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11517-11526: フローニンゲンからの便り 2023年12月6日(水)



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成人発達理論とインテグラル理論を基礎にして、様々な学問領域からサイケデリクスやその他のテーマについてお話しさせていただくチャンネル「インテグラル・サイケデリックラジオ」はこちらからご視聴いただけます。

タイトル一覧

11517. 今朝方の夢

11518. リサーチノートの見直しと今日の読書計画

11519. 今朝方の夢の続き

11520. 哲学的な探究、宗教·神学的な探究、宇宙論的な探究のためのサイケデリック・セッション

11521. 創作活動としての仮説的理論の創出/エコデリクスを活用したエコロジカルアウェアネスの涵養の道について

11522. 仏教とサイケデリクス

11523. ハーバード大学とUCバークレーのサイケデリック研究に関するジョイントプロジェクトから

11524. 第4の欲である「酩酊欲」の抑圧に対するサイケデリクスの貢献

11525. サイケデリクスを通じた「ネオハイカルチャー」の誕生に期待を寄せて

11526. 人生100年時代における学習臨界点の超克効果をもたらすサイケデリクスの可能性


11517. 今朝方の夢


時刻は午前3時半を迎えた。昨日は午前2時半に起床し、そこから1日の活動に思う存分取り組むことができたのだが、贅沢なことに1日が逆に長く感じられてしまった。徐々に身体を慣らすことが重要かと思うので、やはり今のところは3時台に起床することを理想としておきたい。今朝のように午前3時を少し回ったところで起床するのが理想で、身体の求めに応じて4時頃に起床するのも良しとする。30分起床時間が違うだけでも午前中の時間の長さが随分と異なって感じられるのが興味深い。引き続きこの生活リズムを維持しよう。このリズムが今のところ学術研究に打ち込むには最善のものだと思う。

起床していつものようにシロシビン·マッシュルームの栽培キットを眺めると、地中から頭を出したキノコの数が増えていて、おそらくここからは加速度的に育っていくのではないかと思う。今はちょうど気温が引く時期なので、前回と今回にかけての成長速度に差が出るかもしれないが、できる限り部屋の温度を保って、彼らに理想の生育環境を提供したいと思う。それで言えば、今朝方はマッシュルーム栽培の夢を見ていた。夢の中で私は、現在の自宅とは違うもう少し暖かい地域でシロシビン·マッシュルームを育てていた。前日に栽培キットを確認した時には収穫はまだまだ先だと思っていたが、なんと一夜にして驚くほどマッシュルームが大きくなっていて驚いた。驚きの後に嬉しさの感情がやってきて、喜びの感情に包まれる形で収穫をしていた場面があった。

その流れでその他の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、山の麓の林の中にある広場のような場所にいた。そこはキャンプ場にもなっていたが、その季節は誰もキャンプをする人はいなかった。その広場で私は、小中学校時代の友人(KM)と話をしていた。何の話をしていたかというと、ちょうどこれから会合に出席する必要があり、どのような服を着ていこうかと話し合っていたのである。奇妙なことに、その広場に私たちが持っている服が保管された木でできたタンスがあった。そこに行って私たちは服を選んだ。その際に、2つ半ズボンが余っていて、どちらを選ぶかを考えていた時に、それらが共に彼のものだと分かった。一応彼に確認しようと思ったが、先に片方のズボンを選んで彼に相談したところ、彼も私が履いたズボンを履きたかったと述べて、そこからは少しもめた。彼が気分を悪くし、彼をなだめるのに少々時間を要した。結果として私は彼のお気に入りのズボンを履いていくことにし、その場から立ち去った。彼は昔泣き虫とよくからかわれていて、お気に入りのズボンが履けないことに関して少し泣きそうになっていた。

そのような夢を見た後に、今度はそのキャンプ場の近くにある湖でバスフィッシングをしていた場面があった。湖は比較的綺麗で、まだ誰も湖にやって来ていない時間帯だったので、これはたくさん釣れそうだと思った。すると、小中学校時代の親友(HS)がやって来て、彼と合流する形でそこから本格的にバスフィッシングを楽しんだ。湖の浅瀬は水が透き通っていて、目を凝らせば遠くの方の水面下にたくさんのブラックバスが泳いでいるのが見え、これから大きなブラックバスが何匹も釣れるだろうという予感があった。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/12/6(水)03:56


