top of page

11082-11090: フローニンゲンからの便り 2023年10月12日(木)



その他のカリンバ即興演奏曲はこちらからご視聴いただけます。

8617個のピアノ曲・箏曲の全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。


下記のアートギャラリー(Instagram)より、本日のアート作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。


成人発達理論とインテグラル理論を楽しく学んでいただける「成人発達コラボラジオ」を2023年7月14日より始めました。

タイトル一覧

11082. 今朝方の夢

11083. 第18回のシロシビン·セッションに向けて

11084. サイケデリクスと形而上学/夏輝の収穫に向けて

11085. サイケデリクス・セッションにおける存在論的な問いと認識論的な問い/パラダイム変換の促進剤としてのサイケデリクス

11086. DMT・シロシビン・LSDの体験時間の比較から思うこと

11087. 第31回の「インテグラル·サイケデリックラジオ」の収録に向けて/サイケデリクス·セッションの言語化を促す形而上学・神秘思想・成人発達理論

11088. 電子タバコJUULの失敗から見るサイケデリクスの普及方法について

11089. ロッテルダム滞在前のトレーニングからの学び

11090. カンナビスの夏輝の命をいただいて


11082. 今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えた。今の気温は12度で、これくらいの気温であればまだ寒さはそれほどではない。湯たんぽを使い始めるのはちょうど今週末のアニマルフローのトレーニングを終えて、ロッテルダムから戻ってきてからになるだろう。今日の最高気温に関しては15度までしか上がらないようなので、午後にジムに行く際には上にジャケットを羽織っていく必要がありそうだ。今日のトレーニングは、ロッテルダムに滞在する前の最後のトレーニングとなるので、思う存分身体を動かしてこよう。


今朝方の夢の中では、今パリに滞在しておられて一緒にロッテルダムでアニマルフローのトレーニングを受ける早田航さんが登場した。航さんとは今日も午前中に一緒にラジオを収録することになっており、その影響で夢の中に出てきたのかもしれない。航さんとの付き合いは5ヶ月ほどとなるが、その期間には見えない一面が夢の中で出てきた。


夢の中で私は、外国のどこかの町のホテルに宿泊していた。そこは研修としても活用できることがよく知られていて、大変雰囲気が良かった。どういうわけか私は大きな研修ルームで寝泊りをしていた。すると、航さんも同じ研修を受けに来て、航さんもまた同じ部屋で寝ることになった。研修ルームの床に布団を敷いて寝る形となり、今日はお互いに移動で疲れているので早めに寝ることになった。いざ2人とも布団に入ったとき、私が子供の戯れ合いのように航さんの身体を軽くつつき、そして就寝した。そのときに航さんは笑顔を浮かべていたのだが、実はもう1つシナリオが脳裏に浮かんでいた。もう1つのシナリオは優しい航さんと対極的なものすごく怖いものだった。私が彼の体をつつくと、突然キレ出したのである。言い分としては、「こちらは移動で疲れてるんだから速やかに寝させてほしい」というものだった。その言い分も一理あるなと思った私は少し反省をして、そこからは何もちょっかいをかけることなく寝ることにした。そのようなシナリオが頭に浮かびながらも、実際には2人とも笑顔で就寝に向かい、翌日からの研修に備えた。そのような場面があった。


この場面に付随して、その町の郊外にある遺跡を巡る場面もあった。そこでは数カ所ほど見たい遺跡があったのだが、時間の都合上、どこかに限定して見て行く必要がありそうだった。私の隣には両親がいて、両親と待ち合わせの時間を決めて、一緒に宿泊先に戻るという案が出ていた。その案が良いと思ったが、仮に自分が全ての遺跡を見たいのであれば、宿泊先に一緒に戻るのではなく、宿泊先の現地集合にするのはどうかと父が述べた。その案は魅力的だったが、この遺跡から宿泊先までは車でないと難しい距離だったので、父の車がどうしても必要で、やはり一緒に宿泊先に戻るのが良いかと思った。自分がどうしても全ての遺跡を見たいという思いがあることが父に伝わったのか、父は遺跡の滞在時間を午後5時まで伸ばしてくれた。それであれば全ての遺跡を巡ることができるぞと思った私は嬉しくなり、本格的に遺跡巡りをして、得られるものをたくさん得てこようと思った。フローニンゲン:2023/10/12(木)06:21


