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1042. 母国と自己の変化


引き伸ばしていた修士論文の修正も、いざ取り掛かってみると、思いの他に納得のいく形で修正を終えることができた。文章というのは寝かせれば寝かせるほど、新しい気づきが得られるものである。

また、新しい気づきを得れば得るほど、文章全体がさらに成熟の方向へ向かっていくから不思議である。無事に原稿の修正を終えた私は、論文アドバイザーのサスキア・クネン教授にそれを送付した。

ちょうど先日のミーティングの前に、先生の息子さん夫妻に女の子が誕生したという嬉しい知らせを受けた。先日のミーティングの冒頭ではお孫さんの話で持ちきりだった。

そして、今回のミーティングの前には、フローニンゲン大学での私の二年目の所属先が決定し、推薦状を書いてくださったクネン先生にその報告をメールに添えておいた。火曜日のミーティングが終われば、先生とのミーティングも残すところ後一回ほどになる。 当初、オランダでの生活は一年間を予定していた。しかし、フローニンゲン大学で得られるもの、またオランダでの生活を通してしか得られないであろうことの深さに気づいた時、少なくとも三年間はこの場所で生活をしようと思った。

それが実際に実現することになり、今はとても嬉しく思う。これから後二年間ほどの時間をこの場所で過ごせることは、私の人生における極めて貴重な精神的財産になるだろう。

二年後にどこの国で生活をし始めるのか今の私にはわからない。これからの私の人生において、少しばかり母国以外での生活が長くなりそうだ。

米国で過ごした四年間、そしてオランダでの一年間の日々の間、私は母国を離れていたにもかかわらず、日本の変化が母国にいる時以上に敏感に感じ取れているような気がする。もちろん、日本で具体的に何が起こっているのかを詳細に理解することはできない。

しかし、日本が全体として向かおうとしている動きや集合的な意識の変化のようなものが、日本で生活をしていた時に比べて、より明確に自分に知覚されるようになっている。仮に変化というものに気づくためには、変化を起こしている対象から外に出てみなければならないのであれば、そうした事態も了解できる。

日本にいながらにして日本の精神的動態を掴むことは並大抵のことではないのだろう。私がそれを掴むためには、日本の外に出てみるということがやはり必要であった。

それはもちろん身体的な次元での話のみならず、精神的な次元で日本の外に出てみることをしなければならなかった。さらにもう一つ、忘れてはならないことがある。

それは、日本における変化が私自身の変化と密接に関わっているということである。それは私自身の変化によって、日本の変化をより認識できるようになってきたという一方向的なものではなく、日本における変化が紛れもなく私自身の変化に影響を与えているという双方向的なものである。

まさに、母国の存在は、私にとって変化の母体であり続けているのだ。そうであるならば、これまで以上に、母国の精神的変化に対する積極的な関与を私は行っていく必要があるのかもしれないと思えてきた。2017/5/7

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