11518. リサーチノートの見直しと今日の読書計画


時刻はゆっくりと午前4時半を迎えようとしている。今朝方もかなり冷えていて、マイナスの世界からは脱却しているが、今の気温は0度である。暖房が一生懸命働いてくれていることに感謝である。暖房に頼るだけではなく、朝の呼吸法とアニマルフローの実践を通じて体を温めた。最近は本当に寒くなって来ているので、机から立ち上がって何かをする際にはその場で短距離走を走るぐらいの勢いで足踏みをして心拍数を上げて体を温めている。少し前まではジョギングぐらいの速度で足踏みをしていたが、それでは物足りなくなったので、今は全力疾走に近いような形で1分間ぐらいその場で足踏みをするようにしており、それをすると心拍数も上がり、血の巡りも良くなって身体に温かさを感じる。これを1日に何度か行っている。

現在、毎日サイケデリック研究を行う中で目を通している英文書籍や英文論文を読み進める中でリサーチノートを取っているのだが、昨日ふと、取ったメモをどこかのタイミングで最初から最後まで読み返してみようと思った。そこには自分の研究アイデアが散りばめられているし、書籍や論文から得られた知識が自分の言葉でまとまっていて、ある意味それは学びの宝庫である。単に文献から新しい知識を抜き書きするのではなく、自分の言葉でまとめ、まとめの後に自分の考えを付け加えたりしている。それらをもう一度読み返す中で、抜け漏れていた知識に気づくだろうし、以前のアイデアに対してまた追加で何か考えを付け加えることもできるだろうと思ったのである。どこかのタイミングでそれを行いたい。年末あたりがいいだろうか。それとも年始がいいだろうか。感覚的に年末が良さそうで、年末のどこかの日に時間を取って、ひょっとしたら数日かかるかもしれないが、数日をかけても今年の夏から年末にかけて書き留めて来たリサーチノートを一括して読み返してみよう。それは単に知識の確認と復習になるだけではなく、新たなアイデアや知識を呼び込むためにも重要な役割を果たすはずだ。

今日のサイケデリック研究では、まずは昨夜に目を通していた論文集を手に取って、そこに掲載されているピーター·ショステッドの論文を読む。それが終わったら、神秘体験の妥当性を科学的なアセスメントでいかに評価していくかに関する書籍を読む。そこからは再読として、自然界の動物たちがサイケデリクスを好んで摂取していることを進化論的な観点から言及しているリチャード·ドイルとロナルド·シーゲルの2冊の書籍の再読を行う。今日はその他にもサイケデリクス関係の学術書の再読に時間を充てたい。キリスト教の歴史とサイケデリクス 、密教の歴史とサイケデリクスに関する2冊の書籍も再読の候補に入れている。明日か明後日以降からは、心の哲学とサイケデリクスの接続を意識しながら、関連書籍の精読を始めていきたいと思う。フローニンゲン:2023/12/6(水)04:34


11519. 今朝方の夢の続き


今日の読書に取り掛かろうとしたところ、それにまったをかけるような形で今朝方の夢の続きを思い出した。夢からはいつも何かしらのメッセージを得ていて、それらが覚醒中の意識においても影響を与え、ふとしたときに洞察や気づきを得られることがある。夢は本当に洞察や気づきの宝庫であり、最初のうちはその意味が分からなくても、とにかく書き留め続けることによってしか見えてこない価値や意義があるのだ。それはどんな勉強でも実践でも同じかもしれない。継続して取り組むことによって初めて開かれる次元があるのだ。夢に関してはそんな次元が開かれていて、さらに次の次元があることもまた分かっている。夢が開示す洞察や気づきの次元もまた無限に存在するのだ。