11083. 第18回のシロシビン·セッションに向けて


時刻は午前7時を迎えた。辺りはまだ真っ暗であるが、闇から光へと転じるその瞬間に立ち会えることは喜びである。朝日に向かう世界は、突如として光の世界に包まれるのではなく、そこには緩やかなプロセスがある。徐々に世界は光に向かっていくのである。しかし、闇から光の世界に転じるその瞬間は、非線形的な跳躍があるとも言えるかもしれない。このように世界は、線形的かつ非線形的な様相を絶えず持ち合わせているのである。


第18回のシロシビン·セッションが4日後に迫ってきている。 ロッテルダムでのアニマルフローのトレーニングを終えた翌日にシロシビン·セッションをすることになっていて、土日に十分にアニマルフローを行うことによって、身体的な準備は万全であろう。精神的な準備に関しても着々と準備は進んでいて、今回のセッションを通じて自分なりに何を得たいのかを考えたい。今回のセッションでかける音楽はまだクラシック音楽ではなく、今回はジブリの曲をかけたいと思う。声のないピアノ曲や交響曲の優れたジブリの曲のプレイリストを見つけたのでそれを活用する。今回のセッションもまた来客の方と共に行うことになっているので、集合意識が形成された中で行うセッションの深まりに期待したい。


昨夜、そのセッションに向けて改めて大事なことを考えていた。セッションを最大限実りあるものとするためには、とりわけピーク体験での在り方が重要になる。ピーク体験の際には自我が自らを保全しようとする最後の抵抗が見られるのだが、その抵抗を手放せるかどうかが究極的な目撃者の意識状態や非二元の状態に入るための最大の鍵となる。自分自身の最初の体験においてはそれは難しく、自我の抵抗に屈する形でピーク体験を終えた。もちろんそれはそれとして学びがあり、当時の自分の知識と技術では仕方なかったことではある。だが、すでに自分はそうした現象がピーク体験のフェーズの際に起こることを知っているので、事前に初めての体験者にはその説明ができる。こうしたことができることがガイド役としての役割である。ピーク体験に入る直前に、その体験を自我や思考でコントロールしないようにすること。それが重要なのだが、その時の心構えとしては、シロシビンと音楽に全てを委ねてみようとすることである。もちろん、ピーク体験の際に流れている音楽が闇の色が強い場合もあり得るが、それであってもその音楽に自己を委ねてみるのである。自己を完全に委ねることができたら、自己に付帯する自我も自然と抵抗を手放す。さて、次回のセッションで自分もピーク体験の扉が見えてきたら、シロシビンと音楽に全てを明け渡すようにしよう。それができたら、ピーク体験の深みに入り、究極的な目撃者の意識状態や非二元の状態で知覚される高次元のリアリティから多大な洞察が自然と汲み取れるだろう。フローニンゲン:2023/10/12(木)07:11


11084. サイケデリクスと形而上学/夏輝の収穫に向けて


様々なリアリティの諸相を開示する力を持つサイケデリクス。そして、それらの諸相に私たちを参入させてくれる力を持つサイケデリクス。そうしたサイケデリクスを摂取する体験を通じて、リアリティとは何かという形而上学的な問いに直面する。自分もまたリアリティの一部であり、自分に固有のリアリティがある一方で、他者や社会と共有しているリアリティもある。さらにはそれらのある種世俗的なリアリティを超えた高次元のリアリティもまた無数に存在する。サイケデリクス哲学においては、サイケデリクス体験に伴うそれらの形而上学的な問いにも答えていかなければならない。形而上学を学び、その素養を高めながら、リアリティとは何かという問いに向かっていく。同時に、無数のリアリティが開示するそれぞれの意味や力についても考察を深めていきたい。


昨夜ふと思ったことがある。何かというと、今育てているカンナビスの夏輝の収穫のタイミングである。今回初めてカンナビスを育てるということで色々と苦戦をし、思った以上に大きく育っていない。1週間ぐらい前には、夏輝の頭あたりから触手のようなものが生えてきて、成長を実感したのだが、それ以降の成長が少し鈍化しているように感じていた。ちょうど今週末にはロッテルダムに滞在するため自宅を離れる必要があり、隣人のサハルやマークに夏輝の世話を頼むのは少し申し訳ないように思ったので、少し早いが今晩収穫をしようと思った。思った以上に早い収穫だが、夏輝の成長プロセスと旅行を勘案すると、今日収穫するのが良さそうだと思った。収穫した夏輝は、刻んだものを薬味として豆腐の上に乗せ、そこに生姜と醤油を加えていただこうと思う。こうやって自分が育てた命を自分でいただくという体験は久しぶりのことなので、どこか神聖さを感じる。こうした神聖さを感じさせてくれることが植物を育てる良さの1つである。それは、「プラント·スピリチャリティ」あるいは「ナチュラル·スピリチャリティ」とでも形容できるような自らの霊性を育む機会にもなる。今回夏輝を育てる過程の中で色々なことを学ばせてもらったことに本当に感謝したい。今晩夏輝をいただくときには、夏輝が自分に授けてくれた無数の学びに改めて感謝したいと思う。フローニンゲン:2023/10/12(木)07:30


