昨日は夕方から、「システマティックレビューの執筆方法」のコースの第三回目の課題に取り組んでいた。各回のクラスに合わせて、そのクラスが行われた当日か翌日に課題をこなすようにしている。
このペースで課題を進めていくことが最も望ましいように思える。この進め方を採用すれば、クラスで習得した観点が記憶に新しいうちに、課題を進め、次回のクラスまでに何度か課題を見直し、次回のクラスで担当教授に質問をすることができる。
各回の課題は毎週提出する必要はなく、全六回の課題をまとめて期末に提出する。そのため、上記のようなペースで課題に取り組んでいけば、課題への回答の質を循環的に高めて最終的な提出を行えるだろう。
昨日に取り組んでいたのは、実際に論理演算子を用いながらキーワード検索をし、結果として表示された論文をシステマティックレビューに活用するかどうかの判断を行っていくということだった。
この課題の面白いところは、教育科学の領域では優れていると言われているシステマティックレビューの論文を一つ取り上げ、その論文のシステマティックレビュープロセスを批判的に検証していくということだ。
つまり、担当教授の一つの大きな意図は、教育科学の領域におけるシステマティックレビューの論文は、医学の領域におけるそれと比較して、まだまだ低い水準にあることを伝えることにあると言えるだろう。
担当教授から提示された二つの論文のうち、自分が取り組みたいものを一つ選び、実際に私が取り上げた論文は、キーワードの選定に難があった。具体的には、当該システマティックレビューの意図に照らし合わせると、キーワードに包括性がなかったのである。
そのため、医学の領域におけるシステマティックレビューの執筆方法に関する論文を参考にしながら、キーワードを設定する際の四つの基準に沿って、再度キーワードを設定し直した。それを論理演算子を用いながらデータベースに入力し、その結果を精査していくということを昨日取り組んでいた。
システマティックレビューのプロセスに沿って手を動かしていると、ふと、このプロセスは前職時代の経済分析と非常に似ていると思った。前職時代における経済分析とは端的には、クライアント企業の実態に似通った比較対象企業を見つけ出していくことを意味している。
実際にデータベースを活用しながら、比較対象企業を選定し、そこからそれらの企業の有価証券報告書を精査するというのは、今まさに私が行っているシステマティックレビューのプロセスの一端をなすものである。
実際に昨日は、まるで有価証券報告書をダウンロードし、それを精査するかのように、採用・除外要件をくぐり抜けた論文をダウンロードし、その中身を確認するということを行っていた。
前職時代を振り返ってみると、そうした経済分析は私の中では面白い仕事の一つであり、システマティックレビューに対して抵抗感なく、むしろそのプロセスの中に面白さを見出していたのは、そうした背景があるのだろう。 今日は昼食後に、「応用研究手法」の第三回目のクラスがある。午後のクラスに向けて、“Difference-in-Difference”という手法に関する論文を一つほど読み進めておきたいと思う。
今日もとても充実した一日になりそうだ。2017/11/30/2017(木)08:48
No.489: Music as a Letter
I will closely investigate great music scores like I read a letter.
Analyzing a music score should be like reading a someone’s letter.
I realized it while I was looking at one of Grieg’s music scores.
From this finding, I thought that past great composers created music as a letter for all human beings.
I also want to do it, yet not only for all human beings but also for all sentient beings.
My music must be for all sentient beings. 09:52, Thursday, 12/7/2017