夢の中で私は球場にいた。観客席にいたのではなく、グラウンドの上にいた。その球場はとても立派で、どうやら今は甲子園が行われているようだった。なので観客席は人で一杯で、大いに盛り上がりを見せていた。私はグラウンドの上で1人の選手としてセンターを守っていた。そこは外野の中でも重要なポジションだけに、野球をやってこなかった自分が果たしてきちんと守れるのか一瞬不安に思ったが、まぁなんとかなるだろうという気持ちで守備位置についていた。こちらのチームのピッチャーはとても優れていたので、外野までボールが飛んでくることはほとんどなかった。バッターもあと2人でゲームセットの段階を迎え、もう自分のところにはボールが飛んでこないだろうと思ったところ、大きな当たりが自分の頭の上を一気に超えていき、センターの奥深くの柵にぶつかって、自分のところにボールが転がって来た。それを速やかに拾い、二塁に向かって投げた。スポーツは本当に最後まで気が抜けないなと思ったので再度気を引き締めたところ、そこからはうちのピッチャーが見事にバッターを抑えてくれて勝利を飾ることができた。その勝利を受けて、観客席は大盛り上がりで、それを見てこちらも嬉しく思った。

もう1つ覚えているのは、画家の知人とある有名な男性歌手と一緒にキャンプ場にいた場面である。そこで私たちは、キャンプ場を運営している団体が主催するクイズ大会に出場していた。それはチーム制でエントリーすることになっており、私たち3人に加えて、もう2人ほどメンバーを集めて5人でチームとなってクイズ大会に参加していた。1問目のクイズは、その場に置かれているソファと5人の人をうまく配置する形で二等辺三角形を作るというものだった。他のチームも含め、私たちは最初その題意をうまく掴むことができず、どういうことなのだろうと考えた。そこで私が突然閃きを得て、題意を直観的に把握し、二等辺三角形を作るアイデアを得たので、それをチームに伝えて実行に移した。すると、二等辺三角形とは違う三角形ができてしまい、どこか悪かったのかと修正案を考えたところ、それも速やかに閃いたのでそれを実行に移した。他のメンバーは私のことを完全に信頼していて、他のメンバーはある意味思考停止の状態で、自分だけが思考をフル回転させているような状態だった。ここからの問題でメンバーの知恵が必要になることもあるだろうと思って、彼らの思考は後の問題に取っておいてもらうことにし、とりあえずこの問題は自分の頭脳だけで解決しようと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/12/6(水)04:51


11520. 哲学的な探究、宗教·神学的な探究、宇宙論的な探究のための

サイケデリック・セッション


早朝の読書を始めたときにふと、最近は書斎の机の足が固定され、ズレて動かなくなったなと思っていたところ、その理由として机の上に積み重ねられた書籍の量が増えたからだと思った。机の四方を囲んでしまうと座れなくなってしまうので、三方を囲むようにして書籍を山積みにしているのだが、それが重しとなって机を固定させてくれているのだと気づいた。こんな些細な何気ないことを発見するだけでも喜びの感情が湧き上がってくる。自分はきっと「発見狂」なのだろう。またありとあらゆる事象から自分なりの洞察を汲み取ることを楽しみとする「洞察狂」でもあるのだろう。そのようなことを思った。いずれにせよ、机が山積みの書籍のおかげで固定されていることに気づいたので、今後も一定程度の書籍の量を維持しておきたいと思う。机がズレてそれをいちいち直すのは手間であるし、そこに注意を向けたくはないので。その注意を向けるエネルギーがあるぐらいだったら研究書の読解にエネルギーを注ぎたいと思う。

20年間をかけて73回の真剣なLSDセッションを自らに課したクリストファー·ベイシュ教授と自分がふと重なるように思えた。もちろん完全な重なりではないが、部分的に大いに重なっているものがあると知覚された。ベイシュ教授は73回のセッションを禅仏教で言うところの「接心」と呼んでいて、それは自身の治癒や変容目的を超えて、宇宙論(cosmology)の探究のためと捉えていた点に共感する。確かに現在はサイケデリクスがセラピー目的で使われるようになって来ているし、その研究が進んでいるが、サイケデリクスをそうした精神医療目的で留めてしまうのは実にもったいない。それを通じて哲学的な探究、宗教·神学的な探究、さらには宇宙論的な探究ができるのだ。まさに自分のシロシビン·セッションの目的もそれらにある。正直なところ、もはや自身の治癒や変容にはほとんど関心がなく、哲学的な探究、宗教·神学的な探究、そして宇宙論的な探究のためにシロシビンを摂取しているというのが実情である。通常意識では得られない洞察をもとに、ここからも引き続きシロシビンの力を借りてシロシビンと二人三脚でそれらの探究を大いに進めていこう。毎回のセッションの振り返りの日記は何かしらの時系列データとしてもいつか活用できる日がやって来るに違いない。次回のセッションもまたこうした明確な目的を持って進めることによって大いに気づきと洞察を得られるだろう。フローニンゲン:2023/12/6(水)05:57


