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1260. メンタルモデルについての再考


早朝、過去の日記を少しばかり読み返していると、メンタルモデルに関する話題について少し前に執筆していることに気づいた。ちょうど偶然、昨日のメモの中にも、メンタルモデルに関するものがあったため、過去の日記を改めて興味深く読んでいた。

昨日と同様に先ほども、人や組織の成長に関与する際に、いかに洗練されたメンタルモデルを構築するかは非常に大切なことだと思った。ここで述べているメンタルモデルとは、概念モデルと理論モデルの両方を含み、それを構築するためには知識と経験が不可欠となる。

知識と経験は、メンタルモデルの構成要素でしかないため、それらを一段高い次元でまとめあげる訓練が不可欠となる。その一つの手段として、これまで何度も紹介してきたように、内省実践や文章を書くという実践がある。

知識と経験を、自らの思考を持って絶えず組み合わせていくような作業に従事しなければ、私たちの知識と経験はいつまでたっても一つの総体に変容していかない。知識と経験を様々な試行錯誤を経て、あれこれと組み合わせる中で、一つの総体としてのメンタルモデルが徐々に構築されていく。

昨日、浴槽に浸かりながらふと思い浮かんでいたイメージは、外科医が手術のプロセスに関するメンタルモデルを持っていなければ、一切の手術が不可能となり、仮にメンタルモデルが欠如した状態で執刀に当たるのであれば、その手術は高い確率で失敗に終わるであろうというものだった。

洗練されたメンタルモデルを構築し、それを具体的な課題に対して適用していくことは様々な職業において重要であり、それはここで挙げた医療や企業経営のみならず、将棋やチェス、音楽の演奏、サッカーなどにおいても重要だろう。

そのように考えると、私たちは何らかの仕事に従事する場合、絶えず自己のメンタルモデルを通じて仕事に携わっていると言えるだろう。昨日も、極めて優れたメンタルモデルを構築して仕事に携わっている人を見かけ、多大な感銘を受けた。

高度なメンタルモデルは、仕事を通じて私たちを感動させるような力すらも持っているようだ。確かに、高度なメンタルモデルを携えた医者の執刀は芸術的とさえ形容できるだろうし、そうした芸術性は棋士の棋譜やサッカー選手のプレーの中にも具現化されるものだ。

そのようなことを考えていると、己の知識と経験を高度な次元に昇華させていく試みそのものが尊いものに思え、その結果として獲得される高度なメンタルモデルを発揮した仕事は、極めて価値のあるものであり、人々に感動を引き起こしうるような力を持っているように思えた。

当然ながら私たちは、高度なメンタルモデルの負の側面についても注意をしなければならないが、メンタルモデルの価値を改めて見直す必要があるように思う。それほどまでに、現代人の多くは、自己のメンタルモデルを鍛錬することなく自らの日々の仕事に従事しているように思えて仕方なかった。2017/7/5

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