11085. サイケデリクス・セッションにおける存在論的な問いと認識論的な問い/

パラダイム変換の促進剤としてのサイケデリクス


次回の第18回のシロシビン·セッションにおいては、大枠として存在論的な問いと認識論的な問いを念頭に置いておこうと思う。前者に関しては、根幹的な問いは「リアリティとは何か?」に集約されるが、その問いをさらに自分に引き寄せると、今の自分にとってのリアリティとは何で、今の自分を一歩越えたところにあるリアリティとは何か、まだ見ぬリアリティとは何か?という問いの形にすることができる。後者に関しては、根本的な問いは「真実とは何か?」というものになるだろう。この問いもまた自分に引き寄せると、今の自分にとっての真実は何で、まだ見ぬ真実とは何か?という問いの形にすることができる。いずれにせよ、今の自分の発達段階におけるリアリティと真実の意味を確かめ、同時に今の自分の発達段階の1つ上にある発達段階の状態をシロシビンによって体験することを通じて、その段階から知覚されるリアリティと真実に触れたいと思う。もちろんそれらの方向性は全て光の側、すなわち上昇の側面を持つものなので、それは変容を促すことになるが、逆方向でも良い。逆方向の場合には、過去に積み残しになっている発達課題やトラウマの治癒につながる。これまでの自分が見落としていたリアリティや真実に目を向けるというのがまさにそのアプローチとなる。


かつてティモシー·リアリーは、トーマス ·クーンの思想に触発されて、サイケデリクスを通じたパラダイムの転換を図ろうとしたが、巨大な政治的な力によってそれは潰されてしまった。第一次サイケデリクスブームはそのような形で終焉していったが、今起こっている第二次サイケデリクスブームは世界の名門大学がこぞってサイケデリクス研究に乗り出しているという点において前回のブームの時とは様相を大きく変えている。今回のブームは政治と対立するようなものではなく、むしろ政治と協調する形で研究と実践が進んでいる点が大きく異なる。しかしながら、リアリーがかつて目指したように、サイケデリクスをある種の「パラダイムチェンジャー」あるいは「パラダイムカタリスト」として活用できるかどうかは、現代文明の治癒と変容における大きな鍵を握るだろう。確かに政治と敵対せず、政治と足並みを揃えて実践をしていくことは重要であるが、現代文明の山積みの問題を真に根本から解決していくためには、既存のパラダイムから脱却していくことが不可欠である。サイケデリクスの活用の意義はそこにもある。一度の摂取でも自らの思考パラダイムは随分と変わるが、可能であればガイド役と共に、あるいは自分でかなり勉強を進めながら定期的にサイケデリクスを摂取することを通じて、完全に既存のパラダイムから脱却し、そこでまた直面する新たなパラダイムからも適応を経た後で徐々に脱却していくというサイクルを続けていく必要があるだろう。パラダイムシフトと継続的なそれを促すサイケデリクスの役割は、とりわけ現代文明の治癒と変容の鍵となる。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2023/10/12(木)08:12


