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11046-11053: フローニンゲンからの便り 2023年10月7日(土)



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タイトル一覧

11046. 今朝方の夢

11047. 今朝方の夢の続き

11048. 超越と内在/CSWRのリサーチアシスタントの魅力

11049. 人生の終焉に寄り添うシロシビン・セッション

11050. 意識の理論モデルの再調査/サイケデリクスに関する研究者かつジャーナリストとして

11051. ウィルバーの意識モデルを活用して過去のシロシビン・セッションの体験を振り返ってみて

11052. 自由と解放のためのサイケデリクス

11053. 終末精神医療におけるサイケデリクスの価値と役割/テクノロジーとサイケデリクス


11046. 今朝方の夢


時刻は午前5時を迎えた。辺りは闇と静けさに包まれている。そんな中、今朝方に見ていたいくつかの夢を早速振り返っている。


夢の中で私は、ジョン·エフ·ケネディ大学時代の親友のジョハンと、フローニンゲンのジムで仲良くなったエレンと一緒に合宿所のような場所にいて朝を迎えた。3人が同じ部屋で布団を敷いて寝ていて、目覚めてみると、私たちの目の前に大学教授の男性がいた。その男性の国籍はわからないが、スペイン系のようで少し小柄だった。その教授が寝起きの私たちに、ダイナミックシステム理論の概念についてクイズを出してきた。すると、寝起きのエレンがまずいくつかの概念の説明をした。彼女がいくつかの概念を頭の中からすぐに引っ張り出してきたように思えたのですごいなと思ったが、どうやら彼女は布団の中に隠しているノートを見ながら回答をしているようだった。エレンが一通りの回答をした後に、今度は私が少し概念の補足をした。私が補足したのは、時系列データの分析を通じてわかる位相転移と状態構造である。その説明を終えると、突然私たちは合宿所の外にいて、朝日を浴びながらヨガのマントラソングを歌い始めた。その場にも先ほどの小柄な大学教授が私たちを見ていて、ジョハンがヨガのマントラの発音を少し間違えると、その教授がそれを正した。私たちは、「カレハレウーデ」という不思議な響きを持つマントラを伴う歌を歌っていた。


この場面の後に見ていたのは、日本で実際に通っていた大学を舞台にした場面だった。ちょうどテスト週間の時期のようで、多くの学生が様々な場所で勉強をしていた。私は東キャンパスの講義棟に行って授業を聴きに行こうとしていた。するとその途中で大学1年生の時のクラスメートと出会った。彼が今から昼食でも食べないかと持ちかけてきて、私は授業に出る予定だったが、授業よりも彼と話をした方が面白いかもしれないと思って、彼と一緒に生協に向かった。その途中で、サッカーサークルの変わったファッションをする同級生が私たちの目の前を通り過ぎて行った。その日も一風変わったファッションをしていたのですぐに彼だと分かったのである。彼の名前を呼ぼうと思ったが、それを思い留まり生協に到着した。生協で席を確保してそこに腰掛けると、友人の彼が大きなグミを取り出した。まだ開封されていないグミの袋を開け、中から大きなグミを取り出して私にもひとかけらくれようとしたが、健康にあまり良さそうではなかったので、有り難く断った。そこからは、彼は法学部だったので、法学部の授業やテストについて色々と話を聞いたところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2023/10/7(土)05:30


11047. 今朝方の夢の続き


夜明けを待つ世界と自己。世界と自己の双方が夜明けを待ち、同時に夜明けを迎える不思議さ。世界と自己は常に歩みを共にしていることがここからもわかる。


今朝方の夢の続きとして、そう言えば、投資している暗号資産の1つが乱高下しながらも非常に大きく値上げしていた場面があった。その暗号資産には随分と投資を重ねていたこともあり、保有量が多く、最大に値上がりした時にはその銘柄だけで資産は10億円を超えた。しばらく私は楽しげな気分で値動きを見ていて、上がっても下がっても面白さを感じていた。最終的にはピークよりも随分と値段を落としたところで活発な動きが収まったが、それでも順調に値上がりしている様子を見れて嬉しく思った。その銘柄はこれからも長く保有しようと思ったところで夢の場面が変わった。


