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1901. 人生の最後の瞬間


今朝は五時半近くに起床し、六時前から一日の活動を始めた。書斎の窓の外から景色を眺めてみると、連日降り続いていた雪が、昨日の雨によって全て溶けていた。

一面が雪化粧の世界だったところから、再びこれまでの日常世界に戻った感覚がある。どうやら今日も雨が降るらしいが、明日は晴れの予報が出ている。

少し先の天気予報まで確認してみると、晴れの日が続くことがわかり、少しばかり安堵の気持ちになる。というのも、ここ数ヶ月間、雨の日がやたらと多く、晴れの日を拝めることは稀だったからだ。

こちらで言うところの梅雨の時期を乗り越え、現在も寒いことには変わりはないが、少しばかり晴れの日が増えることを嬉しく思う。ちょうど日本に一時帰国する時も天気は雨ではない。 そのようなことを書き留めていると、ポツポツと雨が降り始めた。闇の世界を背景にした窓にぶつかる雨滴を眺めながら、先ほどの夢について思い返していた。

豆粒のような人間の赤ちゃんが同じぐらいの大きさの犬となり、それが今度はサバになる夢だ。そして、そのサバは干しサバから焼きサバになり、サバの煮付けへと変化し、そこから犬の魂へと変容していく過程を描いた夢だった。

一見すると解釈の難しい夢だが、それは生命の変容過程と魂の転生過程を描いているように思える。 昨日、大学のキャンパスに行くために、小さな家々が立ち並ぶ近所の石畳の道の上を歩いている最中、「自分は人生の最後の瞬間に文章を書いているのか、それとも作曲をしているのか?」という問いが立った。

私はキャンパスに向かって歩きながら、その問いについて真剣に考えていた。「私は人生の最後の瞬間に、文章を書いているのだろうか?それとも作曲をしているのだろか?」という二択の問いであり、人生の最後の瞬間に行うことは他にないようだった。

以前の私は、自分の生命が最後の瞬間に向かうまでの全ての過程を文章で書き残しておきたいという強い思いがあった。しかし昨日の私の回答は、文章ではなく、人生の最後の瞬間には、作曲を通じて生命の終焉までの全過程を表現したい、というものだった。

人生を終えようとする際の、言葉にならない世界に移行していく過程の中で起こる、言語を超越した内面現象を音楽として記録しておきたいという抑えがたい思いがあるようだった。私は石畳の道を歩きながら、自分の取るであろう行動に納得していた。

それは賢明な行為に思えたし、それは自分の人生を生きることを象徴していると納得した。人生を終える最後の瞬間に、その人間の生き様が一粒の確かな粒子として立ち現れ、それが優しい炎に包まれて静かに燃えていく心象イメージが私の内側に起こった。

気がつくと、私は大学のキャンパスの前にいた。2017/12/14(木)06:33

No.546: Go Back to Myself

I’ll leave my house at 9 o’clock to go to Amsterdam Airport.

My inner world is quite calm today, though I’ll go back to my home country.

It implies that Japan and I are being integrated at last.

Japan does not exist outside of me. It does inside of me.

Rather, I can say that Japan and I are one without borderline.

The notion that I am Japan——not Japanese——is a revelatory finding.

Why haven’t I noticed it thus far? I’ll go back to Japan three hours later, which means that I’ll go back to myself. 06:10, Wednesday, 12/20/2017

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