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1386. 「色即是空・空即是色」を暗示する夢

August 16, 2017

早朝起床するとすぐに、季節が変わり目にあることがわかった。ここ最近、薄々とその変化の兆しに気づいていたのだが、今朝起きた時にそれが確かなものだとわかった。

 

八月に入って間もないが、すでに秋に向かって季節が動き出している。日が沈む時間が早くなり、日が昇る時間が遅くなっていることからもそれは一目瞭然である。

 

その時間差は微妙なものなのだが、毎日それを観察していると歴然とした差として知覚される。太陽の光が有るのと無いのとでは、随分と感情的な変化があるものであり、昨夜も就寝前にそれをしみじみと感じていた。

 

今朝は、朝日が顔を覗かせる前に起床していたこともあり、昨夜の就寝時と同様の気持ちになった。太陽の光は、人間の感情面にまで届くものなのであり、それは自然がもたらす一つの大きな恵みだと思った。

 

起床をし、書斎の机につき、早速の仕事に取り掛かる。書斎の窓から見える空はとても鬱蒼としている。濃い雲があるわけではないのだが、薄い雨雲が空全体を覆い尽くしているような朝だ。

 

太陽の沈む時間と昇る時間を観察し、そこに差異を見出し、それが自分の感情の差異を生み出していることについて触れたが、差異を発見し、その差異の中に潜む別の階層の差異を見つけることは非常に大切だと思う。

 

とりわけそれが自分の内面に関わるものであれば、そうした差異の連続的発見は内面の成熟に手を差しのばす。文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンが指摘するように、差異は見つけようとしなければ見つからないものなのだ。

 

昨日と今日の自分の差異に気づくことができるだろうか。自分の内側のどこにどのような差異が生じているだろうか。それがいかに微細なものであれ、量子的なものであれ、それを捉えようとしなければ、私たちの内面は成熟していかないということを最近強く実感している。

 

だが、私たちがひとたび小さな差異に気づくと、それはまた新しい差異を生み出し、仮に私たちがその新たな差異に気づくことができれば、差異の連続的な創造と連続的な発見に参与することが可能になる。

 

そうした参与は、絶え間ざる内面の成熟に要求される条件だ。その条件を満たすことができなければ、一人の人間の中で何かが深まっていくことなどないだろう。

空にかかった薄い雨雲の色が濃くなった。それは、これから雨が降ることを静かに告げている。

 

昨夜は久しぶりに印象に残る夢を見た。夢の中で私は、二つの土地をまたぐ線の境目にいた。それは国境線ではなく、単純にある土地をこちらとあちらで区切っているようだった。

 

こちらとあちらの土地の間には、巨大なフェンスが置かれており、私は、こちらとあちらの土地の人間同士で行われるサッカーバレーの試合に参加していた。あちらの土地の人間が空高くボールを蹴り上げ、フェンスを越えてこちらの土地に入ってくる。

 

それをこちらの土地の人間がトラップし、他の仲間にボールをつなぎ、その人物がボールを空高く蹴り上げて再びあちらの土地に送り返した。すると、あちらの土地の人間がボールを落とし、ミスが発生した。

 

それを見て、こちらの土地の人間は歓喜に包まれている。その感情は一過性のものであり、再び試合に戻り、巨大なフェンス越しにボールのやり取りがそれ以降何度もなされた。

 

自分がどれほどこの試合に関与していたのか定かではないが、ある時突然、あちらの土地の人間が馬になった。二本足で立ち、人間の言葉を発する馬だ。

 

こちらの土地からボールがフェンスを飛び越え、あちらの土地にいる一頭の馬がボールを受け止め、天高くボールを蹴り上げた。私は、天高く蹴り上げられたボールをただぼんやりと眺めており、それが豆粒のように小さくなっていくことを見たところで夢から覚めた。

 

人間が馬になり、丸い球体が天に向かって昇っていき、一つの点に回帰する夢。そのように夢の内容を要約した時、この夢が暗示しているのは、一人の人間の魂は「天」において「点」になるということかもしれないと思った。

 

天に向かって蹴り上げられたボールのその後が非常に気になるところだが、それはきっと再び地上に降りてきただろう。ここに上昇の道と下降の道を見出すことができるだろうか。

 

それを見抜くことができなければ、一人の人間の成熟過程について何もわかっていないことになる。馬が蹴り上げたボールは、まさにこの顕現世界における一つの形態なのだ。

 

しかし、その背後には一者である属性を持たない空性があるのだ。あのボールが空(そら)に向かって行ったのは、一つの形態が空(くう)なるものであるという「色即是空」を示していたのではないだろうか。

 

天に到達したボールはきっと地上に舞い戻ってきただろう。それが暗示するのは、まさに下降の道なのだ。

 

一つの点に帰したボールが再び地上に戻ってくるとき、それは空性の現れなのだ。つまりそれは、空(くう)は形態を持つという「空即是色」を示していたのではないだろうか。

 

人は上昇の道と下降の道のどちらかを歩もうとしがちである。私たちはそれらの両方の道を歩まなければならない。

 

一人の人間の成熟過程には、絶えずこの両者の道があり、それらの道を歩くことによって、真に人間が成熟していくということを暗示するような夢だった。2017/8/3(木)
 

No.31: Wish to See Space and Time in a More Colorful Way
I am on a train from Hamburg to Flensburg. I mentioned a spatial dualism of continuity and discontinuity. 

 

My thought jumped into the same issue about time. Time also comprises of continuity and discontinuity.

 

Yes, time passes minute by minute or second by second. It is so called discrete time. 

 

On the other hand, time also has differential aspects. Again, I cannot detect an in-between dimension of time. 

 

At best, I can find a discontinuous leap between discrete and continuous time. What space and time can be explained by only two concepts——continuity and discontinuity——makes me slightly disappointed. 

 

I would like to see space and time in a more colorful way. Tuesday, 8/8/2017

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