もう1つ覚えているのは、天空にある不思議な部屋で母と話をしていたことである。そこは地上からどれだけ離れているのかわからない楕円形をした建築物で、その中は静寂さに包まれていた。地上の喧騒は一切なく、静けさだけがそこにあった。その建築物の中で母と2人で宇宙旅行について話をしていた。今度自分は宇宙飛行士になるための試験を受けようと思っていると母に伝えると、それに伴うリスクを心配しているようだった。なので私は母の不安を解消させようと、宇宙飛行士として宇宙に旅に出かけていくことのリスクの少なさを説明し、それがどれだけリスクの低いものなのかを地上における他の活動と比較した。すると母は徐々に安心した気持ちになり、最終的には自分の決断を尊重してくれるとのことだった。その空間には3つほど、風船の紐にぶら下がった現代アートのオブジェがあった。母とそれらを眺めながら、すぐに宇宙飛行士になるための訓練に入ろうと心の中で誓った。


すると突然、その天空の空間の外に屈強そうな男性たちが建築物に張り付き始めた。そして手で支えることが限界を迎え、20人近くいた彼らはみんな一斉に地上に落ちて行った。私の意識は彼らが落ちていく様子を捉えていて、彼らは最終的に大きな海に落ちて行った。すると、海の中から大きな口を開けた巨人が姿を現し、天空から落ちてきた彼らを残らず全て丸呑みにしてしまった。私はその光景を見てギョッとしたが、不思議と恐怖感はなく、自分はあの巨人とさえもうまく交流して意思疎通できる自信があった。今朝方はそのような夢を見ていた。


この夢が示唆していることはなんだろうか。天空はサイケデリクス体験によって知覚される世界であるように思えるし、自分の研究と実践が向かう先でもあるように思える。宇宙飛行士はひょっとすると、内面宇宙を研究するサイケデリクス学者を示唆しているようにも思えてくる。そして印象的なのは海の中から姿を現した巨人である。それはこの社会に存在しているサイケデリクスに対するスティグマや反対勢力だろうか。そんな巨大なものとでもうまくコミュニケーションができると確信していた自分はとても頼もしく思える。フローニンゲン:2023/10/7(土)05:45


11048. 超越と内在/CSWRのリサーチアシスタントの魅力


夜明けを依然として待つ自己と世界。自己と世界は絶えず合一した形で存在し、そして顕現する。自己の多様な側面は世界の多様な側面であり、世界の多様な側面は自己の多様な側面を映し出している。こうして自己と世界は1つの宇宙として存在していることがわかる。


あらゆる存在に超越していながらも同時に内在している神的な何か。それを感じる感性と、それを明瞭に見通す眼が欲しい。もともと人間にも神的な何かが内在しているし、私たちは究極的なリアリティを知覚する素養を誰しも兼ね備えているのだ。学習と実践によってその素養を成長させていくことが必要となることは言うまでもないだろう。自己を超越しているものとそれが自己に内在しているという感覚が、全体的リアリティそのものと完全なる合一をもたらしてくれる。