11086. DMT・シロシビン・LSDの体験時間の比較から思うこと


マサチューセッツ州の新たなサイケデリクス法案の中で合法化に向かっているものの1つに合成系のDMTというものがある。これは今「合成系」と書いたが、実際には私たちの身体、とりわけ脳の松果体から分泌されているとされており、DMTを天然系と括ることもできなくはない。ただし実際のDMTは、粉状の形をしており、吸引摂取をすることが一般的なので、シロシビン·マッシュルームやサンペドロのような純粋な天然系とはやはり少し異なる。マサチューセッツ州で現在協議にかけられているのは、シロシビン、メスカリン、DMTの3種類で、それらは全て自然由来のものだ。協議の対象外となり、依然として違法な状態になるのはLSDとMDMAである。自分の研究対象の主役はシロシビンだが、DMTが含まれるアヤワスカが最初のサイケデリクス体験でもあり、 かつて一度DMTもメキシコ人の友人のセラピストの立ち合いのもとで吸引摂取したことがあり、DMTも研究対象としている。しかし実際に自分が実践で活用するのは、やはりシロシビンが最も望ましいように思う。とりわけ時間の観点において、非二元状態を体験できるような高服用量の場合、LSDは8時間から12時間と体験時間が長すぎるのが自分にとってはネックであり、一方のDMTは15分から30分くらいしか体験が持続しないという点がネックだ。サイケデリック·セッションは自分にとって、禅寺で半日接心に参加するぐらいの時間が理想的であり、それくらい時間をゆっくり取って体験そのものと振り返りの時間をゆっくりと取りたいという思いがある。そうなってくると、やはりLSDとDMTはそれに適せず、シロシビンが最も自分の実践ニーズに合致するものになる。もちろんDMTは体験が短い分、体験後しばらくして日常活動に従事することができる良さはあるが、逆にそれはデメリットでもある。体験をゆっくり味わうことそのものが日常をリセットしてくれることにもつながるので、体験時間が極めて短いDMTは、日常の延長線上でその体験をしてしまうことになりかねない。サイケデリクスというのは非日常意識に入り、そこでしか積めない豊かな体験をし、洞察を持ち帰ることに意味があるので、通称「ビジネスパーソンのランチトリップ」と呼ばれるようなDMTは、手軽さはあるものの、その手軽さのデメリットの方が自分にとっては大きいものに映る。自分はやはりある程度の時間をあえて設けて、日常からいったん完全に離れ、非日常体験をゆったりとした気持ちで味わって、そこからまた日常にゆっくりと着地することを大切にしているようだ。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2023/10/12(木)08:40


11087. 第31回の「インテグラル·サイケデリックラジオ」の収録に向けて/

サイケデリクス·セッションの言語化を促す形而上学・神秘思想・成人発達理論


時刻は午前9時半を迎えた。ここ数日間は曇りがちな日が続いていて、昨日は雨も降っていたので、久しぶりに晴れ渡る朝の世界を堪能することができている。晴れた朝はやはり良いもので、気分が穏やかになり、幸福な気持ちになる。あと30分後に「インテグラル·サイケデリックラジオ」の第31回の収録がある。今回は記念するべき欧州編という形で、ラジオのパートナーである早田航さんが今パリにいるので、今日はパリとフローニンゲンをつなぐ形でのラジオ放送となる。今回はそれを記念した回になり、思い出に残る対話ができそうである。


先ほど、サイケデリクス哲学者のピーター·ショツテッドの教授のインタビュー動画を視聴していたときに、改めてサイケデリクス哲学の領域の中でも形而上学や神秘思想を学ぶことの大切さを思った。端的には、形而上学や神秘思想を学ぶ意義は、サイケデリクス·セッションにおける言葉を超えた体験に言葉を与えることを可能にすることである。セッションの中でもたらされる言葉にならない体験そのものにも価値があるが、それを真に意味あるものにしていくためには、言葉の形にして意味化する作業が不可欠であり、形而上学と神秘思想を絶えず学んでいくことがサイケデリクス·セッションがもたらす意味をさらに広く·深いものにしてくれる。これまでインテグラル理論を通じて、東洋·西洋の様々な形而上学思想と神秘思想を学んできたことがどれだけ自分のサイケデリクス·セッションを有意味なものにしてきてくれたことか。さらには成人発達理論の貢献も忘れてはならない。とりわけ高次元の発達段階や高次元の意識状態に関する成人発達理論の分厚い研究に触れ続けてきたことが、サイケデリクス·セッションの体験を紐解く際の鍵になっていた。これからはサイケデリクス体験がもたらす無限の意味をさらに豊かにするという観点で、形而上学·神秘思想·成人発達理論を学び直していこうと思う。こうした形でこれまでの学びがサイケデリクスの研究と実践に結びつき、またそれらに原点回帰できることが本当に有り難く、深く感謝している。フローニンゲン:2023/10/12(木)09:37


11088. 電子タバコJUULの失敗から見るサイケデリクスの普及方法について


時刻は午後2時を迎えた。この日記を書き終えたら着替えをし、ロッテルダム滞在前の最後のトレーニングに向けてジムに行ってこようと思う。今日はパーソナル·トレーニングではなく自分1人で体を鍛える日で、この日は主に筋持久力と純粋な持久力を高めるようなトレーニングを中心にしていきたいと思う。


