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1178. 神を支えるものと神に支えられるもの


今日は曇りになると予想していたが、早朝目覚めてみると、寝室の窓からほのかな朝日が差し込んでいた。太陽が沈む時間に合わせて就寝し、太陽が昇る時間に合わせて起床する日々が続いている。

フローニンゲンの長い冬の時代においては、太陽の動きに合わせて生活リズムを作ることをいくら望んでも、それは不可能であった。しかし、北欧に近いこの場所のこの時期の太陽は、私の理想とする就寝時間と起床時間に合致した動きをしてくれる。

五時を少し過ぎたあたりに起床すると、すでに小鳥たちが活動を始めていたようであり、小さく、それでいて美しいさえずりで私を出迎えてくれているようだった。今日は金曜日ということになっているが、このところ、時間感覚というものが消失し始めている。

正確には、私の時間感覚がこれまでとは異なるものとなり、以前感じていたような時間的拘束が消失していると言った方がいいだろう。今の私は、毎日が月曜日だと言われても何も疑うことはないだろうし、毎日が土曜日だと言われても何にも疑うことはないだろう。

「月曜日」や「土曜日」という言葉を聞いた瞬間に喚起される思考や感覚を疑わなければならない。そこで喚起されるものは全て、果たして自らの時間感覚と真に合致したものなのだろうか。それは相当に疑わしい。

曜日の名前を聞いた時に喚起される意味や感覚は、社会と過去の自分によって構築されたものだと言えるのではないかと思う。良い悪いの問題ではなく、私はそのように構築された意味や感覚を検証しながらでなければ生きれなくなっているのだ。

この背後には、もう一度自分の手で、自らの時間感覚を取り戻したい、あるいは、自らの時間感覚を新たに構築したいという思いがあるのかもしれない。そのように考えると、上記で述べたような「時間感覚の消失」という言葉はやはり不正確であり、それは「新たな時間感覚の獲得」だとみなすことができる。

あるいは、「自らの固有の時間感覚の復権」のような言葉を当てはめることができるかもしれない。いずれにせよ、時の感覚質が、これまでのものとはますます異なったものになりつつあるのは確かである。 昨夜の夢の中で、今年の三月にザルツブルグで行われた学会で知り合ったオランダ人研究者が現れた。彼女は、私と同じように、これから研究者としての道を本格的に歩むつもりらしい。

夢の中で、学会で知り合った他のメンバー二、三人を連れて、私たちはランチを共にした。レストランの席で、彼女が、裏紙に達筆な日本語を書いていることに私は感銘を受けた。

よくよく見ると、彼女のノートには、ところどころ日本語混じりのメモが書き残されている。彼女がなぜ日本語を書けるのか不思議に思ったため、それを尋ねてみると、何やら小さい頃に日本語の教育を受けていたそうだ。

彼女が裏紙に書き残した三文字の熟語は、強烈な印象を私に与えた。その印象を抱えたまま、私は夢から覚めた。

夢から覚めてみると、実際の彼女は、日本語を書くことなど全くできないし、日本に行ったこともないという話をしていた。だが、彼女が夢の中で書き残した三つの漢字が連なった言葉は、夢から覚めた私に対しても依然として強い印象を与えていた。

三つの漢字のうち、真ん中の文字が「神」であったことを鮮明に覚えている。その左右の漢字は何だったのだろうか・・・。

神の両脇にいるものであり、神を支えるもの、そして神によって支えられるもの。それらの正体はいったい何なのだろうか。2017/6/16

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