11521. 創作活動としての仮説的理論の創出/エコデリクスを活用したエコロジカル

アウェアネスの涵養の道について


意識とリアリティに関して大胆な仮説的理論を次々と創造していきたい。仮説的理論の創出もまた自分にとっての知的創作活動となり、その活動に従事する楽しみが日ごとに増している。引き続き絵画や音楽の創作活動にも取り組みながら、その活動を通して形成された創造的直観回路を活用する形で学術研究においては大胆な仮説的理論を生み出していくことを楽しみたいと思う。その楽しみの中で、それらの仮説的理論がどうすれば検証されるのかのアイデアについても色々と考えを巡らせることも、これまた創造的直観回路を活用して行っていこう。自分の日々の生活は全て創作活動なのだ。宇宙として生きるというのはそういうことだったのだ。宇宙は常に創作活動に従事する存在なのである。創作活動に関する巨匠が宇宙なのであり、自分もまた宇宙の写し鏡としての性質が内在していて、自分の内側にも宇宙がある。そんな創造的宇宙として自分は生きていく。宇宙と共に生き、宇宙として生きるというのは絶え間ない創作活動に従事するという形で実現されるものだったのだ。

リチャード·ドイルの“Darwin’s pharmacy: Sex, plants, and the evolution of the noosphere”を読みながら、改めてドイルが提唱した「エコデリクス」の果たす役割について考えている。エコデリクスとは、サイケデリクスの活用をエコロジカルアウェアネスを高めることにつなげ、地球環境に優しい態度を醸成し、人間世界を超えた地球環境とのつながりを深める手段とすることを指す概念である。地球環境問題は長らく議論されて来ているハイパーオブジェクト的な問題であるが、その突破口の1つにサイケデリクスを据えてみるという試みを自分はしている。もちろん地球環境問題の解決に向けてテクノロジーを活用するのは必須であるが、テクノロジーの開発と活用を下支えする意識の涵養に向けてサイケデリクスの活用を検討している。とりわけ合成系ではなく天然系のサイケデリクスを通じて、地球から授けてもらった天然系サイケデリクスの摂取を通じてエコロジカルアウェアネスに目覚め、地球環境問題へ真剣に取り組む人たちの増加を願うが、それほど単純にうまく話では決してないことを重々承知である。しかしながら、サイケデリクスを通じてある特定の狙った知性領域、例えば霊的知性を涵養する形で活用することができるのと同じく、エコロジカルアウェアネスの涵養に焦点を当てた形でのサイケデリックワークショップのデザインは可能であろうし、むしろそれが現在ほとんどないことが不思議なぐらいだ。私たち人間には多様な知性領域があり、全てを一律に涵養していくことはできない。とりわけ現在の教育においてエコロジカルアウェアネスを高めるような教材も指導方法も確立されていないのだから、それが育たないままに大人になっている人が圧倒的多数なのである。そうしたことから、エコロジカルアウェアネスを高めることに特化したサイケデリクスを活用した学習カリキュラムやワークショプを立案していくことは非常に重要かと思う。そのようなことを考えながらドイルの書籍を再読していた。フローニンゲン:2023/12/6(水)07:13


11522. 仏教とサイケデリクス


時刻は午前8時半を迎えて、ようやく辺りが随分と明るくなって来た。まだ完全には夜が明けておらず、夜明けも随分と遅くなったものだと思う。白々と夜が明けて来た世界に広がっているのは昨日と同じく雪で覆われた白銀世界だった。昨日から今日にかけて気温が低いままなので、雪が溶けておらず、昨日と同じ景色を眺めることができる。今週末の土曜日までは寒い日々が続くが、土曜日からは少し気温が上がるとのことなので、それを楽しみに待ちたい。さすがに12月初旬にしては寒すぎである。

