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1242. ひとつづきの夢


「更新」について記した昨夜から一夜が明けた。起床するのが少しばかりためらわれるような一日の始まりだった。

だが、ひとたび起き上がってしまえば、また新しい一日の中に溶け込んでいくかのように、普段と変わらない一日が始まった。ここ数日間は、雨模様が続いており、寝室に朝日が差し込んでくることはない。

そのため、薄暗い世界の中で早朝の活動を開始することとなっている。昨夜の自分と今の自分を比較してみたときに、何か更新されているものがあるだろうか。それに対して、私は「ある」と答えたい。

おそらくそれは、昨夜から今朝にかけての、夢を見ない深い夢の世界の中で起こっているものだと言えるだろう。昨夜は夢の中で、日本のとある神社を訪れていた。

それは靖国神社を思わせるような神社であり、私は神社へ入るための入場料を支払おうとしていた。この神社には似つかわしくない一階建ての小さなプレハブの建物が、入場料を支払う場所になっていた。

そこで私は入場料の111円を手渡そうとした。すると、受付担当の男性から、「申し訳ありません。ドルでお支払いすることはできないんです・・・」という言葉が返ってきた。

私は誤って、1ドルと11円を差し出したようだった。私は謝り、すぐさま日本円を差し出した。

神社の敷地内に入ってみると、日本の夏を思わせるような暑さを感じた。そのため、私は着ていた服を全て脱ぐことにした。

神社のような場所で、上半身裸になることは少しばかり良心に訴えかけるものがあったが、この暑さではやむをえなかった。上半身裸になり、木陰に向かって歩いている時、私の汗ばむ背中を参拝客たちが眺めているのがわかり、それは気分の良いものではなかった。

しばらく木陰で休憩をしていると、一人の老婆が参拝をしている姿が目に入った。深々とお辞儀をし、何か大きな存在に対して信心深く祈るその姿に、私は釘付けとなり、その老婆の祈りに自らの祈りを重ねるかのように、その様子を静かに見守っていた。

老婆の祈りの一部始終を静かに見届けた後、自分も参拝するかどうかを迷っていた。というのも、神社に詳しい知人の方の話を思い出し、参拝することによって、これまでの自分に取り憑いていたものを取り払うことが起きたり、逆に、これまでにないものが取り憑くことが起きたりするということを聞いていたからだ。

その二つの可能性の狭間で私は揺れていた。その葛藤はしばらく続き、服を着た私は、参拝しない決断をし、その場を後にした。

結局私は、今の自分に取り憑いているであろう存在を大切なものだとみなし、それと共に歩んでいくことを決意したようだった。神社を離れた私は、10人ほどが集まった小さな講演会場にいた。

そこでは、日本の政治経済について歴史的な観点から意見交換することが行われていた。その講演を取りまとめていたのは、アフリカ系アメリカ人の男性であり、彼の講演は見事であった。

彼の日本語の流暢さは言うまでもなく、日本人ですら用いることができないような語彙を、それが全くの嫌味でないほどに、一つ一つの文脈に合致する形で紡ぎ出していく様は圧巻だった。彼の姿はまさに、鍛錬された知性を体現していた。

その講演の参加者はどなたも、私と年齢が倍近く離れており、学識はそれ以上に離れたものだと理解していたが、講師役のアフリカ系アメリカ人の男性に積極的に質問をすることにした。今回の話題は、日本の政治経済に関する歴史的展望であり、それは過去と現在に関するものであったから、必然的に将来に関する点が気になった。

ただし、未来予測というのはほぼ当てにならないという前置きを据え、なおかつ話を経済に絞った上で、今後数年間の日本経済の動向について質問をした。もちろん私は、自分の前置きにあるように、特に経済という複雑な現象における未来予測の不毛性について理解していたが、時間軸を短めに設定すれば、人間の頭でもそれなりに妥当な予測説明が成立しうるのではないかと思っていた。

だが、私の関心は実はそのようなところにはなく、このアフリカ系アメリカ人の講師が、私の質問に対してどのような語彙をどのような形で組み立てていくのか、という一点に自分の関心があった。

彼の回答は、私が望んでいた通りのものであり、外国人が日本人以上に、日本語を自らの思考空間の中で美しく建築していくことが可能なのだということに、私は激しく感激した。そうした感動の余韻に浸っていると、夢の場面が変わり、私は学校の教室のような場所にいた。

大学時代の友人たちが教室の机に座っており、一方で、教室の前方には高校時代の担任教師が立っていた。私は仲の良かった大学時代の友人の隣に座ることにした。

すると教師が、生活態度に関する質問票の話をし始め、どうやら期限までに提出していなかったのは私だけだったようだ。教師は、「お前はサッカー選手なのだから早く提出しろ」という言葉を私に投げかけた。

その時初めて、自分はサッカー選手という職業に就いていることを知り、同時に、この職業と質問票の提出期限を守ることの論理的つながりが一切理解できなかった。また、質問票の問いを見ると、傲慢ながら、それは自分が回答するに値しないものだとわかり、仮に提出を望むのであれば、問いの日本語を全て適切なものに作り変えるように教師に訴えた。

自らの主張を放ったところで、私は夢から覚めた。

三つの異なる一連の夢の描写が、一つの意味を持ったまとまりとして知覚される。最初の夢に関しては、昨夜の日記に書き留めていたことと関係があるだろう。

また、二つ目と三つ目の夢に関しては、私が「多くの日本人の中に真の日本人を見ない」ことを嘆いていることと密接に関係しているようだ。同時に、自らが外国人として他の言語を学ぶことに関して、一つの希望を見出し、その希望が実現されつつあることを象徴しているものだったと言えるかもしれない。

あのアフリカ系アメリカ人が、大多数の日本人よりも真っ当かつ、日本文化に根ざされた美を真に体現させた日本語を話していたように、外国文化の根に宿る美を通じて他言語を構築していくことが可能になりつつある自分の姿を知った。

だが、あのアフリカ系アメリカ人の次元に到達するまでには、私は随分と多くの道を歩んでいかなければならないだろう。2017/7/1

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