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1588. 人との縁への感謝


風もなく、音もない静寂な世界が辺りに広がっている。それはもはや「広がっている」と形容できるような類いのものではなく、無風即世界であり、無音即世界だと言った方が正確かもしれない。

今日も今日が始まった。昨日も今日が始まっていた。明日も今日が始まるのだろう。

今日は、過去・現在・未来という項を括る共通項だ。共通項の特徴は何だっただろうか。

それは、全ての項に共通して存在するもの、というシンプルなものだ。だが、それは畏怖を感じざるをえない特徴ではないだろうか。

過去も現在も未来も、それらの表皮を剥ぎ取れば、全てが今日でした、と笑いながら顔を覗かせるかもしれない。真っ暗闇に包まれた朝に、なぜこのようなことを私は考えているのか不思議である。 昨日に最も印象に残っているのは、やはりミヒャエル・ツショル教授との出会いだった。ツショル教授との出会いについて、昨夜の就寝前にも少しばかり考えていた。

私は、つくづく人との縁に恵まれることに感謝をしていた。誰に感謝するのでもなく、縁そのものへの感謝の意を捧げていた。

昨日の夕方に、ツショル教授に論文のスーパーバイザーを近い将来に正式にお願いするかもしれないという旨のメールを送った。その返信の中に、昨日の講義の後のやり取りの内容が含まれていた。

ツショル教授は私に博士課程の進学を強く勧めてくれた。ツショル教授は米国の大学で六年ほど研究を行っており、米国の大学院事情にはかなり精通している。

そのため、私が米国に戻るのであれば、研究内容との兼ね合いでどこの大学がふさわしいかについて、今度話し合おうと申し出てくれた。また、フローニンゲン大学に残るのであれば、一緒に研究を進め、それを博士論文としてまとめ上げていこうという親切な提案もしてくれた。

人間発達と教育を科学的かつ哲学的に同時に探究できる大学は、世界を見渡しても数は限られている。ダイナミックシステムアプローチや非線形ダイナミクスと教育哲学の双方に関する探究をより進めながら、人間発達と教育に関する研究を進めていける場所はそれほど多くない。

私の中ではすでに候補先の大学があり、その大学の様子についてツショル教授に尋ねてみようと思う。当たり前のことなのだが、その人の人柄は人に対してどのように接するかに如実に現れる。

教授という立場にあれば、学生や若い研究者にどのように接するかは、その人物の人柄を偽ることなく物語る。昨日のクラス後のツショル教授との対話、夕方のメールのやり取りは、ツショル教授がどのような人柄を持っているのかを示すには十分だった。

ツショル教授には、論文アドバイザーを含め、今後の共同研究者として長くお世話になるような気がしている。昨年のサスキア・クネン教授と同様に、私は自分を支えてくれる人に恵まれている。

今日の午後、来週に控えた卒業式の件でクネン先生にメールをしておこうと思う。クネン先生が式の際に私へのスピーチを行ってくれることになっており、式の開始の時間について連絡をしておきたい。2017/9/26(火)06:33 No.233: Misty Weather The weather is a little bit gloomy today. It is covered with mist that creates a mystical atmosphere.

The foggy weather also looks like an insurmountable distance between people, but it may sound enigmatic.

An infinite number of layers in the mist made me feel that we could not easily reach the essence of others.

We often get lost when we try to understand others, which is similar to the situation where we lose the way in hazy weather. 13:06, Wednesday, 9/27/2017

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