思っていた以上に日が暮れるのが早くなった。昨日よりも10分ぐらい早く日が沈み、暗闇が訪れた。
一日の振り返りをする際に、それを闇夜の中で行うのは随分と久しぶりのように思われる。書斎からの景色が真っ暗闇に包まれると、随分と自分の内的感覚が変わるものである。
書斎の中で鳴り響く音楽についての印象も変わり、静かな闇夜の世界は、自己の奥底に沈んでいくことを促すかのようである。午前中にピタゴラスの業績について考えることがあった。
その中でふと、円が存在するためには中心点が必要であるという当たり前のことに再度考えを巡らせていた。仮に自らの存在を一つの円だと捉えた時、果たして私たちは自己の中心点を知っているだろうか。
それが何であるかを明確に認識し、中心点を持つ一つの円として日々を生きているだろうか。そのようなことを考えていた。
一つの円が他の円と関係を持ち合う時、「縁」が生まれる。人と人との間に真に縁が生まれるためには、円が存在していなければならず、円が存在するためには確固とした中心点が必要である。
確かに全ての人間は縁によって関係を結んでいるかもしれないが、縁によって真に他者と強く結ばれるためには、個たらしめる中心点が必要であるように思う。さもなければ、他者と縁を結ぶための円の輪郭が曖昧模糊としたものになり、相互に影響を与え合う真の縁が生まれることはないだろう。
断続的に降り続ける雨を眺めながら、そのようなことを考えていた。 書斎の外に広がる世界が、本当に闇の世界に消え去っていく。見えるのはもはや街灯の明かりや遠くの家に灯る光だけとなった。
そして、また雨が降り始め、雨が窓ガラスにぶつかる音がこだまする。全てのものが暗闇に消えゆく様を見ながら、仮に自己が消滅した後に何が残るのかを考えていた。
これは北欧旅行の際によく考えていた主題であった。肉体の消滅の後にも、自らの魂や霊性は不滅であることの確信を得てからしばらくの時が経つ。
今書斎の中で静かに自分の声を聞くと、もう少し先の重要なことが見えてきた。そうした魂や霊性というのは結局何なのか。
それは自己が一生をかけて築き上げてきた縁なのだと思う。ある人間が自らの魂と霊性を具現化した言葉や作品が不滅であるのはそうした理由からなのだ。
彼らの言葉や作品が、時代を超えて多くの人に影響を与え続けていられるのはそういう理由からなのだ。仮に自らの肉体が朽ち果てようとも、この世界に生み出してきた創作物とそれを通じた他者への関与から紡ぎ出される縁は不朽不滅なのではないだろうか。
一人の人間を取り巻く縁は永遠に存在し続けるのではないだろうか。そうではないだろうか。
そうであれば、死というものをもう一度根本から捉え直さなければならない。2017/8/19(土)
No.96: Everyday is Our Birthday It’s nearly dawn. The light of the sunrise today will show up soon.
In parallel with the beginning of a new day, I feel as if I were reborn.
Today is a day for my rebirth. Our birthday is not a particular day. It is everyday. Saturday, 8/26/2017