昨日、HDSのポールから連絡を受けたときに、彼がCenter for the Study of World Religion(CSWR)のリサーチアシスタントを務めていることを興味深く思った。同じくサイケデリクスに関する読書会を開催している主催者のジェフリーも同様のポジションに就いている。彼らは共にCSWRでそれぞれの関心·実践領域を通じてサイケデリクス研究に従事しているようで、ハーバード大学でもそうしてサイケデリクス研究に打ち込めることが可能であることを改めて知って嬉しく思った。とりわけハーバード大学では、ジョンズ·ホプキンス大学(シロシビン研究)やイェール大学(DMT研究)と異なって、個人や集合の内面に焦点を当てた研究ができるのが嬉しい。後者の2つの大学以外にもアメリカにはUCLAやNYUなどの名門大学がサイケデリクス研究に従事しているが、いずれも神経科学の観点からのサイケデリクス研究であり、自分はそこを主戦場にするつもりはない。査読付き論文の執筆や博士論文の執筆に向けた自分の研究は、兎にも角にも個人の内面宇宙に焦点を当てたい。もちろん論文執筆を離れれば、サイケデリクスに関わる4象限全ての学術書と論文に目を通していく。そうした探究は怠らず、それでいて自分の研究の焦点は絶えず内面宇宙に当てておきたい。


キャンパスビジットの際にポールと会って、CSWRでのリサーチアシスタントの仕事について尋ねてみようと思う。日々どのような業務に従事しているのか。そしてリサーチアシスタントとしての経験は、博士課程への扉を開けることにどれだけ有益なのかについても尋ねておきたい。リサーチアシスタントの経験があることはきっと博士課程への進学を後押ししてくれるだろう。教授とのネットワークも構築できるし、彼らの指導の下で修士課程の段階から研究を進めていくことができ、もしかしたら査読付き論文も執筆できるかもしれない。HDSに入学することができたら、ポールやジェフリーのように自分もCSWRのリサーチアシスタントの仕事に従事したいと思う。そこでの経験は貴重なものになるだろう。それが別に博士課程の扉を開けなかったとしても、大きな学びになることは間違いないし、別の大学の博士課程に進学した際の研究を後押ししてくれる経験になるに違いない。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2023/10/7(土)06:29


11049. 人生の終焉に寄り添うシロシビン・セッション


洗濯機が静かに回る音が聞こえてくる。時刻は午前7時を迎えようとしているが、依然として辺りは闇に包まれている。日の出までしばらく時間がかかりそうであるし、今日は曇りのようなので、朝日は拝めそうにない。如何せん辺りが真っ暗なので曇っているのかどうかさえわからない。少なくとも言えるのは、雲の上の世界は晴れていて、自分の今の内的世界も晴れているということだ。


末期患者へシロシビン·セッションを行うことに関する研究を進めているチャールズ·グロブ教授のレクチャーを先ほど聞いていた。その中でふと、サイケデリクスを愛する人や両親に勧められるかどうかは、この分野の研究や実践をしていく上での鍵になるように思えた。端的には、自分は両親にサイケデリクスを勧めれるだろう。特にグロブ教授が研究しているように、身体的なリスクがほとんどなく、それでいて人生の意味に関する洞察や死の恐怖を和らげることをもたらすシロシビンは勧められる。もちろん今この瞬間に両親にそれらを摂取してもらうことを勧めはしないが、 仮に死期が迫った実存的不安を抱えた場合には、自分の研究内容を正しく伝え、2人に自分の監督の下でシロシビンを摂取することを勧めるに違いない。人は誰しも幸福に生きたく、幸福感に包まれた形で最期を迎えたいと思うのではないだろうか。これまでの人生の全てを受け止め、死を受け止め、心安らかに死に向かっていく儀式としてのシロシビン·セッションの意義と価値は計り知れないように思う。自分もまた最期がやって来たときにはシロシビン·セッションで人生の終焉を迎えたいと思う。シロシビン・セッションが多くの人の人生の終焉に優しく寄り添うものになってほしい。


両親のセッションの際には、2人が好きだった音楽の交響曲やピアノ曲をかけることが望ましいかもしれない。懐かしの曲や思入れの曲と共にセッションを提供すれば、不安も減り、それでいて体験から汲み取れるものがより美しく、より豊かなものになるだろう。


