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1733. 二つの印象的な夢


今日は午前中に、「評価研究の理論と手法」のコースの最終試験に向けて、テキストを能動的に読み込んでいた。

多種多様な研究デザインの一つ一つの特徴を抑え、それぞれのデザインに固有の限界と、それらを克服していくための方法に関する理解を一つ一つ深めていくことは、幾分労力の要することである。

また、それらの研究デザインのうち、実際に自分の研究で使うものがどれほどあるのかは疑問だが、自分が活用しないであろう研究デザインが他者の論文の中に現れることは頻繁にあるだろうから、手間暇をかけながらでも、一つ一つの研究デザインについて理解を深めていくことは重要だと思う。

以前の日記で取り上げた形で、知識のネットワークを可視的に構築していく読み方を行っているが、やはりこれは非常に効果がある。論文や専門書の情報をマインドマップ専用のソフト上に、ネットワーク的に配置する際に、一つ一つの要素の理解度を自分で検証することを絶えず行っている。

一つ一つの情報を自分の言葉で説明する際に、理解が曖昧なものはすぐに明らかになる。このように、自分の言葉で情報を外側に出そうとし、それを可視化しようとすると、理解が浅いものは即座に明らかになる。

そうして浮き彫りになった理解の浅い箇所を、もう一度論文や専門書に立ち返って理解を深めることを何度も行っていた。実際には、一回テキストに立ち返っても、すぐに自分の言葉で説明できない箇所がいくつもあり、それらについては何度もテキストの該当箇所を読み、そこからようやくネットワーク的に情報を配置することができるようになる。

午後からも引き続き、この実践に従事していこうと思う。今日は昨日に引き続き、気温が極めて低い。

部屋の中にいても寒さを実感する。何よりも、昨日からの暖房と温水の問題がまだ解決しておらず、家の中は暖房が効かず、温水も出ない状態のままである。

こうした状態が、寒さに追い討ちをかけている。すでに昼食の時間となったが、昨夜の夢の断片がまだ記憶の中にある。

昨夜の夢には、前職時代にお世話になった方たちが何名か現れていた。二つほど印象に残っている点がある。

一つは、同僚が、ブルーレイ再生ディスクを私の机の引き出しから持ち出し、昼休みの時間を使って映画を見ていたことである。昼休みの時間が数分過ぎても、その同僚はまだ映画を見続けていた。

すると突然、二人の上司が現れ、勤務時間中に映画を見ていることを激しくとがめ、その同僚を引きずりながら別室に運び去っていった。私は、自分のブルーレイ再生ディスクが没収されることを心配していたようであり、なんとかそれが没収されずに済んだことに安堵感を抱いていた。

そこから夢は続き、二つ目として印象に残っているのは、ある女性の上司と共に製薬会社の現状分析を行った後、お互いの顔のパーツを巨大なコンピュータースクリーンから選び出すことを行っていたことだ。

これは完全に遊びの一種であり、お互いが一つの仕切りを挟んで、各人の目の前にあるスクリーン上に相手の顔をコンピューターグラフィックで再現していくものである。私は、その上司の顔を再現するよりも先に、その方が自分の顔をどのように再現しているのかに関心があったので、その場を離れ、上司が向き合っているコンピュータースクリーンに近づいていった。

すると、顔の輪郭に関しては非常に上手く再現されており、非常に驚いた。上司は、私の口を再現することに苦戦しているようであり、上司がパーツの候補を選ぶたびに、私は横から茶々を入れた。

そのゲームに興じていると、社内の中で仕事に関して最も厳しい方が私たちの目の前を取り過ぎていった。その方は私たちの方を一瞥した後、無言で自分のデスクに向かっていった。

上司と私はそれを見て、お互いの顔の再現が未完成のまま、そのゲームを終えることにした。 この夢の後、私はまた別の夢を見ていた。広大な平野の中に、天に続くような巨大な建物がひっそりと建てられており、その中に入って上へ上へと向かっていく夢だった。

その建物は外見上、階段のような作りになっているのだが、中に入ってみると、そこには階段のようなものは一切なく、建物の中が複雑に入り組んでいた。そうした複雑な構造と共に、建物の中は微妙な傾斜があり、その傾斜を上がっていくと、どんどんと天に近づいていくようだった。

建物の外で、一人の老賢人がこの建物の特徴を説明してくれた。しかしながら、建物の中には一切の人はおらず、複雑な構造と天がかすかに見える建物の天井部分が遥か彼方に見えただけだった。2017/11/3(金)12:31

No.378: Love for Learning As John Dewey argues, the essence of education is not simply fostering a habit of learning but nurturing a love for learning.

I strongly believe that it is foremost important not only for child education but also for adult education.

Even adults can acquire such a love for learning.

It must be our intrinsic nature as human beings that are destined to continuously learn throughout life. 10:31, Monday, 11/13/2017

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