今、“Secret drugs of Buddhism: Psychedelic sacraments and the origins of the Vajrayana (2nd ed.)”という書籍の3読目を行っているのだが、ゾロアスター教におけるハオーマ、ヒンドゥー教におけるソーマと同じく、仏教におけるサイコアクティブな飲み物はアムリータと呼ばれていた。その飲み物を作る物質については未だ何かは特定されておらず、考古生化学的な研究のさらなる進展を待ちたい。いずれにせよ、それらの宗教以外にもキリスト教やイスラム教もまた積極的にサイコアクティブな飲み物を活用していたことは改めて興味深く思う。大変興味深いことに、インド大乗仏教中観派の始祖であるかのナーガールジュナ(竜樹)はアムリータを作ることとそれを摂取することに多大な関心を寄せていたという。ナーガールジュナの思想に触れればわかるように、あの思想はまさにサイケデリック体験によってもたらされたであろうことがすぐに知覚される。とりわけ空の思想は、高服用量のサイケデリクスによって引き起こされる非二元の意識状態に参入した際にナーガールジュナが知覚した体験をもとに構築されていったのであろう。上記の書籍を読みながら、綿密な文献調査と考古学的な証拠の提示によって明らかになって来る仏教とサイケデリクスの切っても切れない関係性は大変興味深い。一方で、そうした歴史を無視し、サイケデリクスの活用を検討しない現代の仏教は果たして何なのだろうかと疑問が湧いて来る。高次元の意識状態と真実の知覚といった直接体験に基づかない表層的な教えと実践が展開されているのが現代の仏教なのかもしれない。こうした状況に対して現代の仏教者はどのように考えているのだろうか。事情は他の宗教においても同じであり、この問題については神学大学院に進学することができたら諸宗教の関係者にぜひ意見を聞いてみたいと思う。フローニンゲン:2023/12/6(水)08:36


11523. ハーバード大学とUCバークレーのサイケデリック研究に関する

ジョイントプロジェクトから


イーロン·マスク氏が2ヶ月ほど前におよそ20億円ほどを寄付したことで知られるハーバード大学とUCバークレーのジョイントプロジェクトである“Psychedelics in Society and Culture”は、自然科学に重点を置いたこれまでのサイケデリック研究に対して新たな貢献をする意味で非常に重要なものになるだろうと思われる。米国東海岸のトップスクールの1つであるハーバードと西海岸のトップスクルールの1つであるUCバークレーのコラボは非常にインパクトがあり、どちらも世界のトップスクールの一角であるから、今回のコラボプロジェクトにかける意気込みは相当なものがあるのではないかと思う。実際にプロジェクトの内容を見てみると、社会科学者や宗教学者などを多数巻き込んで、大学院生への研究の資金面での支援や世界で行われる学会への旅費の負担など、かなり手厚い支援を行っていくようである。社会科学と宗教に焦点を当てたサイケデリック研究を進めていこうとするこのプロジェクトはローンチされたばかりで、これからますます寄付金を募りながら拡大していくであろう。ハーバードもUCバークレーも卒業生からの寄付は多額なものになるだろうし、2つの名門校の研究に期待して寄付をする企業や財団もこれからますます増えていくに違いない。

自分自身はこれまでずっと社会科学に従事しており、今回ハーバード神学大学院(HDS)に出願する際に19個の専門性から選択するのは偶然にも「社会科学と宗教」というものである。まさにそのいずれもが、今回のハーバードとUCバークレーの二大名門大学のサイケデリックコラボ研究プロジェクトの趣旨に合致するものであることに何かの縁を感じずにはいられない。あとは本当にHDSへの留学を実現させ、このプロジェクトに参画するだけである。それに向けて、今週末の日曜日には、いよいよ出願に向けた志望動機書を最終版にしようと思っている。最終版が完成したら、あと1週間ほど原稿を寝かせて、いよいよ来週末のどこかで出願を完了させようと思っている。ちょうど来週末にはシロシビン·セッションの第21回目を予定していて、その日の午前中に出願を完了させ、出願をやり終えた達成感の中でセッションを進めていければ幸いである。いずれにせよ、何か自分を超えたところで大きな力が働いていて、自分を取り巻く超越的な磁場が地殻変動しているように感じる。それは良縁をもたらすものであり、人生を大きく最善の方向に導いてくれるものだ。まだ何も実現していないのだが、とにかく感謝の気持ちで一杯である。感無量というのはこうした感覚のことを指すのかもしれない。フローニンゲン:2023/12/6(水)09:01