すでにどこか友人であるかのように感じているHDSのジェフリーとポールは、末期患者にサイケデリックセッションを提供する研究に従事している。自分もまたその研究プロジェクトに加わり、独自の観点から貢献したい。末期患者にセッションを提供し、そこで質的な質問用紙を活用して、彼らにサイケデリクスを通じてもたらされた生と死に関する洞察を尋ねたいと思う。きっと彼らは生と死に関する美しい物語を紡ぎ出してくれるのではないだろうか。死を忌避し、見ないようにしている通常の私たちにはない感性で生と死が持つ豊かな意味を開示してくれるに違いない。そんな確信がある。この確信はひょっとしたら裏切られるかもしれなし、確信通りかもしれない。だからこそその研究に従事したいのだ。彼らが紡ぎ出してくれた生と死に関する豊かな意味と物語は、これから死期を迎える人たちの最良の案内役になる。穏やかで幸福な最期を迎えることを可能にするのが、彼らが残してくれた意味と物語なのではないかと思う。それはAIに生成できるものなのだろうか。今のところ人々の心を打ち、人々を導くような豊かな意味と物語を生み出すことはAIには難しいのではないかと思う。おそらくコンテンツとしてはそれを生み出せる。しかし、それが人々の実存性の機微に触れ、人々を心の底から感動させるようなものは生み出せないのではないかと思う。おそらくそこにはAIに対して私たちがまだ実存性や身体性を感じられないからだと思う。逆に言えば、AIが実存性や身体性を獲得したら、私たちの心を打ち、私たちから死の恐怖を取り除いてくれるような意味や物語をAIが生み出すことは可能になるかもしれない。自分の研究はAIの問題にも触れるところまで射程が伸びている。フローニンゲン:2023/10/7(土)07:04


11050. 意識の理論モデルの再調査/

サイケデリクスに関する研究者かつジャーナリストとして


時刻は午前8時半を迎えた。辺りはすっかり明るくなった。うっすらとした雲が空を覆っていて、今日はどこかのタイミングで小雨が降るかもしれないという予報が出ている。あと1時間半ほどで第50回のゼミナールのクラスがある。気がつけば節目の50回を迎えた。まずはそのお礼を今日のクラスの最初に受講生の皆さんに伝えたい。そしてここからも焦らず着実に協働学習をしていこうという思いを伝えたい。


サイケデリクス研究に本腰を入れているこのタイミングでもう一度、グルジェフ、シュタイナー、ウィルバーなど、その他の意識の詳細なモデルを作成した人たちの研究成果を追ってみることにした。意識のモデルと神秘主義思想の体験モデルをつぶさに調査し直し、サイケデリクスがもたらす内的体験の詳細な見取り図の作成に向けて研究を進めていこうと思う。手持ちの書籍を読み返したり、必要であれば少し書籍を買い増ししたい。特にグルジェフに関する書籍は新しいものを購入する必要がありそうなので、午後にでも調べてみようと思う。


HDSのCSWRでの研究が順調に進み、最初の2年間で査読付き論文を1つ、あるいはそれ以上執筆できたら、その成果をパブリック向けに発表する活動にも精力的に従事したい。今のところHDSの2年間のMTSプログラムに出願予定で、その2年間が終わったらすぐに博士課程に進学したいと考えていたが、MTSの後にもう1年間修士プログラムを挟んでもいいかもしれないと思った。そのときに注目しているのが、HDSのReligion and Public Life(RPL)というプログラムである。このプログラムは1年間の短いもので、プログラム名にあるように、宗教とパブリックライフについて考察を深め、実践していく内容になっている。研究者志向のある人にも向いているし、ジャーナリストのような情報発信をしたいと思っている人にも向いているらしく、自分はサイケデリクスに関する研究者かつジャーナリストのような役割も果たしたいと思っているので、このプログラムは魅力的である。MTSの最終学年の際に、博士課程への出願に合わせて、RPLのプログラムにも出願したいと思う。両方合格した場合には博士課程の進学を優先させるだろうが、仮に博士課程に進学しても、研究者かつジャーナリストとしての双方の活動に従事したい。サイケデリクスについて幅広く、そして深く研究する研究者でありながら、研究だけに閉じ籠るのではなく、社会に開かれ、わかりやすく親しみのある言葉で研究成果を一般市民に共有していく役割を積極的に担いたい。そのようなことを思う。フローニンゲン:2023/10/7(土)08:38


