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1951. 如的自己


今日は六時半過ぎに起床し、ゆっくりと一日の活動を開始させた。いよいよ今日は今年で最後の日となる。

2017年最後の日の朝は、少しばかり曇っている。天気予報によると、午後三時ぐらいから晴れ間が顔を覗かせるようだ。

天気が良くなれば、今日もまた砂浜に散歩に出かけたい。午後からの散歩について思いを馳せていると、昨日の散歩の情景が再度思い出された。

昨日、私は砂浜を散歩しながら、しきりと空を見上げていた。晴れ渡る大空に吸い込まれていく自分を確認し、大空と一体になっているかのような感覚。

絵画作品との一体化と同じように、そこにはもはや認識主体は溶解していた。大空を見上げてしばらくすると、私はふと、実家に帰ってくるたびごとに、この大空を眺めていることに気づいた。

あの夏もこの空を眺めていたし、あの冬もそうだった。そこには変わらぬ景色があり、それでいて年を重ねるごとに変貌を遂げていく自分がいる。

変わるものと変わらないもの。これは自分の中の一つの永遠のテーマだと言えるかもしれない。 この大空を眺めていた昨年の自分と今日の自分との間に生まれた差異について考える。それは変貌の証であり、変わらぬ空の見え方を変えてくれるものでもある。

昨年から今日にかけて、日々従事している活動の内容もその深さも随分と変容を遂げたように思える。それが人間の発達というものなのだろう。

昨年の冬も、私はこの大空を見るために砂浜を散歩していた。その時にこの空に行った意味付けと、昨日自分が行った意味付けは確かに異なるものだった。

同じ対象から異なる意味を汲み取ることができるという奇跡。私は、発達という奇跡についてしばらくぼんやりと思いを巡らせていた。 大空を眺めていると、発達を遂げていく自己に加え、変わることのない自己についても考えが及んだ。自分の内側には、変容を遂げていく自分と不変な自分がいることがわかる。

不変な自分とは、自分自身の芯のようなものであり、裸体としての自己だと言っていいかもしれない。まさにそうした自己こそが、如的な自分なのである。山口県光市: 2017/12/31(日)08:43

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