昨日の夜から、Netflixの“Big Vape: The Rise and Fall of JUUL (2023)” というドキュメンタリーを見始めた。この作品は、今後サイケデリクスを社会がどのように受け入れ、サイケデリクスが社会にどのように普及していくのかについての反面教師的なケーススタディを示してくれているように思った。


まずJUULというのはアメリカで2015年以降に発売が開始された電子タバコのことを指す。アメリカにおいてはニコチン入りで販売されており、日本においては法律の影響を受けて、ニコチンが入っていない形で販売されている。JUULを発明したのは、スタンフォード大学出身の2人の起業家で、当初の思いは、紙タバコ·加熱式タバコがもたらす肺癌などの病気から人々を救うことやニコチン中毒からの解放が目的だった。上記のドキュメンタリーでは、JUULの誕生までの経緯と販売後の社会からの需要の様子が描かれている。


JUULの製品を見てわかるように、それはまるでApple製品のようにスタイリッシュである。開発者がスタンフォード大学でデザインシンキングを学んでいたことや、スティーブ·ジョブズから大きな影響を受けていたことが製品の見た目からもわかる。ポケットサイズであるし、見た目のスタイリッシュさから、カジュアルとフォーマルのどちらでも使える点もまたこの製品の魅力だったのだろう。2018年からは、SNSを活用し、セレブやインフルエンサーの力もあって、JUULは爆発的に売れ、紙タバコ·加熱式タバコに取って代わり、タバコ市場を席巻するようになる。


しかしながら、JUULの当初の目的とは異なり、製品が思わぬ対象者に活用され、一大社会問題が生まれることになる。それはSNSを最も活用している若者がJUULの製品に魅了され、紙タバコ·加熱式タバコとは縁のなかった若年層の子供たちがニコチン入りのJUULを使い始めたのだ。無茶な使い方をし始める子供たちが現れ、それがSNS上で人気を得ることを通じて、若者の健康被害が発生してしまったのだ。最終的にJUULは裁判所に訴えられることになった。この一連の流れを受け、サイケデリクスの社会普及においても同様のことに注意しなければならないと思った。確かにサイケデリクスは多くの人の治癒や変容に役に立つが、若年層の使用に関する実証研究は進んでおらず、子供たちが活用し始めることは今の段階では避けなければならないと思う。一方でサイケデリクスを社会に普及させていくためには、セレブやインフルエンサーの力やSNSのようなテクノロジーの力が必要で、JUULの失敗から何を学び、どうしなければいけないのかを真剣に考えなければならないと思う。本来、アメリカでもタバコは未成年は吸えないようになっていたはずなのだが、ニコチン入りのJUULはタバコではないという認識から販売が認められ、法律の盲点を突く形での普及が始まった。今のところのアメリカのカンナビスの開放や数種のサイケデリクスの開放に関する規制においては、未成年の使用は認められていないが、本来未成年の使用が認められないはずのカンナビスも未成年における使用例が見られ、規制の設定と普及の枠組み作りは一筋縄ではいかないことがわかる。この問題についてもこれから考えを深めていき、どのような制度と枠組み、さらには文化的啓蒙が望ましいのかを見出していきたい。フローニンゲン:2023/10/12(木)14:26


11089. ロッテルダム滞在前のトレーニングからの学び


時刻は午後5時を迎えようとしている。今、小鳥のさえずりが聞こえてきた。先ほどジムから帰ってきたのだが、今日のトレーニングも非常に充実していて何よりであった。ジムの行き帰りは随分と寒くなっていて、ジャケットを着て準備運動と整理運動がてらジョギングをしていたのだが、それでも汗をかくことはなかった。


今日のトレーニングで印象に残っているのは、無酸素運動の際にもタイミングを見てうまく呼吸をすることの大切さである。後半で全力疾走に近いシャトルランを往復で何回か行う中で、折り返しのタイミングで呼吸をすると運動を続けやすいことが2セット目でわかり、1セット目は呼吸を意識しないまま、ひょっとしたら呼吸をほぼ止めた状態で何回か往復していたのでキツさがあった。もちろんあえて呼吸をしない形で追い込んでいく方法もあるだろうが、心肺機能を鍛える意味では、そして自分の身体の状態やそのトレーニングの目的を考えると、折り返しのタイミングで一呼吸つくのがちょうど良いように思えた。このシャトルランのメニューもトレーナーのエリーザに紹介してもらったもので、このおかげで心肺機能が随分と高まった。長らく短い距離を全力疾走することなどなかったので、最初は身体が心配だったが、徐々に身体を慣らして毎回のトレーニングで取り入れていくうちに昔のような瞬発的に体が動くようになってきているのは嬉しい限りである。ひょっとすると、昔以上にもう体が動くようになっているかもしれない。トレーニングというのは意識と工夫次第で昔の自分を超えられる可能性を秘めているのだと再認識した。


