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1422.【北欧旅行記】ムンク美術館を訪れて


早朝、朝食を済ませて少し休憩をしてからホテルを出発し、ムンク美術館に向かった。今日は昨日以上に良い天気であり、朝から太陽の光りがオスロの市内に降り注いでいた。

早朝は半袖では肌寒かったが、ムンク美術館に到着する頃には体が温まるだろうと思いながら美術館に向かう。昨夜調べてみると、オスロの街は東京に続いて、世界で二番目に物価が高いことを知った。

確かにこの街の物価は高いのかもしれないが、中心街を離れて少し郊外に行けば、とても住みやすい住環境が広がっていることがわかる。どうやら私は、オスロの街に対して好意的なようだ。

ムンク美術館に向かう最中、街の大通りから離れた道を歩いていると、この街の人々の生活の様子を少しばかり垣間見ることができた。八百屋や床屋など、この街の市民が日常足を運ぶ店を眺めてみると、世界のどの場所においても人間の生活の様子はさほど変わらないことに気づく。

ムンク美術館に通じる道へ向かって左折をすると、その道は緩やかな坂道になっていた。坂の頂上の左側に緑豊かな公園が見え、坂の右横がムンク美術館だ。

開館から数分ほど遅れて到着すると、すでに少しばかり列ができていた。だが、チケットの購入にそれほど待つこともなく、比較的速やかに入館することができた。

他の美術館ではあまりお目にかからないが、ムンク美術館では手荷物をロッカーに預けた後、空港のセキュリティのようなゲートをくぐる必要がある。それほどまでに警備が厳重だ。

ムンクといえば、『叫び』という名前の作品がすぐに思いつくだろうが、それはこの美術館には所蔵されておらず、それはオスロ国立美術館に所蔵されている。館内で中国人の家族が、その作品がムンク美術館に所蔵されていると思っていたらしく、係員に尋ねているところを偶然見かけた。事前によく調べていなければ、その中国人だけではなく、その他の多くの人が同じ思い込みをしているのではないかと思う。 ムンク美術館に所蔵されている作品の中で、私を捉えて離さなかった作品は二つほどある。一つは、館内に入ってすぐのところに飾られていた『太陽』という作品だ。

ムンクは太陽をモチーフにいくつか同じタイトルの作品を残しているようだが、私が身動きできずに捕まえられた作品は1910年から1913年にかけて制作されたものだ。これも何かの縁だろうか、昨日私がオスロの街中を歩いている時に目撃した「存在の輝き」を体現しているような迫力に満ちた太陽が鮮やかにその作品の中に描かれていた。

モチーフの太陽は、この世界の全ての存在に光を与え、全ての存在の魂を光り輝かせるかのような印象を与えた。この作品をずっと見ていたかった。幾分時を忘れ、時間感覚が喪失した世界の中に私はいた。

本当に自分を打つ作品、自分の魂と共鳴するような作品に出会った時、私たちにできることはただ一つしかない。それは写真で撮影するなどという馬鹿げたことではなく、ただその場に立ちすくんで自己の全てを明け渡すことだけだ。

そこでは自らの魂さえ明け渡すことになるだろう。だから時の感覚も空間の感覚も消失するのである。小さな自己は完全に滅却し、作品の奥の奥にある作品の魂の中に私たちは溶け込んでいく。

ふと我に返ったとき、「我に返った」という表現ほどその状態を表す正確な描写はないだろうと思わされた。我を手放し、我を預け、再び我に返ってくるのである。

自己と作品との本当の出会いというのはそのような状態を指すのであり、それを経験した前後の自分は同一のものではないことがわかるだろう。ムンクの『太陽』という作品は、私にとって忘れられない大切な作品となった。 もう一つ自分を捉えて離さなかったのは、ムンクの二枚の自画像である。一つはムンクの青年期の姿を描いたものであり、もう一つは晩年の姿を描いたものだ。

両者の作品は、美術館の出口に近いところに飾られていた。この作品の何に惹きつけられているのか、正直なところ最初はよくわからなかった。

なぜなら、それらは一見すると何の変哲も無いと思われる二枚の自画像だからだ。館内でこの作品を熱心に眺めていたのは私だけだったかもしれない。

それほどまでにこの作品の前に私はずっとたたずんでいた。この二枚の自画像から私が感じ取っていたのは、一人の表現者としてのムンクの成熟の歩みだった。

青年期から晩年にかけてムンクが辿ってきた長い歴史の重みが、両者の作品の間に横たわっているかのように感じられた。ムンクという表現者は、第一次世界大戦と第二次世界大戦という激動の中を生き、絶えず世界と向き合う中で作品を作り続けた人間だった。

ムンクの生き様の全てが、二つの自画像とその余白に込められているような気がしてならなかった。ムンク美術館の出口から外に出た時、真夏の太陽に照らされた新緑の木々が踊っているかのように見えた。2017/8/11(金)

No.67: Refined Simplicity for Sophistication ——Simplicity is the ultimate form of sophistication——Leonard da Vinci

Elegant simplicity extracts from sophistication, but mere simplicity may not generate sophistication.

Refined elegance requires sophisticated simplicity. My aspiration is to keep my writing and music composition as elegantly simple as possible. Saturday, 8/19/2017

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