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1998. 裸体の言葉と意思の顔


文章を書きに書いても、曲を作るに作っても、解決し得ない事柄が絶えず自分の内側に存在していることに気づいている。そうなのだ、私はもうそれに気づいているはずなのだ。

だが、それでも私は文章を書き続けるだろうし、曲を作り続けるだろう。先ほどの日記に書き留めていたように、表現行為というのは生命の運動に他ならず、表現物は生命の発露に他ならない。

そうであれば、私が日々の存在記として文章と曲を残していることは、生命の運動であり、その発露に他らないことになる。しかしながら、私はこの言葉でも全く納得できない。

私の魂が黙っていないのである。沈黙を知らない魂。沈黙を知らないのは私の魂なのか、私なのか。

なぜ私は、文章を書くことと曲を作ることが生の燃焼過程の純粋な形であるという言葉にとどまることができないのか。「生命の運動」「生命の発露」「生の燃焼過程」。

そんな装飾表現はいらないのである。書斎の窓から見える裸の木のような言葉が欲しい。何も着飾ることのない、裸体の言葉が欲しいのだ。 昼食前にランニングに出かけ、今年初めて行きつけのインドネシアンレストランに足を運び、そこで昼食を購入した。レストランの人たちとは随分と顔見知りとなり、いつも笑顔で言葉を交わす。

いつもの持ち帰りの料理を受け取り、レストランの扉を開けて外に出て、再びランニングをしながら家に向かおうと思って私は一歩を踏み出した。その一歩の瞬間に、「人間の仕事」に関する重い問いかけが、足元の石畳と同じほどに自分の存在に密着しているのがわかった。

今この瞬間に人生を終えることをせず、自分の仕事を形にしていこうという意思について私は考えていた。そもそもなぜ私は、自分の仕事をこれから形にしていこうと思っているのだろうか。

その理由として、もはや世俗的なものはない。あるのは脱世俗的、超越的な理由なのだが、その理由ですらも私は信じることができない。

もうその答えの背中は見えているのに、その顔が見えない状況に今の私はいるようなのだ。脱世俗的かつ超越的な理由は、私が自分の仕事をこれから長大な時間をかけて形にしていこうという意思の背中である。

しかしながら、それは意思の本当の顔ではない。いつまでその背中を見ながら走ることができるのだろうか。

背中を見ながらではいつまでも走り続けることはできないと思うのだ。いや、そもそも走り続ける必要はあるのだろうか。

自らの仕事を長大な時間をかけて積み上げていこうとする意思の顔を見ることができたら、そこには走ることも歩くことも、ましてや止まることも超えた行為があるような気がしてならないのだ。

おそらくその行為に至るとき、自分の仕事は初めて形となるのだろう。フローニンゲン:2018/1/11(木)14:42

No.633: “Three Classics in the Aesthetic of Music (1962)”

“Today” also started again.

Everyday is today; today is everyday.

Everyday is continuous and discontinuous today.

In such today, I’ll begin to read “Three Classics in the Aesthetic of Music (1962)” written by Claude Debussy.

Aesthetics, particularly aesthetics of music is one of my current central themes.

It will enrich not only my music composition but also my life itself. Groningen, 07:29, Friday, 1/12/2018

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