11051. ウィルバーの意識モデルを活用して過去の

シロシビン・セッションの体験を振り返ってみて


あと25分ほどで今日のゼミナールのクラスが始まるが、その前に、ウィルバーの『アートマン·プロジェクト』で展開されている意識のモデル図を用いて、自分自身のシロシビン·セッションを通じての体験を少しばかり振り返ってみたい。ウィルバー は、グロスの次元を超えて、低次元のサトル、高次元のサトル、低次元のコーザル、高次元のコーザル、そして絶対者との一致の段階を説いた。これは段階モデルとしても活用できるし、意識の状態モデルとしても活用できるので、サイケデリクスの内的体験を紐解くための良き道案内となる。


低次元のサトルにおいては、ボディとマインドにおける意識の差異化が進みながら、差異化されたボディとマインドが一体となっているがゆえにケンタウロス段階とも呼ばれる。この段階とシロシビン体験を絡めると、しばしば幽体離脱的な体験をしたり、オーラに包まれているような体験をする。さらには、透視や霊視のような超能力的な現象もよく見受けられる。そこから高次元のサトルに移行すると、そこでは宗教的·形而上学的・実存的な直感や洞察、さらには霊感を得ることがしばしば起きる。この段階はまさに「オーバーマインド」と呼ばれていて、通常の意識状態におけるマインドでは捉えれないような高次元の情報を掴むことができる。しばしば神聖な白い光を知覚したり、美しい幻聴を聴いたりするという体験も伴う。


次に低次元のコーザルに移行すると、ここでは存在の基底に触れる体験や、全ての原型に共通の次元に触れる体験をすることがある。さらに高次元のコーザル段階に到れば、形のない無限に広がる意識や無境界な輝きに包まれる体験をすることがある。ヒンドゥー教の言葉で言えば、それはまさにニルヴァーナあるいは三昧の状態である。禅仏教で言えば、十牛図の8番目に当たる状態である。


最後に、高次元のコーザルを超えて絶対者との一致に至ると、そこではそれそのもの(suchness)を体験する。目撃者の意識はもはやこの状態においては消失し、瞬間瞬間に生起する世界そのものとなる。全てが生起するプロセスと一体となると言い換えることもできる。このような体験の全てをこれまでの17回に渡る体験でしてきた。もちろんアヤワスカやLSDなどの他のサイケデリクスの体験においても上記のモデルに当てはまる体験をこれまでしてきた。ここからは、毎回のシロシビン·セッションを上記のモデルに当てはめて振り返り、それぞれの状態でどのような洞察が具体的に得られたのかを記録していきたい。また、状態を意図的に深められる方法があるのかどうかを探求していくことも体験を通じて実験的に行っていく。フローニンゲン:2023/10/7(土)09:50


11052. 自由と解放のためのサイケデリクス


時刻は午後3時半を迎えた。先ほど近所のコピー屋に立ち寄って書籍を受け取り、その前にはデロイト時代の上司と1時間強話をしていた。コピー屋から帰ってきてからは、今日のゼミナールの第50回の振り返りの音声ファイルを作成していた。


サイケデリクスを扱い始めてからゼミナールのクラスが以前よりも増して活発になっているように感じるのは自分だけだろうか。自分が最も関心を寄せている分野をこのようにして受講生の方たちと学ぶことができていることに大きな至福さを感じる。


