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1334. きっとそうだ


夕食前に入浴をしようと思ったが、やはりまだ文章を書き足りないというあの感覚が残っている。全てのものが必然的な形として外側に表現され、自分の内側に落ち着きをもたらす必要がある。

自分の内側には、未だ形にならぬものが形になろうとして蠢いている。それは、躍動する生命のようなものであり、それに言葉を与え、外側に表現されなければ真の生命を持ち得ないもののように映る。

だから私はそれに救いの手を差し伸べ、生命を持つ形で外側に顕現するように手助けをしたいと思う。今日は早朝の曇り空から雨を想像していたが、雨が降ることはなく、一日を通して暖かい気温であった。

むしろ、少し暑いと感じさせるような気温であったと言える。しかし、明日からまた20度を下回るという予報が出ている。

今日は早朝からオンラインゼミナールがあり、その準備とゼミナール後の様々な対応に時間を充てていた。そのため、今日は普段に比べて、論文や専門書を読む時間を取ることができず、何かを考え、文章にまとめていくということはあまりできなかった。

しかし、今日はゼミナールがあった分、多様な受講者の方たちとのやり取りが引き金となって、いつもとは異なる脳の部位や思考回路が刺激されていたようだった。そのおかげでもあり、いくつか文章として書き留めておきたいことが湧き上がってきたのは事実である。 今この瞬間にまだ書き足りないものが何なのかを少しばかり探索していた。これは意識を内側に凝らし、探索をしてみようとしなければ発見することのできないものである。

少しばかり気持ちを落ち着かせ、浴槽に浮かぶ身体のように、意識の世界の中に心をくつろがせた。すると、フローニンゲンに差し込む夕暮れの太陽の光が、私が三年前に生活をしていた米国のアーバインの夕暮れの太陽光であるかのように錯覚された。

アーバインで生活をしていた当時、私は休日に、アーバイン大学の図書館に足を運ぶことが何よりの楽しみであった。休日の行動パターンは決まっており、起床直後から読書を始め、昼食前にランニングに出かけ、アーバイン大学近辺のコリアンレストランで韓国料理を食べる。

そしてカフェに立ち寄り、コーヒーを片手にアーバイン大学の図書館に向かう。コーヒーを少しばかりすすりながら大学図書館に向かう道中の自分の気持ち。

それは絵も言わぬほどの期待感と高揚感で満ち溢れたものだった。全く未知なる世界への旅に向けた出発前のあの気持ち。

とにかくあの時の私は、休日にアーバイン大学の図書館に足を踏み入れることが何ものにも代えがたい楽しみであったし、静寂な図書館で自分の読みたい書物を読むあの時間は、至福以外の何ものでもなかった。

西海岸の夕方の光が差し込むあの部屋のあの机。あの時の光景は私の内側から消えることなく今も鮮明に焼き付いている。

図書館が閉館の合図を告げる時、いつも私は、門限が迫り、泣く泣く遊ぶことをやめ、帰路につくような少年の気持ちを感じていた。

図書館を出る。沈まぬ夕暮れを眺めながら自宅に向かったあの夏。沈んだ闇夜の中、月を見上げながら自宅に向かったあの冬。

あの時の日々もまた幸福だった。そして、今はもっと幸福なのだと知る。

幸福を通じて幸福の中を生きること。幸福を通じて幸福の中を生きる、という幸福。

きっと自分の存在そのものが、その存在を通して生きているということが幸福なのだろう。きっとそうだ。(土)

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