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1611. 最後の日からの審判


今週も日曜日が静かに終わりに近づき、また新しい週の到来に向けて準備を始めた。一日、一日と、日が沈む時間が早くなってきている。

書斎から見える景色はもう暗闇に包まれており、少しばかり強い風に揺られる木々の姿だけが確認できる。木々の揺れを見ていると、人間発達における揺らぎの重要性を思わずにはいられない。

発達心理学者のロバート・キーガンの主体客体理論において、現在の主体が次の発達段階に移行する際には、主体と客体との間に生じている不均衡を克服し、新たな均衡を生み出すことが求められる。

不均衡を克服する以前に、発達において不可欠なのは、主体と客体との間に存在する不均衡だ。主体と客体との間の不均衡は、主体を取り巻く他者や環境などによって生み出される。

端的に述べると、私たちは、取り巻く他者や環境とのやり取りの中で生み出される不均衡を経験しなければ、現在の段階から次の段階に成熟を遂げていくことはできない。均衡さを確保する以前に、適切な不均衡状態にさらされているかどうかは、さらなる発達のカギを握る。

オランダで過ごす二年目においても、絶えず小さな不均衡さを経験するような気がしている。置かれている自然環境や、出会う人たちとのやり取りは、小さな不均衡を連続的に生み出していく。

夜は朝以上に、短調の音色のような思考が訪れやすい。今もそうかもしれない。

なぜ自分は今ここにいるのか、なぜ自分は今この活動や仕事に従事しているのか、そればかりを考える。

明日は本当にやってくるのか、自分は明日どこにいるのか、そんなことを考える。とりとめもないことを考え過ぎてはないだろうか。そのようなことを絶えず考える。

自分は何か一つの仕事を形にすることができるのだろうか。そんなことを考える。

絶え間なく流れていく思考や感覚に飲まれないようにするために、何とかそれらを言葉で形にしてみてはみるものの、激流のようなそれらの流れは収まらず、思考や感覚が拡散しているのではないか、と危惧する自分がいる。

一つの意味を持ったまとまりを生み出すことがいかに難しいことであり、いかに尊いことか。自分にそれができるだろうか。

今からずっと先の最後の日について考えない日はない。米国での生活において、このようなことはなかった。

何か自分の内側で変化があったのだろうか。なぜ私は、自分の人生の最後の日を毎日考えるのか。

考えるだけではない、毎晩それに触れている自分がいるのだ。自分の人生の最後の日に触れる感覚を経験したことはあるだろうか。

それは敬虔な感覚を引き起こすとともに、自分が今行っていることの一切を白紙に戻す。人生の最後の日に触れる感覚は、日々の考えや行為そのものを、すべて一旦白紙に戻す力を持っている。

その感覚は、「人生の最後の日もそうした考えを持つのか?」「人生の最後の日も本当にそうした行為に従事するのか?」そんなことを絶えず問うてくる。その問いに対して肯定的な返答ができないのであれば、現在の自分の考えや行為はどこかおかしい。

なぜ最後の日に考えもしないことや、やりもしないことに今従事するのか。毎晩毎夜、私はこの感覚の検問を受ける。

無音の検問でありながら、轟音を引き起こす検問だ。今日の自分の発想の枠組みの未成熟さ、行為の不当さが、静かに明るみになる。

夜は暗いのに、自分の内側は、自己の未成熟さと行為の不当さによって白く照らされている。欧州での毎日は、この薄白い光の中で就寝に向かうことによって終わる。

今日という一日もまた、人生の最後の日からの審判を受けながら、静かに終わっていくのだろう。だが、この審判は終わることはない。

少なくとも、欧州で過ごす残りの一年間はそうだろう。2017/10/1(日)20:28

No.256: INUS Condition of Human Development I learned an interesting concept, which is called an “INUS condition.”

It represents an insufficient but non-redundant part of an unnecessary but sufficient condition. It sounds very abstract, and thus I will write down a brief example of human development.

In general, optimal challenge causes our development. However, it is insufficient because it cannot bring about development without other conditions (e.g., optimal support).

In addition, it is non-redundant in that other factors such as optimal support and a developmental conflict——disequilibrium between subject and object in terms of Robert Kegan’s developmental theory——uniquely contribute to development.

Furthermore, it would be difficult to insist whether optimal challenge really caused further development if a person just overcame a developmental conflict at the same time.

Finally, optimal challenge is part of a sufficient condition to cause further development in combination with other factors.

Yet, the condition is unnecessary because there are many other sets of conditions that can bring about development (e.g., a developmental conflict and coaching).

While writing down an INUS condition of human development, I realized that it was meaningful to contemplate other constellations of factors to cause further development. 20:05, Monday, 10/2/2017

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