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1069. ひたひたと近寄る存在と夢


埴谷雄高氏の『死霊』という作品が頭から離れない。この書籍を一昨日に購入して以降、何か不気味なものが近寄ってくるような感覚がする。

この不気味さは、否定的なものというよりも、好奇心と呼ばれる感情の核にあるような、近寄ってはならないものに近づきたいという感覚質に近い。普段、仮に書籍をオンラインを通じて購入した際には、注文から書籍が届けられるまでの間は、その書籍に対して非連続的な感覚しか持たない。

確かに、書籍が届くのを待ち遠しく思うような瞬間が訪れることがあるが、それでも、注文という瞬間と書籍が届く瞬間は二つの点でしかなく、また、その二つの点の間には距離がある。物理的にも、注文した書籍はどこか別の場所にあり、それが実際に自宅に届けられるのを待つとき、注文時に書籍が存在する地点から自宅までの地点との物理的距離が少しずつ縮まっていくのを逐一気にしていない。

つまり、物理的な距離に関しても、私は、書籍の輸送を単純に二点間の非連続的な移動にしか捉えてないということだ。そして、精神的な距離に関しても、注文した書籍の存在を二点間の非連続的な移動として捉えている自分がいる。

しかしながら、注文した埴谷雄高氏の作品は全く別な感覚を私に引き起こす。『死霊』という作品が、日本からオランダに向けて、ひたひたと歩み寄ってくるのがわかるのだ。

薄気味悪い存在が静かに近寄ってくる様子は、私たちに不可避に訪れる死というものが歩み寄ってくる様子に似ているように思えた。一方で、不気味なものを漂わせる『死霊』という作品に対して、私が好奇の目を向けていることは間違いなく、そうであるならば、「死」という現象の薄気味悪さの奥には、何か別の意味と感覚があるような気がしてならない。

『死霊』という作品が、日本で梱包作業をされ、オランダに向かってくる足取りの一つ一つが、ひたひたとした音を立てながら私の内側に刻み込まれていくかのようだ。その足音を聞きながら、本書の到着を静かに待ちたい。 昨夜はまた不思議な夢を見た。起床からしばらく時間が経ってしまったため、すでに忘却の方に去ってしまった夢の内容もあるが、それらは再び私の夢の中で姿を表すだろう。それこそが、私たちの意識が持つ「再帰性」という特徴の一つだ。 昨夜は夢の中で、私はある高層ビルの61階に向かってエレベーターに乗り込んだ。そのエレベーターには私一人しかいなかった。

地上からエレベーターが動き出した時、それは当然ながら、垂直方向に上の階に向かって行った。しかし、ある階を境にして、エレベーターが観覧車のような乗り物に変わり、上層階に向かう際に回転運動を始めたのだ。

エレベーターが観覧車のような乗り物に変わったのと同時に、壁面の大部分がガラスに変わった。回転運動に応じて、真下の地上が見えたり、水平方向に遠くの景色が見えたりしたのだが、その速度が極めて速く、大変気持ち悪かった。

当初、私は観覧車のような緩やかな動きを想像していたのだが、それはネズミが回し車の中で走るような速度で動き始めたのだ。

居ても立っても居られなくなった私は、目的階である61階に到着する随分手前の途中階に到着すると、エレベーターから逃げるようにして外に出た。外に出た瞬間、私は安堵感に包まれた。 一つの纏まったストーリーとして記憶に残っているのはそれくらいであった。もう一つ、何か重要なストーリーがあったのだが、それは忘れてしまっている。

これからは、印象的な夢を見た際には、朝の習慣的な実践に入る前に、覚えている夢の断片を書き留めておくことを行いたい。印象的なシンボルを列挙し、それに付随するストーリーを簡単にメモしておくのだ。

そうすれば、しばらく時間が経った後でも、夢の内容を想起することができるだろう。2017/5/15

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