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2037. 身体の充実


この世界の様々な場所で生活をし、様々な国籍の作曲家から学びを得ようとする自分の姿勢は、どこか私の魂の特性と関係しているのではないかと思う。

以前の日記で書き留めていたように、私の魂が内在的に持つ特性は、「遍歴性」と呼べるものだろう。私は決して無闇やたりに生活拠点を変えているわけでもなく、探究領域を無闇やたりに変えているわけでもない。

大抵は、ある場所には必ず一定期間滞在しているし、ある特定の探究領域を一定期間探究し続けている。しかし、私の魂は永続的に一箇所に留まることを望んでいないようなのだ。

仮に一箇所に留まり続けているように思えても、絶えずそれは動きの中にあると言える。魂が持つ遍歴性とは非常に動的な性質なのだろう。 午前中にモーツァルトの曲に範を求めながらとりあえず一曲作った。今のところ私は、この日記のように、一つ一つの曲の質にはそれほどこだわっていない。

その瞬間瞬間に表現されることを待っているものだけを、表現を望む分だけ外側に形として表現するようにしている。そのような発想を持って、とにかくある一定量を超えるまでは大量に曲を生み出していく必要がある。

この日記においてもそうだが、文章にせよ曲にせよ、まだどちらも圧倒的に量が欠落していることを私は知っている。日記に関しては10,000記事、曲に関しては1,000曲ほど生み出すことができれば、何か少しばかり見えてくるものがあるだろう。

今はまだその途上に過ぎず、ようやく出発したところにいることを忘れてはならない。ピカソが晩年に、「自分の全ての作品はまだ実験中のものである」と述べていたように、文章と曲を生み出すことに関して、まだまだ膨大な量の実験を経ていかなければならない。 作曲実践が落ち着き、福永武彦氏の『幼年』を幾分読み進めた後に、近所の河川沿いのサイクリングロードにランニングに出かけた。今日は天気に恵まれた日曜日である。

40分弱ゆっくりとランニングをし、自宅に帰ると、やはりこうした適度な運動は日々の生活をより充実したものにしてくれると思った。一昨日も夜に、この世界で生きる上での身体の重要性について考えを巡らせていた。

自らの身体が充実しない限り、日々の生は充実しないのではないだろうか。生は私たちの健全な身体を通して初めて充実した形で営まれる。

ランニングによって適度に身体を動かしたことの意義は、昼食後の今この瞬間の充実さを見てみれば明らかである。 今日はこれから仮眠を取った後に、福永武彦氏の『幼年』を読み切りたいと思う。この作品を読んだ後に、現在取り組んでいる協働プロジェクトに関する資料の作成に取り掛かる。

天気に恵まれた穏やかな日曜日の午後は、そのような形で過ごしたい。フローニンゲン:2018/1/21(日)13:32

No.672: Music Scores as Inspiration Stimuli

Music scores created by past great composers will be not only scaffolding but also stimuli for my inspiration forever.

I knew that Picasso utilized Manet’s works to stimulate his creative power.

I’ll do the same thing toward eminent composers’ works. Groningen, 20:52, Saturday, 1/20/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)