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1347. 英才教育について思うこと:幼少期の没入体験の価値


昼食前にメールを確認すると、編集者の方から連絡が届いていた。幸いにも、拙書『成人発達理論によるの能力の成長』が増刷となった知らせであった。

その知らせを聞いた時、成人発達理論の知見が徐々に日本の方に伝わっていることを嬉しく思った。これからも様々な形で、知性発達科学の知見を多様な領域の方に知っていただき、それぞれの領域で活用されるようになることを願う。

午前中の雨が止み、今は曇り空が広がっている。自分の仕事はこんなところでは終わらない。最後の最後の日まで、自分のなすべきことを継続させていく。 午前中にふと、幼少期の時にいかに何かに没頭した体験を持つかの重要性について考えていた。社会で普及している早期英才教育の中には、非常に大きな問題だと言わざるをえないものがある。

それは、前作と今作の書籍の中でも言及したように、子供たちの発達段階を無視した教育のあり方だ。それは往々にして、詰め込み教育を中心とした、過剰な情報を子供に押し付ける形でなされる。

特に、具体的な体験から乖離し、抽象的な概念を子供達に押し付ける訓練は、教育ではなく拷問である。これは知的鍛錬のみならず、身体的な鍛錬においても同様であり、過度なトレーニングは往々にして子供たちの発達を阻害してしまう。

そもそも、子供たちの脳や知性はそうした拷問に耐えるようにできていないのである。知的鍛錬だけを考えてみても、将来において抽象的な概念を組み立て、それを実践の場で活用する思考運動ができるためには、何よりも抽象的な概念を扱う前の感覚運動的な知性をいかに豊かなものにしておくかがカギを握る。

それは、抽象的思考の前の具体的思考の基礎に当たるものであり、身体感覚を伴う知性をいかに育んでいくかの教育はもっとその重要性が強調されてしかるべきだと思う。しかも、そうした身体感覚的知性というのは、何か特別な鍛錬の中で育まれていくというよりも、これまでの時代においては、自然との触れ合いの中や遊びの中で培われるものであったように思う。

だが、現代社会においては、自然との触れ合いもめっきり減り、遊びの性質もかなり変容してしまっている。当然ながら、単純に自然との触れ合いを増やし、昔の遊びのようなものを取り入れることは、現代の英才教育を取り巻く問題の具体的な解決策にならないかもしれない。

科学技術が進歩し、そうした技術を積極的に導入した教育が施される現代社会の潮流を止めことはできないがゆえに、新たな技術を活用した教育のあり方についても真剣に考えていかなければならない。同時に、科学技術の活用のみならず、やはり科学技術を通じてでは体得することのできない自然からの学びについても再考する必要があるだろう。

生々しい自然の世界と触れ合って初めて得られるあの豊かな感覚や、自然を通じて育まれる豊かな感性の価値を、このような時代であるからこそなお一層見直したい。書斎の窓から見える自然の景色に、私は毎日どれだけ多くのことを学んでいるだろうか。

その学びは計り知れず、成人になった今でも、感性の寛容に自然との触れ合いは欠かせない。感受性の豊かな子供であれば、いったいどれほど多くのことを自然から学び、それがどれほどまでに感性の育成に寄与するのだろうかと考えざるをえない。

常に外側の自然の世界に触れながら日々の探究を続けたい、と気持ちを新たにした。 一昨日と昨日にかけて、ケン・ウィルバーの最新作RTを読んでいる時に、高次元の意識段階に到達するためには、幼少期の没頭体験が重要であるという気づきが芽生えた。午前中に考えていたのはまさにその点だ。

幼児期において身体感覚を豊かに育み、幼少期においても継続的に身体的知性を育みながらも、その時期に何か一つでも熱中の中に自らを溶解させるような体験をすることができたのであれば、それは将来において高度な知性を獲得しうる重要な土台になるのではないかと思う。

没頭する対象など何でもいいのだ。それがどれくらい継続するかどうかも正直なところ問題ではないと思っている。

重要なのは、幼少期の頃に、止むに止まれぬ衝動を持って打ち込んだものが一つあるかどうかだ。自分自身を振り返ってみると、それは迷路を描き続けることであったり、図鑑を眺め続けることであったり、いくつか思い当たることがある。

そして何より、小学校二年生の時に、ある日の日記の執筆に没頭し、日記そのものと一体化するという没入体験を経験したということ。その体験は、当時から数十年経った今の活動の根源的な基盤となっている。

あの日のあの日記がなければ、今の自分の探究活動はないだろう。抽象的な概念を受け付ける前の最後の時期に、あのような体験を積むことができたのは本当に幸運であったと今になって思う。

感覚運動段階と具体的思考段階の時期に、一つの対象に自己を没入させ、ある種の「非二元」の状態を経験できたかどうかは、成人になって非二元や空の意識段階に向かっていくための無くてはらない体験エネルギーとなるだろう。

そして、私にはそうした幼少期の体験が、本質的には一人の人間の一生涯にわたる幸福の源泉であるように思えて仕方ないのだ。2017/7/25(火)

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