーの学習を少しずつ進める中で見えてきたのは、やはりメロディーラインを先に作り、その後にベースを作り、仮に四声の曲であれば、アルトとテノールはその後に作っていくという流れが良いような気がしている。

メロディーというのは本当にその作曲者の創造性によって生まれるような気がするが、果たしてバスの動きはどのように生まれるのが最も望ましいのだろうか。今の私はまだ、良いベースラインとは一体どのようなものなのかが体感的によくわかっていない。

ある時はソプラノの音に合わせて完全なコードになるように意識的にベースラインを作ってみたり、ある時はソプラノの動きとは全く関係なしに、まるでメロディーを作るのと同じ感覚で、独立した形でベースラインを作ってみたり、またある時はベースの部分だけでコード進行を表すようにベースラインを作ったりしている。

まだ自分の中で明確な基準というものがなく、これも試行錯誤をしながら自分なりのベースラインの作り方を見つけていく必要があるだろう。その補助として、過去の作曲家の楽譜や作曲理論を参照したいと思う。

今日はこれからもう少し仕事をし、それが全て終わればまた作曲実践に取り組みたい。フローニンゲン:2018/1/23(火)17:43

No.680: Like a Brook

I just finished lunch, and I’ll tackle the rest of my work today.

I feel as if my daily life were a brook.

Every activity and even time in my daily life is like going somewhere one particular place.

Where is it? Everybody knows it.

It is the place that all of us inevitably go to someday. Groningen, 13:07, Tuesday, 1/23/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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