それとこうした瞬発系のトレーニングをした後のインターバルの過ごし方として、自分はとにかく自分の心臓の鼓動を聞くかのようにマインドフルネス瞑想をしている。ジムにいる大半の人はイヤホンやヘッドホンをかけて音楽を聞いたりしているのし、その状態でスマホをいじったりしてインターバルの時間を過ごしているのだが、自分はそうではない。インターバルの最中もまた身体のトレーニング及び身体意識の格好のトレーニング時間と位置づけ、その前の運動が身体に与える影響を観察するかのように身体の声を聞いている。おそらくこうした取り組みが見えないところでより健全な身体の涵養につながっているのではないかと思う。


それともう1つ、今日は大胸筋を鍛えるマシーンの重りの部分にダンベルを乗せて細かく重さを加えようと思ったら、ダンベルが中で引っかかってしまい、それが取れなくなってしまったという問題に直面した。1人ではどうしても解決できず、近くにいた若い男性に協力を依頼したところ、快く協力してくれ、2人で力を合わせてダンベルを中から取り出すことに成功した。この出来事を受けて、1人で解決できない問題を他者と協働して解決することの大切さを思った。この小さな出来事は、これからサイケデリクスに関する研究と実践をしていく上でも大切な教訓になるだろう。フローニンゲン:2023/10/12(木)17:07


11090. カンナビスの夏輝の命をいただいて


今、穏やかな気持ちで1日の終わりを迎えている。辺りはすっかりと闇に包まれた。ここ最近は日の出の時間が遅くなり、日が沈むのも随分と早くなった。これからますます日照時間が減っていく中で、闇と向き合う時間が増えてくる。しかし今の自分はもう闇と敵対することなく、むしろ闇を仲間につけて、闇と共に光を見出し、闇を通じて自己を深めている自分がいる。闇と過ごす時間が長ければ長いほど、今の自分は闇を養分にして自分の内側の光を深め、自分自身を深めていくことができる。こうした段階まで自己を深められているとは8年前にオランダに来た時には思ってもいなかったことである。あのところは闇に押し潰されようになりながら、日々ほふく前進をしていたように思う。


今日の夕食は特別なものになった。何が特別だったかというと、これまで愛情を込めて育てていたカンナビスの夏輝を収穫し、夏輝の命をいただいたのである。想像していたよりも小さな形で育つことになったが、初めてカンナビスを育てることになった自分としては上出来の育ち具合いだったように思う。どれだけ育ったかは確かに重要かもしれないが、自分にとってそれ以上に重要なのはカンナビスの夏輝を深く愛することができた点である。毎朝起きてすぐに話しかけながら水をあげたり、就寝前にも水をあげる際にも話しかけたり、水をあげる時にはいつでも夏輝に話しかけ、自分の気を分けてあげるかのような気持ちで夏輝と接していた。結果として大きくは育たなかったが、夕食の際に刻んで豆腐の上にかけて食べた時、しっかりとカンナビスの味がし、今は自分の内側に夏輝の命がいる。自分が愛情を込めて大切に育てた植物を、その命に感謝しながらいただき、命を受け取らせてもらうというのはこういうことなのだと深く学んだ。物理的にはもう夏輝は自分の目の前にはいないが、自分の肉体の一部となり、これから夏輝は自分の肉体を通じて生き続け、そして自分の心の中でも生き続ける。今回カンナビスの夏輝を育てたことは本当に大きな学びをもたらしてくれた。そんな夏輝には深く感謝をし、今後またカンナビスを育てる時には常に第一子の夏輝のことを思い出すだろう。また、ボストン旅行から帰ってきてから栽培を始めるシロシビン·マッシュルームを育てる時にも今回の経験は活きてくるだろう。今夜は夏輝に感謝をしながら眠りにつきたい。フローニンゲン:2023/10/12(木)19:50

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page