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1602. 書く自分


昨日からずっと、ポルトガル出身のピアニストであるマリア・ジョアン・ピレシュの演奏を聴いている。21時間ほどに及ぶソロレコーティングを前にした時、こうした巨大な表現物に強くひかれる自分がいることを再確認した。

今この瞬間、書斎の中にはモーツァルトのピアノソナタが響いており、曲目を確認すると、これからシューベルト、シューマン、ブラームスへと移っていくようだ。おそらく今日はずっとピレシュの演奏を聴くことになるだろう。

早朝のフローニンゲンは、依然として白い霧に包まれている。一日の始めに日記を書くことによって、私はその日の活動に向けた準備をしていることに気づく。

正直なところ、いつも日記を書こうとするような意識はなく、気づけば書いている自分がいるだけなのだ。それは、書くということが完全に自分の習慣となり、書くことが呼吸をすることと等しい状態になっていることを示唆している。

論文や日記の執筆にせよ、作曲にせよ、書こうという意識が働くから書けないのだ。そもそも、書こうと思わなければいいのである。

それは少々乱暴な言い方であるから、より正確には、書こうという意識が消え去るまで書くという鍛錬をすればいいのだ、と言い換えることができそうだ。行為を意識しない行為こそ、究極的な行為である。

書いている自分を意識することなどなく、書いていた自分がいたということだけが後々になってわかるだけでいい。とにかく書くということ。

書くということがいかに習慣になったとはいえ、書くことに関する修練はまだ足りない。書くという行為と自己の本質との間に、薄皮が二、三枚見え隠れしているのを自分は知っている。

その皮が完全になくなるほどまで書き続けていく。書くという行為が完全に自己になり、自己が書くという行為になるまでには、かなりの年月を要するように思える。

とにかく、書こうと思って何かを書こうとするような甘さないらない。行為をなそうと思って何か行為をなそうとするような段階を超えていかなければならない。

書くという意思が介入しないほどに、書くという行為を自己に近づけ、自己を書くという行為に近づけていく。 早朝の白い霧は一向に晴れる様子を見せない。今日は午前と午後に、ミーティングがあり、それ以外の時間は論文を読むことに充てたいと思う。「実証的教育学」のコースで取り上げられている課題論文はすでに読み終えているが、推奨文献についてはまだほとんど読めていない。

今日は七本ほどの論文を読めればと思う。七本の論文の中でもとりわけ、実証的教育学を哲学的に論じている論文をゆっくり読み進めたい。

実証データに基づいて教育を行っていくことは重要でありながらも、実証データの性質を理解しないまま教育を施していくことは危険である。そのような問題意識を持っている自分にとって、この論文は大きな関心を引く。

今日は論文を読むことに集中し、現在履修中のコースの課題については手をつけないようにする。2017/9/29(金)08:26

No.247: Partial Judgment It is often said that both evidence-based judgment and professional judgment are important.

Yet, it is not so easy to make both types of judgment simultaneously. Someone might heavily rely on evidence, whereas others might substantially depend on their professional experience.

The former people tend to neglect practical wisdom. On the other hand, the latter people are blind of the effectiveness of data.

I am wondering about the location of a core factor to cause this polarity. It might be the blindness of their attitudes and beliefs toward their judgmental styles.

I expect people who rely on evidence to verify their judgment by using data. I also wish people who depend on their professional experience to throughly inspect their judgment by utilizing their practical wisdom.

If they cannot notice the limitations of their judgmental styles by making full use of their preferential methods, it will unveil the fact that how partial their judgment is. 12:17, Saturday, 9/30/2017

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