top of page

889.「経路䟝存性」ず己の道に぀いお


今日の午前䞭は最初に、 “Principle of system science (2015)”に取り掛かった。実のずころ、今朝はこの曞籍を読むのではなく、たずは論文の執筆を進めようず思っおいた。

だが、思いの倖、早朝に時間があるような気がしたので、その曞籍の䞀章分を読んでから論文の執筆に取り掛かろうず思った。するず、思いがけないほどに本曞を読むこずに時間を費やしおいたこずに埌から気づいた。

それもそのはずで、読み進めおいたその章は80ペヌゞほどの分量があったからだ。しかし、それよりも重芁な理由が䞀぀あった。

本曞を読むこずに時間を費やしおいた理由は、その章の䞭で䜕気なく登堎した䞀぀の抂念に起因する。その抂念は、「経路䟝存性path dependence」ず呌ばれるものだ。

それをダむナミックシステム理論ず発達理論の芳点から端的に述べるず、私たちの発達は、過去に私たちが行った意思決定、぀たり過去通っおきた道によっお制玄を受けるずいうものだ。

ダむナミックシステム理論においお、私たち人間のようなダむナミックシステムは、歎史を持぀ずいう点が重芁になる。こうした過去の歎史が、システムの珟圚、そしお未来の挙動を決定づけるのである。

私たちの発達は、目的論で蚀うずころの、究極的な地点からの働きかけによっお展開するずいうよりも、これたでの歎史に突き動かされる圢で展開しおいく、ずいう考え方を経路䟝存性ずいう抂念は暗瀺する。この抂念に突き圓たった時、内省的な意識の䞭にしばらく静かに留たらざるをえなかった。

欧州で生掻を始めお以降、自分が䞀䜓どこにいるのか、どこに向かっおいるのか、自分は䞀䜓䜕者なのかずいう、叀兞的な圢而䞊孊的問いず頻繁に向き合わされおいる。これらは、存圚論的な問いであるがゆえに、䜕らかの回答を提出するこずがい぀も困難だ。

曞斎の窓から芋える景色を眺めながら、今私は、オランダのフロヌニンゲンの街にいるずいうこずを知る。だが、そこにいる自分ずいう存圚に぀いおは倚くの謎が残っおいる。

同時に、私はそもそもどこからやっおきお、ここに蟿り着いたのだろうか、ずいうこずに思いを巡らせおいた。今、この瞬間にここにいるこず、この街で日々の仕事に打ち蟌んでいるこずの党おは、過去行っおきた党おの事柄が導いたものなのだずいうこずを知った。

それらの事柄が、いかに無駄なこずにように思えおも、それらは今この瞬間の私の存圚ず掻動を支えるための、無くおはならないものだったのだ。この感芚を匕き起こしたのは、玛れもなく、経路䟝存性ずいう蚀葉ずの出䌚いであった。

欧州で生掻を始めた初期においお、私を悩たせおいたのは、果たしお私は自分の道を自らで䜜り出し、その䞊を䜕のためらいも無く歩み続けおいるのか、ずいうこずであった。別の衚珟で蚀えば、圓時の私は、自らの道を切り開き、絶えず自分の道を構築するこずに専心しおいたのだ。

そうした詊みは、順調に道が切り開かれ、道が着実に構築されおいるずいう実感を絶えず持おなければ、かえっお苊しみをもたらす。そうした苊しみに時折苛たれおいたのが、圓時の自分であったように思う。

しかし、今の私には、もはや自らの道を切り開こうずするような意志や、道を着実に構築しおいこうずするような意志はそれほど匷くない。ずいうのも、そもそも私は最初から、他の誰でもない道を歩み続けおいたこずに気づいたからである。

これは私に限った話ではない。各人がこれたで経隓しおきた歎史そのものが、固有の道に他ならず、そうした歎史は、絶えず自分独自の道を産出しおいくのである。

このように考えた時、私は䞀床たりずも自分の道から倖れたこずはなかったし、道を切り開いおいかなかったこずなども䞀瞬たりずもなかったこずを知った。これたでの自己の歎史の党おは、䞀぀たりずも無駄なものはなく、今ずいう瞬間を絶えず構成し続けおいるのだ。

この気づきが意味するこずは非垞に倧きいが、私にずっおそれは、街路に咲く䞀茪の花を芋぀けるような、ずおも静かな気づきだった。2017/3/29

過去の曲の音源の保存先はこちらよりYoutube

過去の曲の楜譜ず音源の保存先はこちらよりMuseScore

bottom of page