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761. 泡沫から永遠へ


昨日は、定量データを解析することや文章を書くことが仕事の大半であったため、再び激烈に論文や専門書を読みたいという思いが煮えたぎってきた。

昨夜、この炸裂しそうな思いを抑えるのが難しかったが、とにかく生活リズムを壊すことなく、そうした思いをあえて抑えることによって、その感情がさらに激しいものに変容するために、心を落ち着かせながら静かに寝室に向かった。

今朝は五時半に起床し、今日はとことんまでに論文や専門書を読み進めていきたいと思う。現在、複数の探究項目を同時並行的に開拓しているが、私にとっては、人間の発達という一つの共通したテーマの中で探究を進めているつもりである。

実在の灯火が尽きる最後の最後まで、自らの探究課題に激しく取り組み続けたいという思いが、日ごとに強くなっていく。正直なところ、探究過程の中で自分が解体されようが、自分が溶解しようが、自分が消失しようが、もはやそれらは取るに足らないことのように思えるのだ。

逆に、本質的な探究活動は、それらの特徴を持ってしかるべきだと最近強く思う。とにかく自己を焼き尽くすような熱さの中で日々の生活を形作り、焼き尽くされた自己から再創造される自己をさらにまた焼き尽くし続けるような生き方をしたい。そうした生き方を心の底から望む。

もう少しで三月を迎えようとするフローニンゲンの月曜日の朝。相変わらず早朝の七時でもあたりは闇に包まれており、気温も低い。

だが、そのような中にあって、書斎の窓の外で小さな声で鳴く鳥たちの存在はとても愛おしい。朝からボルトキエヴィッチの『苦難を通って栄光へ』という曲を繰り返し流している自分がいる。

この曲が描き出すストーリーの中の苦難に満ちた箇所がやってくると、大抵、書斎の窓の外にいる小鳥たちが励ましにも似た綺麗な鳴き声を発する。そして、その曲が栄光に至る箇所にやってくると、決まって小鳥たちは泣き止む。

苦難の最中にいるときでも、私たちを励ます存在が確かにこの世界にいることを忘れてはならない。同時に、栄光のようなものに至ったとしても、私たちを励まし続けてくれた存在がこの世界にいたことを忘れてはならない。

そして、苦難も栄光も儚く過ぎ去るものであり、私たちを励まし続ける存在は、永遠のものであるということを決して忘れてはならない。そのようなことを思わされた。

日々の生活の一つ一つの活動と行為が、全て観想的なものの中から生まれてくるようにしたい。朝の時間を取り分け貴重なものとみなしたゲーテのように、早朝は創造的行為に充てたいと思う。

ここからの30年が、50年が、80年があっという間だったという形で、これからの日々を過ごし続けたい。時間を越えようとするのではなく、時間の流れと自己が完全な合一を果たすまで、自己が消失するほどの密度を持って毎日を生きたいのである。

自分の中の泡沫が永遠に到達するまで、絶えず燃焼し続けたいと思う。2017/2/20

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