今日の早朝は嬉しいことが一つあった。それは、起床時に小鳥の鳴き声に誘われる形で目覚めたことである。
寝室の窓の外で、小鳥の鳴き声がこだまする音によって目覚めることができたのだ。こうした形で目覚めるときほど幸福感に満ちた一日のスタートはないであろう。
目覚めた瞬間、自然と共存し、自然の中に溶け込む形で日々の生活を送りたいと改めて思った。私たちの日常生活は、科学技術の進歩もあり、間違いなく便利になっているのは確かである。
だが、現代社会には人工的な物質があまりにも多すぎるように思う。そうした過剰な人工物が、私たちの生活の質をむしろ下げていることすらあるように思えてくる。
例えば今日の起床時に、人工的な目覚ましと鳥の鳴き声のどちらで目を覚ますことが自分に幸福感を与えてくれるかを考えてみると、生活の中に自然を感じることがいかに重要かを痛感させられる。小鳥の鳴き声ひとつでも、これほどまでに朝の目覚めが幸福感に満ちたものになり、今日という一日の生活の質がより豊かなものになったように思うのだ。 北欧から戻ってきて以降は、少しばかり睡眠時間が多くなっていた。というのも北欧で風邪の初期症状のようなものを患い、それを回復させるために十分な睡眠が必要だったようなのだ。
しかし、今日からは再び通常の時間に起床することができた。自分の状態を確認してみると、風邪の初期症状は見事に収まっている。
身体が回復し、今日から再び活力をみなぎらせながら仕事に従事するということを祝福するために、あの小鳥たちが寝室の窓の外で歌を奏でてくれていたのかもしれない。
昨夜は少しばかり印象に残る夢を見た。夢の場面は、実際に私がかつて住んでいた山口県の社宅だった。
私が住んでいたアパートの前には公園があり、その公園で両親と遊びとは言えないような謎解きのようなものに取り掛かっていた。すると突然、激しい雨が降り始めた。
私は傘を持っていなかったのだが、大きな羽毛布団を持っており、それを使って雨を防いでいた。謎解きは一向に進まず、羽毛布団を雨よけにしてしまうと、布団が台無しになってしまうような罪悪感が自分を襲った。
さらには私は受けなければならない試験が差し迫っており、その日に2科目終了していたのだが、残り10科目の試験があった。夢の中で指を折りながら具体的な科目名を挙げてみると、英語が3科目、数学が4科目、社会が2科目、理科が1科目だった。
その試験に向けて学習時間をする充てることはとても馬鹿らしいことのように思えたが、公園を後にし、羽毛布団を持って三階の自宅に戻ろうとした。階段を上っていると、以前四階に住んでいた方と鉢合わせになり、挨拶をした。
すると、上っている階段とは反対側に下り専用の階段が現れ、階段の片隅に、詰め込まれた書籍ではち切れそうになっている自分のカバンが置かれていることに気づいた。
それを拾いたいという気持ちが当然あったのだが、上り専用の階段から下り専用の階段へどう移行すればいいのかわからなかった。また、雨に濡れて重くなっている羽毛布団を早く自宅に持って帰りたいという思いから、自分のカバンを拾うことを断念し、自宅に戻ることにした。そこで夢から覚めた。 公園内で行っていた不思議な謎解き、突然の激しい雨、傘代わりとなった羽毛布団、高校時代を彷彿とさせるような科目の試験、不思議な下り階段、書籍の詰められた自分のカバン、そして下り階段に行く方法がわからずにカバンを置き去りにする自分。
それら一つ一つが間違いなく何かを象徴しているように思える。夢の記録から始まる一日。
今日は晴天のようであり、爽快な気分で今日の仕事を進めることができそうだ。2017/8/21(月)
No.100: Franz Schubert I was struck again by the prolific music composition of Franz Schubert.
He died quite young, but he produced a myriad of pieces of music. Schubert was a precocious and prolific composer.
His attitude towards his work to compose music ignited my spirit yesterday. Presumably, I will purchase complete music scores of his piano sonatas in order to dialogue with him through his scores.
What brought him to his ceaseless creative work? What was his zest? Sunday, 8/27/2017