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1599. カート・フィッシャーが提唱する「スキル」の定義


今日は昼食前にランニングに出かけたことにより、自分の内側のリズムがより均整のとれたものになったように思う。実際に、午後からの仕事はどれも円滑に進めることができた。

そういえば、これまで一度も言及したことはなかったが、私は日々こなすべきことが何なのかを忘れないために、それらを裏紙にリストとして書き出している。仕事や日々の雑事を含め、私たちがこなすべきことは意外と多い。

こなすべきことが何であったのかをその都度思い出すことが煩わしく、優先順位をつけながら確実にそれらを遂行していくために、リストとして書き出しておくことは私にとってとても大事な習慣になっている。

書斎の机の右隅に置かれたリストを眺め、こなすべきことが全て鉛筆で上から消されている様子を改めて確認したところ、小さな充実感と爽快感を感じた。 ここ数日間、拙書『成人発達理論による能力の成長』を取り上げてくださった勉強会の中で、参加者の方から出てきた質問事項についてのやり取りを知人の方としていた。いくつか質問が出てきたそうなのだが、一つは、カート・フィッシャーのダイナミックスキル理論において、「スキル」というものがどのように定義されているのか、というものだった。

世間を見渡すと、人間の能力を指す言葉には、コンピテンシー、テクニック、キャパシティ、ケイパビリティなど多くの言葉が存在している。それらの言葉と、フィッシャーが述べる「スキル」というのはどのような関係になっているのか、ということが質問の趣旨だった。 「スキル」を厳密に定義することは、それほど簡単なことではないが、フィッシャーは、「スキル」を「具体的な文脈における具体的な課題に対して発揮される、思考・感覚・感情から生み出されるもの」と定義している。

つまり、フィッシャーは、スキルというものを、私たちが置かれた文脈の中で発揮する認知や行動と切っても切れないものだと定義しているのだ。一見すると、この定義は非常に掴みどころのないものに思えるが、それは私たちが発揮する「スキル」の持つ深層的な側面を捉えているように思う。

実際には、フィッシャー自身、自らの実証研究を積み重ねていく中で、「スキル」の定義を絶えず洗練させていたことが伺える。フィッシャーが執筆した、1980年時代の論文から2010年代の論文をつぶさに読み解いていくと、フィッシャー自身の「スキル」への捉え方が変容していることがわかる。

やはり、言葉の定義というのは簡単にできるものではなく、当人の思想的深まりに応じて、定義もより深まっていくのだと感じさせられる。厳密な定義というものを、仮に究極的な定義だと言い換えれば、フィッシャーは最終的には、「スキルとは存在である」と述べても過言でないほどに、その言葉の中に深い意味を込めている。 そのため、日本語のカタカナにある「スキル」という語感に囚われている限り、フィッシャーが述べるスキルの意味はなかなか理解できないだろう。私たちの存在そのものが、置かれた文脈によって千変万化するという特徴を踏まえると、フィッシャーがスキルを存在そのものだと捉えている思想には大変共感させられる。

私たちの存在は、取り巻く関係性の変化によって動的に変化し、そこで生み出される思考・感覚・感情も必然的に動的に変化する。フィッシャーが述べるスキルの本来の定義は、具体的な課題に対して発揮される、動的に変化する思考・感覚・感情を指すが、フィッシャーの発達思想を踏まえると、「ダイナミックスキル」とは「動的に変化する自己」だと捉えたほうが良いように思う。 ただし、こうした究極的な定義のままだと非常にわかりづらいため、能力を指す他の用語との関連性から考えるとさらにわかりやすいだろう。特に、コンピテンシー、キャパシティ、ケイパビリティとスキルの関係については、企業人の方からよく質問を受ける。

経営学においても、能力の次元に着目し、上記のような能力分類を提唱しているが、発達研究をしている者から見ると、それはタイプ論の域を出ない。端的に述べると、フィッシャーは上記の三つの概念を一本の線で貫くものとして、スキルという言葉を用いている。

例えば、経営学における能力の分類においては、行動特性の意味で用いられるコンピテンシーに対して、質的差異を認めることはほとんどないだろう。しかし、フィッシャーは三つの概念を一貫してスキルとして捉え、13個のレベルを当てることによって、コンピテンシー——キャパシティやケイパビリティ——にもレベルがあることを指摘している。

それら三つの用語とスキルの関係性を捉えようとするならば、それら三つの概念を一本で貫く概念がスキルだと考えるとわかりやすいのではないかと思う。このように捉えれば、いかに表面的な能力に思えても、それはスキルであり、質的差異を認めることができる。

また、いかに深層的な能力であったとしても、それはスキルであり、そこには質的差異があることを認めることができる。

要約すると、フィッシャーが述べる「スキル」というのは、一般的な意味でのスキルとは全く異なったものであり、私たちが置かれた文脈に応じて発揮する能力を包括的に指すものであり、フィッシャーの定義の中で重要なのは、発揮するスキルには常に質的差異が内包されているという点である。

言い換えると、コンピテンシー、キャパシティ、ケイパビリティであっても、三つの概念がそれらに内包される質的差異を認めているのであれば、それらはフィッシャーが述べるスキルに含まれるものとなり、質的差異に着目していないのであれば、それらはフィッシャーが述べるスキルに該当せず、単なる行動特性の分類に留まる。

いただいたその他の質問については、また機会を見つけてここに書き留めておきたいと思う。2017/9/28(木)18:21

No.244: Reciprocal Relationship between Writing and Thinking Starting to write after thinking is not writing.

In other words, it misses the intrinsic nature of writing. The inherent characteristic of writing is the interdependent and continuous relationship with thinking.

Writing occurs during thinking, whereas thinking emerges during writing. I cannot think without writing, and at the same, I cannot write without thinking.

I can find a reciprocal relationship between writing and thinking. While writing is an accompaniment of thinking, thinking is also the accompaniment of writing.

My self is always being cultivated by the two accompaniments. 08:58, Saturday, 9/30/2017

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