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2016. 誕生地点から終着地点へ、そしてその向こう側へ


書斎の外の世界にこだまする音、書斎の中で広がる音楽の音に耳を傾けていると、音はどこから生まれ、音はどこに行くのか?という問いが自発的に生じる。

その問いはどこか、私たちはどこから生まれ、私たちはどこに行くのか?と同種の問いのようにすら思える。音はどこから生まれるのだろうか。生まれた音はどこに向かっていくのだろうか。

最近、そのようなことをふと考えることが多くなった。音が誕生する瞬間、そしてそこから音が自己生成的に発展していく様子は、多くの驚きを私に与える。

ある音は、確かにそれが生まれた瞬間からその音の存在を確かめることができる。しかし、そもそもその音が生まれるための前段階が存在しており、それは音のない無の世界だろう。

ある音の誕生地点までさかのぼってみると、果たしてその地点が本当にその音の誕生地点だと言えるのかどうか定かではなくなってくる。つまり、ある音の生誕地点とそれ以前との境目を断定することは極めて難しいということである。

そうであれば、ある音というのはもしかすると、それが音として生まれて初めて存在を付与されているのではなく、もうすでにそれが誕生する以前の無音世界の中にその存在を認めることができるのかもしれない。

だとすると、音はいついかなる時もこの無音世界の中に溢れているということになる。もしかすると、この無音世界こそが音の源泉なのかもしれない。

そしてそれは、音のみならず、全ての現象が生起する場だと捉えても何らおかしくはないと思えてくる。全ての存在が発露する場と、音が生誕する場は同じなのではないか。

この世界のありとあらゆる現象を生起させる目には見えない、無限の広がりと深さを持つ場の存在について思いが及ぶ。

その思考のベクトルと逆向きに、音が向かっていく究極地点についても考えが及ぶ。つまり、音の終着地点についてである。

そして、それは生命の命を含めた、現象の終わりに関する話と密接に関係している。音は生誕して以降、ある目には見えない力によって、その音のあるべき地点まで向かっていく。

そして、その音がその地点に到着するとき、それはその使命を果たす。終着地点がそれであるというのは誕生の瞬間から決まっているのだろうか、それとも様々な不確定な要素を含みながら、終着地点は変化しうるものなのだろうか。

この点は、私たち人間の生涯とも関係しているように思えてならない。人生の出発から終着地点までの道のりについて。その主題と全く同じことを、今私は音楽を通じて考えているのかもしれない。 最後に一つだけ書き留めておきたいことがある。音は確かにある終着地点に到着した瞬間に、その役目を終える。つまり、音としての生命を終えるのである。

しかし私はふと、それは果たして本当にその音の生命の終わりだと言えるのだろうか?ということを考えていた。ある音がその使命を果たし終える時、実はそこからさらに先にもその音の命が延びているのではないかと思うのだ。

音の表面上の完結は、実質上の完結ではない。音が外形上完結することによって、そこから新たに宿る音の生命というものが存在しているような気がしてならない。

これは音の不滅性と言えるだろう。ある偉大な楽曲が延々と聴き続けられることの背後には、こうした音の不滅性というものが存在しているのではないだろうか。

そしてこれは紛れもなく、私たち人間の一生涯にも等しく当てはまる。すなわち、人生の終着地点に辿り着き、外見上その人生に幕を閉じたことが終わりを指すのではないのだ。

おそらく、その終着地点から先の人生がある。音の不滅性と同じ不滅性が私たちの人生にも内包されているのである。

私たちの人生における不滅なもの、それはその人が生きたという証を通じて現れるだろう。 音の誕生とその終わり、生命の誕生とその終わり。音はどこから生まれ、どこへ向かうのか。私たちはどこから生まれ、どこへ向かうのか。終着地点のその先に待つもの、広がるもの。

闇に包まれ、雨音が静かに聞こえる早朝に、私はそのようなことを静かに考え続けていた。それらを考えさせてくれるきっかけを与えてくれたこの世界に、何かを返す必要がある。フローニンゲン:2018/1/16(火)06:53

No.651: Research on Arts

While reading a book about arts and human development, my intention to conduct research on my child’s developmental process of arts arises.

It doesn’t matter to publish an article or not. I want to observe my child as a research subject.

Although I haven’t had a child yet, I expect to conduct such a study, playing with my kid in the world of art. Groningen, 14:45, Monday, 1/15/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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