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1445. 最後の日に向けた今日という最後の日


最後の日は遠いはずなのに、毎日が最後の日のように感じる。早朝のフローニンゲンは、自己と世界を隔てる一枚の薄い膜のような雲に覆われていた。

その膜のような雲は、太陽の強い光を通すことはなく、ただ少しばかりの明るさを地上に届けている。昼食後に激しい雨が降った。怒りのような、嘆きのような激しい雨だった。

書斎の窓からその光景を少しばかり眺め、何を考えるともなしに再び自分の仕事に取り掛かる。北欧からの旅を終え、やはりまだ自分の中で整理することのできないものが無数に存在しているようなのだ。

必ずやってくるはずの最後の日はまだ遥か彼方にあるはずなのに、それがとても近くにあるような気がしている。一日一日を過ごしていく日々が最後の日として知覚されるのである。

しきりに昔のことが思い出されたり、自分が出会ってきた全ての人たちの顔が思い浮かぶ。この世界で生きてきたことと生きていくことが、たった一人の歩みであるのと同時に、たった一人の歩みではないということがわかるのではなく、見えるのだ。そしてそれに触れることができるのだ。

コペンハーゲン、オスロ、ベルゲンへ訪れ、フローニンゲンに帰ってきた私を包むのは決して絶望でも希望でもなかった。自分を包むのは、静と動を折り重ねた一枚の衣のような感覚だ。

私は、一人の人間として生きなければならない。一人の科学者として研究を行い、一人の実務家としてこの世界に関与しなければならない。そこには具体的な肉体があり、具体的な活動があり、具体的な人々がいる。

そうした具体的なもの全てが、一枚の衣の中に包まれ、その衣が優しく揺れる姿を眺め続ける意識状態が続く。数年後の未来など見えるはずもなく、明日もわからない。

昨日という日が存在したのかすらもわからない時間感覚が続く。ある街のある家の扉を開けた瞬間に、地球の反対側の街の、ある家の扉から外に出ていたという感覚。地上界に咲く野花を何気なく眺めていたら、天上界の小川のほとりに立っていたというような感覚。 音楽。音楽の持つ力に存在が震えさせられる体験を今日もした。

音楽はこの世界の神秘の一つだろう。自分のために、誰かのために音楽を作りたいという思い。それは科学的・哲学的な探究に従事するのと全く同じほどの強い思いである。

北欧諸国を巡りながら、自分は救いを求めていることが見えてきた。だが、決して救われないことを知っている。ただし、救われない世界のその先に救われうる世界の姿が少し見えたのだ。 書斎の中にピアノ曲が鳴り響いている。一つ一つの音の進行と同時に、時が刻まれていく。

今この瞬間の自分は、全ての事物が生成される館にいるかのようだ。そこは時も流れない。そこにあるのは、永遠の果ての一歩先にある永遠と無限の空間的広がりだけである。

最後の日に向けた今日という最後の日を充実したものとするために、再び夕方からの仕事に取り組みたい。2017/8/18(金)

No.90: My Second Academic Year at University of Groningen ——The world exists for the education of each person——Ralph Waldo Emerson

My second academic year at University of Groningen will start from this September.

Since my first year ended in the middle of June, I have waited for the beginning of the new academic year for a long time.

In retrospect, I have devoted myself to my work for the past two and half months, which could cultivate my academic and professional expertise.

I also expect the second year to expand and deepen my expertise. As Emerson points out, I can’t help but think that the world in the second year will exist to educate me. Friday, 8/25/2017

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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