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922.【ザルツブルグ訪問記】モーツァルトが与えてくれた炎と光


学会を終えた今日は、一日中観光に時間を当てることができた。昨夜は少しばかり自分の考えをまとめる必要があり、一時間ほど通常よりも睡眠時間が遅れてしまった。

そのためか、起床時間も一時間ほど後ろにずれ込んだ。起床直後、学会が終わったことに伴う何とも言えない気持ちに浸されていたことは、すでに日記に書き留めていたように思う。

早朝に日記を一つほど書き留めてから、ホテルの自室で簡単に朝食を済ませ、ザルツブルグの街に出かけて行った。今日が実質上、ザルツブルグの街を歩くのは最後だという気持ちがありながらも、爽快な春の陽気がそうしたことを忘れさせてくれた。

今日のザルツブルグの天気は本当に素晴らしかった。早朝の観光に関して、真っ先に向かったのはモーツァルトの生家である。

ここはザルツブルグの街の中心にあり、ザルツァハ川の左岸に位置している。現在は、モーツァルトの生家は博物館として開放されており、今の季節は朝の九時から入館ができる。

入館時間とほぼ同時に博物館に到着した私は、すぐに中に入ることをせず、しばらくモーツァルトの生家の外観を眺めていた。ここでモーツァルトが誕生したのだ、ということを少しばかり噛み締めておきたかったのだ。

周りの環境を含め、モーツァルトがこの場所で生まれたことを再度確認してから、私は博物館の中に足を踏み入れた。チケット売り場で、この博物館の近くにモーツァルトが長らく住んでいた場所があり、そこも博物館になっているということを聞いた。

そのため、私は二つの博物館に入館できる一枚のチケットを購入した。入館に合わせて到着したため、最初の一時間は人がほとんどおらず、モーツァルトの生家を貸し切るような贅沢な形で資料を閲覧することができた。

これはウィーンで訪れたモーツァルト記念館で認識を改めたことなのだが、モーツァルトという音楽家は確かに天才的でありながらも、「天才」という言葉で単純に片付けることができないほどに、音楽と向き合う人間だったのだと思わされた。

つまり、モーツァルトは天賦の才によって音楽を創造していながらも、天賦の才をさらに成熟させていくための、音楽に対する投入量が尋常ではなかったことがわかるのだ。無数の演奏を欧州各地で幼少から積み重ね、600以上の楽曲を生涯にわたって作り出すという実践があったがゆえに、モーツァルトは自身をモーツァルトたらしめたのではないかと思うのだ。

端的に述べると、モーツァルトは音楽を受動的に受け取る人間ではなく、音楽を積極的に生み出す人間だったのだ。モーツァルは音楽を決して傍観的に捉えることはなく、絶えず音楽の中で生き、内側で鳴り渡る音楽を絶えず外側に表現しなければ気が済まなかった人物だったのではないか、ということに資料を眺めながら改めて気づいたのだ。

これはどのような分野においても当てはまることだろう。特定の領域を深めていく際に不可欠なことは、内側にあるものを外側に形として表現し続けることなのだ。

正直なところ、それ以外に方法はない。いかなる領域の偉大な人物も、絶えず表現する人間だったのだ。

それらの人間は、絶えず絶えず生み出し続ける行為に従事することを宿命付けられていたとも言える。モーツァルトから再度教えられたことは、内側のものを絶えず外側に表出し続けることの重要性だった。

博物館のある部屋から別の部屋に移動する時、私は、モーツァルトが短い生涯の中で残した楽曲の数を再度数えていた。その数を数え終えた時、創造活動に対する私の意志が静かに燃え上がるのを感じた。

それはこれまで私が内側に保持していた炎とは異質のものであり、間違いなくモーツァルトという偉大な作曲家が私に与えてくれた創造に関する炎だった。数日前、私が日記の中で、自己の根幹部分に関してもはや迷うことはないだろう、という予感を持っていたのは、まさに今日のこの一件と関係していたのだ。

モーツァルトによってもたらされた内側の炎は、必ずや内側を照らし出す光となり、もはや私の自己は迷うことなく、行くべきところに行き着くまで歩き続けると思うのだ。果てのない終着点に向かって歩き続けることができるという確信を得たのは、この内側の炎と光のおかげだったのだ。

内側の炎と光を通じて生き、内側の炎と光の中で死ぬことができること以上に私が望むことはない。2017/4/9

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