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1014. 拡散的な思考と留まることについて


今日は少しばかり風が強いが、天気に恵まれた日曜日だ。書斎の窓からつぼみの付いた木々が風に揺られている。

先ほど早朝に取り掛かっていた、ジル・ドゥルーズの “Difference and Repetition (1968)”の一章を読み終えた。残すところあと二章となり、明後日に本書の再読が終わるだろう。

午前中に読み進めていた章も、非常に面白い指摘がなされている箇所が随所にあり、普段は青いボールペンで書き込みをしながら書籍を読む習慣があるのだが、特に関心を引く箇所には思わず色を変えて赤いボールペンで書き込みをしていた。

それらの箇所が私に面白いという感情を引き起こしたのは間違いないが、それらの箇所が真に意味することを自分なりに掴むには随分と時間がかかるだろう。それぐらいにドゥルーズは、このリアリティに潜む無数の真理のいくつかを、私がこれまで見たことのないような観点で深くえぐり出している。

当初は一時間ほどの時間を使って本章を読み進めるつもりだったが、結局、二時間弱の時間を充てて本書に取り組んでいた。明日も明後日も、予定よりも多くの時間がかかることを見込んでおいたほうがよさそうだ。 本書を読みながら、改めて自分の思考特性に気づかされた。私の思考はつくづく拡散的なのだ。

つまり、私は長く一つのことを考えることができないのだ。思考が次々に飛び火し、とりとめもない考えを絶えず辿っていくような思考の型を持っている。

ただし、ある特定のテーマについて時間を空けながら継続的に考えることなら辛うじてできるようなのだ。そうした拡散的な思考特性を持つがゆえに、日記を執筆する際も、原稿用紙3~4枚ほどの分量にその内容が毎回落ち着き、落ち着きを見せたかと思うと次の考えに思考が向かっていく。

3~4枚ほどの分量を書き終えると、全く論点の異なる考えが浮かび上がり、それが外側に形となって表出したがるうずきが強ければ、私は再び3~4枚ほどの日記を書き留めることに向かわせられる。こうしたプロセスがひと段落したところで、ようやく他の作業に取り掛かることができる。

また、原稿用紙3~4枚ほどの分量に関して、時にそれよりも長いことや短いことがあるが、平均してそれらの分量に落ち着くのは、私が対象に長く留まっておくことができないことを示唆している。しかし、短いながらもそうした文章を書くことによって、なんとかその対象に留まりながらそれと向かい合うことができている、と見ることもできる。

随分と昔の日記の中で、「書くことは留まることである」と書き残していたのは、まさにそういうことだったのかと今になって気づく。対象から対象へ移るという流動性が自分の思考特性であるならば、対象の中に留まるという固定性が等しく重要になる。

そうした固定性をもたらしてくれのが、私にとってはやはり文章を書くということなのだ。動きながら留まり、留まりながら動いていくというのは、何かしらの生物の特徴に喩えられそうだ。2017/4/30

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