11524. 第4の欲である「酩酊欲」の抑圧に対するサイケデリクスの貢献


欲望の抑圧。それは精神疾患の素にもなり、様々な身体症状を引き起こす素でもある。リチャード·ドイルの書籍の再読を終え、仏教とサイケデリクスに関する書籍の再読を終えた後、今度は "Intoxication: The universal drive for mind-altering substances”という書籍の再読に取りかかり始めた。本書の著者はUCLAメディカルスクールの精神薬理学者ロナルド·シーゲルである。シーゲルは本書を通じて、この地球上において、いかなる時代においても人間はサイコアクティブな物質を摂取し続けていたことを指摘し、その背後に食欲·睡眠欲·性欲の他に存在する第4の欲である「酩酊欲」が存在していることを挙げる。そしてこの酩酊欲はなんと人間だけではなく、他の動物や昆虫にまでも見られることであると数々の証拠を提示しながら論じていく。本書を通じて、人間、動物、昆虫がこぞってサイコアクティブな植物や菌類に魅了される姿を見ていると、ひょっとしたら人間、動物、昆虫は植物や菌類に仕える存在であるかのようにすら思えて来る。

本質的に私たち人間は酩酊欲を持っているのだが、現代人は酩酊欲をきちんと満たせているだろうか。それを抑圧していないだろうか。確かに部分的にアルコールやニコチンの摂取によってそれを満たしていると言えるかもしれない。しかしながら、それらの害悪と酩酊の性質を考えてみたときに、サイケデリクスがもたらしてくれるような酩酊感とはやはり異質なものであり、現代人の多くはおそらく酩酊欲を満たすことに失敗しているのではないかと思う。現代においては睡眠欲や性欲を満たせていない人も多いように見受けられ、そうなって来ると4大欲のうち、現代人は食欲ぐらいしかきちんと満たせていない可能性がある。

ショーペンハウアーは表象への意志、ニーチェは力への意志、フランクルは意味への意志を指摘し、フロイトは快楽への意志を指摘した。フロイトが述べる快楽への意志のうち、とりわけ性欲と酩酊欲は鍵を握るだろう。フロイト自身が性欲をベースにして精神分析を体系化させていったことはよく知られているが、フロイト自身がニコチンやコカインの摂取を習慣にしており、サイコアクティブな物質の研究に熱を上げていたことは意外と知られていない。フロイトは性欲を越えて、酩酊欲の存在と重要性をきっとわかっていたのであろう。だからこそサイコアクティブな研究に従事していたのである。

現代の悲劇はきっと酩酊欲の抑圧に1つの大きな要因があるように思えて来る。またそれを満たす手段が不幸なことに害悪なるアルコールやニコチンぐらいしかない。サイケデリクスの健全な社会普及は、それらの害悪な酩酊誘引手段に取って代わり、アルコールやニコチンでは得られない意識状態に参入することを通じて酩酊欲を満たしながら、存在の入れ子の全てを癒していくことが期待される。現代社会において酩酊欲を抑圧していることに伴って表出している社会現象や病理にはどのようなものがあるかに目を光らせていこうと思う。フローニンゲン:2023/12/6(水)09:30


11525. サイケデリクスを通じた「ネオハイカルチャー」の誕生に期待を寄せて


ロナルド·シーゲルの「酩酊欲」とサイケデリクスに関する書籍を読み終えた後、今度は"High culture: Drugs, mysticism, and the pursuit of transcendence in the modern world”という書籍の3読目を始めた。この書籍のタイトルにあるように、人間の文化は本来「ハイカルチャー」であったはずなのだ。ハイカルチャーというのは、精神変容物質を摂取する形で醸成される文化のことを指す。芸術に支えられた文化の背後にはサイコアクティブな物質が絶えずあったことを本書は分厚い語りで記述していく。

先ほどの酩酊欲の話の続きで言えば、やはり人間にはマズローが指摘するように、絶えず自己超越欲求というものが内在しているのだと思う。それはマズローの欲求のピラミッドの中で最上位に位置づけられるが、実はこのピラミッドモデルはマズローが望んで作ったものではなく、当時のビジネスパーソンたちが分かりやすいモデルを求めたことから彼らの要求によって作られたという話がある。

