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824. 天だけが


今朝は、印象的な夢によって起こされた。今朝の夢は、それが象徴する意味がなんとなく自分にも理解できるようなものであった。

夢の中で、地上から大気圏に突入するほどに高く積み上げられた書籍の山が三つほど現れた。それは山というよりも、一冊ずつの本が積み重ねられてできた一つの細長い塔のようであった。それらの山は、隣接していながらも、各々の間には距離があった。

三つの書籍の山のうち、私は一つの山のてっぺんに立っていた。それは一冊一冊の本が積み上げられただけであるから、揺れが激しく、立っている足場がとても不安定であった。

大気圏に届きそうな山のてっぺんから下を見下ろすと、地上など見えなかった。書籍の山が風に揺られてグラグラ動き、私の動きに応じてさらに揺れが激しくなる。

そのたびに、地上の見えないてっぺんから転落することに対して、私は多大な恐怖を感じていた。そのような中、もう一つの書籍の山を見てみると、別の誰かがそのてっぺんに立っていた。

その人物は、私よりも安定した姿でそこに立っていた。そしてあろうことか、一つの書籍の山のてっぺんから別の書籍の山のてっぺんに飛び移ったのだ。

地上の見えない書籍の山のてっぺんから飛ぶという行為は、私には想像できないものであった。しかし、その人物の顔を見ると何の迷いもなく、飛ぶという行為を行っていたように見えた。

実際に、その人物は無事に別の書籍の山のてっぺんに移動し、私とは対照的に、安定的に立っている。その姿は、足元が不安定なことを一切感じさせず、揺れそのものを楽しんでいるかのようだった。

正直なところ、私は自分が立っている書籍の山のてっぺんで右往左往するよりも、いっそのこと、地上に飛び降りた方が気が楽なのではないかと思っていた。しかも、もう一人の人間が別の書籍の山のてっぺんにいるにもかかわらず、三つの書籍の山を崩しながら飛び降りることは、どれほど爽快であり、気が楽になるかと想像していた。

その行為に乗り出そうとする直前、踏みとどまる私がいた。踏みとどまることを私に決意させたのは、大気圏の向こうから降ってきた一つの言葉であった。

それは、「揺れこそが生きる本質であり、揺れを通じて生きよ」という言葉であった。私はこの言葉に救われたような気持ちになった。

その言葉によって、地上が見えない恐怖が晴れ渡り、依然として感じられる揺れに対して、心地よさのようなものを感じ始めたのだ。私は、書籍の山の上で揺れながら生きるということを再び決意した。 この夢に登場してきた事物や人物、それらが象徴することに関して、自分の中でいろいろと思い当たる節がある。そうした分析をあえてここではしない。

重要だったのは、大気圏に到達する山からの転落に対する恐怖と揺れに対する恐怖が、一つの言葉によって完全に乗り越えられたことだろう。あの一つの言葉は、私にとって深い意味を持っており、それが救済をもたらすものであったがゆえに、啓示的かつ救済的な言葉だったと言っていいだろう。 大気圏にかかる書籍の山のてっぺんからは、地上も見えず、一人の人間を除いて他の人間は見えず、母国も故郷も見えなかった。書籍の山の周りには、遮るものなど何一つない、広大な空間が無限に広がっていた。

それでも、地上も他者も、母国も故郷も見えなかった。見えたのは、天だけであった。2017/3/12

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