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2025. 生きることと綴ること


起床してから相変わらず日記を書き続けている。他のことなど一切せず、ただ自分の内側の思念を外側に形として残すことだけに従事している。

だが、それは真に自分の人生を生きているという感覚を生み出す。自分の言葉を綴り続けることが、不思議なほどに生の実感を私にもたらす。

「言葉は存在であり、存在は言葉であった」そのような言葉をどこかの日記で書き留めていたことをふと思い出す。

その時の自分の言葉はそれなりの、いや極めて強い妥当性を持っているように今も思われる。自分の言葉で文章を書くことは、自分の人生を確かに生きているという強い実感を与えてくれる。

しかしながら、生に対して実感を持とうと努めているのは、もしかすると生に実体を求めることにつながりはしないだろうか、という考えが浮かぶ。仮に生というのもの本質が、実体を超えてただそこにあるだけのようなものであれば、生に実体を見出そうとするのは単なる幻想に過ぎないだろう。

自分が今、自らの生を生きようとする意思は、実体を超えて「そこにただあるのみ」という生の本質の境地から生まれたものなのか、それとも生に実体を求める幻想と生への種着から生まれたものなのかは区別がつかない。

両者の差異を見極めていくことは、自分に課せられた新たな課題なのかもしれない。

書斎の窓から外を眺めると、早朝からの激しい雨が止んでいた。しかし、これは一時的な休息であって、休憩を済ませた天気は再び雨を降らせるだろう。

雨が止み、目の前の通りに植えられた裸の木々が風に揺られているのを眺めていると、何気なしに吉田兼好の生き方を思い出した。彼もまた徒然なるままに文章を書き、文章を書き続けることで真に生きた人であった。

日々の徒然なる事柄を徒然なるままに書き続けるだけの生活があっていいのではないか、と最近よく思う。まだ良い表現が思い浮かばないのだが、日々を徒然なるままに綴っていく人生というのは固有の価値と尊さを持っているように思えて仕方ないのである。

自分の人生を生きるというのは、自らの人生を綴ることではないだろうか。画家のムンクに多大な影響を与えたノルウェーの自然誌家ハンス・イエーガーがかつて、「自らの人生こそを著せ」という言葉を述べていたことをふと思い出す。

また、発達心理学者のロバート・キーガンも「自己著述」という人間の本能に根ざした特性について言及している。

人生を著述する手段は様々にある。私にとって、日記や作曲がその手段なのは間違いない。

人生を綴ること、真に自らの生を生きることが何か特別のものであるかのような幻想を抱かせ、自らの人生を著述することを妨げるような見えない力がはびこっているこの世界はどこかおかしくないだろうか。

無言の雨がまた降り始めた。窓ガラスに断続的に激しくぶつかる雨。

目の前の裸の木々が先ほどよりも激しく風に揺られている。一羽の黒い鳥が激しい雨風の中を飛び去っていった。

生きることと綴ること。そして、生きた後と綴った後のことについて、私の考えは止みそうもない。そうした考えは、今降り続けている雨よりも長きにわたって続くものだろう。フローニンゲン:2018/1/18(木)09:53 

No.660: Literature Search

After lunch, I’ll search for some literature on characteristics of good texts or talks in order to justify the metrics in my research.

In addition, I need some articles about the relationship between variability of texts or talks and their quality.

Database search will be my first task after lunch. Groningen, 10:38, Thursday, 1/18/2018

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