自己超越というのは別に下位の欲求を満たさなくても常に私たちの内側に息づいているものである。まさに私たちの発達が内側から紐解かれていくというのは、内在的に超越衝動が存在しているからであり、同時に私たちには絶えず今の自分を超えた潜在可能性が存在しているのである。そうした衝動と可能性の双方が私たちの内側には同居していて、それを満たそうとする形で絶えず私たちには自己超越欲求が存在しているのである。ハイカルチャーというのは本来は、この自己超越欲求の現れの側面があったのだと思われる。酩酊欲を満たし、それを通じて自己超越欲求を満たす形で様々な表現活動がなされ、ハイカルチャーが形成されていったのではないかと思う。そうなって来ると、酩酊欲を忘れ、それを抑圧している現代の文化はハイカルチャーから遠いところにあるように思える。現在隆盛しているサイケデリック·ルネサンスは、中世のルネサンスのように、文化的な意味でも復興運動になるだろうか。過去のハイカルチャーに退行するのではなく、それと今の文化を含んで超える形での新たなハイカルチャー、ネオハイカルチャーが誕生することを願ってやまない。そうした文化がどのような新しい表現形式と表現物を生み、社会に貢献していくのか。それに密かな期待を寄せる。フローニンゲン:2023/12/6(水)10:02


11526. 人生100年時代における学習臨界点の超克効果をもたらすサイケデリクスの可能性


時刻は午後の4時を迎えた。朝は午前8時半を過ぎてようやく明るくなり、午後は4時を迎えるともう暗くなり始めている。そんな日々を過ごしているが、今日もまた充実感に溢れる1日だったと言える。先ほど「インテグラル·サイケデリックラジオ」の第44回の収録を終え、部屋とトイレの掃除をして今の時間を迎えた。

今日もまたラジオのリスナーの方からたくさんのお便りをいただき、それに感謝する回となった。こうしてラジオも日々のその他の学習や実践と同じく継続していくことを通じて着時に育っていて、その影響力が少しずつ増しているのを感じる。とりわけサイケデリクスに関する良き文化が日本にこれから根付いていって欲しいという思いを持って今後もこのラジオを継続させていき、いつかゼミの場でのさらに深い学びを共にしたり、何かしらの協働が実現されれば幸いである。

サイケデリクスに関する一般書の出版を通してサイケデリックブームの新たな扉を開くことに貢献したジャーナリストのマイケル·ポランがハーバード大学の“Psychedelics in Society and Culture”というプロジェクトのローンチを記念して公開講演を行なっており、掃除をしながら先ほどそれを聞いていた。その中で、サイケデリクスがもたらす学習臨界点の超克効果をとても興味深く思った。この研究成果については既に知ってはいたが、改めてポランの話を聞きながら、サイケデリクスが脳の可塑性を高めることに加えて、学習機能として閉じてしまったものを再び開く効果があるというのはとても興味深い。人生100年時代を迎え、これからまだ寿命は伸びるであろうから、そうなってきたときに幾つになっても新たな学びができるという機会の提供だけではなく、実際に能力的にもそれを実感してもらうことは重要かと思う。その際にサイケデリクスはとりわけ認知的な側面において、学習上の臨界期を迎え、閉じられてしまった回路を開く働きをしてくれる可能性がある点には注目が集まる。例えば外国語学習の能力や記憶力に関して、既に閉じられてしまった回路を開いてくれる可能性が示唆されているのは大変興味深い。もちろんこの研究はまだ始まったばかりなのでさらなる研究結果を待つ必要があるが、個人的な体験を振り返ると、確かにサイケデリクスの摂取を通じて、様々な学習や実践に絶えず挑戦し、それを楽しむ自己が涵養されているのを実感する。

古典的サイケデリクスではないが、MDMAを使ったこれまた有名な研究結果として、タコの社交性向上に関する研究がある。これも学習臨界点と関係するものだ。タコは成人になると、基本的他のタコとつるむことはなく、自分のタコ壺に閉じこもる。興味深いことにタコにMDMAを摂取させると、かつての社交性の能力を取り戻し、社交的な振る舞いをしたという研究結果がある。これはその研究の大枠で、改めてその論文を読んでみて詳細を確認したいと思うが、通常「共感剤(empathogen)」に括られるMDMAには社交性に関する学習臨界点の克服においてそのような興味深い効果がある。古典的サイケデリクスもMDMA程ではないにせよ、共感能力を高める力を秘めているので、同種の研究がなされることを期待したい。フローニンゲン:2023/12/6(水)16:05

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