サイケデリクスは1960年代から始まった第一次サイケデリクスブームにおいては、自由と解放のシンボルとして見做されたが、諸々の政治的力によってサイケデリクスは長らく抑圧の対象となった。それでも水面下では学術研究が進んでいたし、一般人も法律の網の目を掻い潜ってそれを摂取し続けてきたという歴史がある。そのような歴史を思い返しながら、ある種のサイケデリクスは自我の囚われに私たちに気付かさせてくれ、その効果は確かに自由と解放を促すものだと思う。とりわけサイケデリクス体験でもたらされる深い自己洞察は、自我の何に囚われていて、その囚われがどこからやって来たのかを通常の意識状態では開示されない次元で教えてくれる。これもまた自分に対する学びの一環である。国家を運営する側からすれば、あるいは既存の利権集団からすれば、自由と解放を面白く思わないかもしれないが、サイケデリクス·ルネサンスという欧米の大学院がこぞって研究し始めた今回の第二次ブームにおいては、過去と同じ過ちをしないようにしたいものである。国家の運営側も既存の利権集団も、一般人が自由と解放を実現することと本来は共存できるはずなのだ。お互いに第一次ブームで犯した過ちをしないように注意したいし、両者の架け橋になれるような役割を果たしていきたいと思う。


午前中に、HDSのCSWRに属している研究者の中で、ラッセル·パウエル博士とチャールズ·スタング教授は特に注目に値する存在かと思った。幸いにもパウエル博士とは連絡が取れ、今度のボストン滞在中に直接会ってお話をさせていただくことになった。後者のスタング教授からも連絡を待っている段階だが、スタング教授はまさに昨日書き留めたサイケデリクスに関する読書会を主催している2人のリサーチ·アシスタントを指導する立場にあり、自分もCSWRでリサーチ·アシスタントになったら、スタング教授に指導教官になってもらおうと考えている。ここからの日々の探究を通じて、研究アイデアを少しずつブラッシュアップしていきたい。フローニンゲン:2023/10/7(土)15:43


11053. 終末精神医療におけるサイケデリクスの価値と役割/

テクノロジーとサイケデリクス


時刻は午後7時を迎えた。窓の外を見ると、もう辺りは随分暗くなっていて、真っ暗になるのももう少しかと思う。それを見て、日が暮れるのが早くなったなと感じる。確かにもう10月であり、10月の最初の週も終わりを迎えようとしているから当然と言えば当然なのかもしれない。


今日は、サイケデリクス研究を推し進めていくにあたってさらに4冊ほど書籍を追加購入した。サイケデリクスに関する生粋の学術書はその中の1冊で、あとはグルジェフの思想に関してよく纏まっている書籍と、サイケデリクスを終末期の人たちに活用する実践に向けて、終末精神医療の第一人者であるエリザベス·キューブラー=ロスの書籍を2冊ほど購入した。それらの書籍はボストン旅行前に受け取れることができそうなので何よりである。


もちろん終末期の人たちの死の恐怖を和らげたり、死の意味を変容させることを促す意味でのサイケデリクス·セッションには大きな意義と価値があるが、終末期を迎える前から自分の死と向き合うことを促す実践としてサイケデリクスを活用する道があることを書き留めておきたい。ティモシー·リアリー、リチャード·アルパート、ラルフ·メツナーの共著の"The Psychedelic Experience: A Manual Based on the Tibetan Book of the Dead”で紹介されているように、チベット死者の書を参考にした形で、サイケデリクス体験を死の準備のための実践として活用できるのだ。その実践を通じて私たちは死と生の意味を探求し、自身の死生観と人生観を深めていくことができる。そんな活用方法がサイケデリクスにはある。


これまで死の意味や死という現象について向き合ってこなかった人たちの実存的恐怖や不安を和らげることに関しては、一般的な薬ではあまり効き目がなく、やはり自己洞察をもたらしてくれるようなサイケデリクスがその助けをしてくれるように思う。既存の薬を否定するのではなく、またサイケデリクスを過度に肯定するのでもなく、両者の共存が重要であることは今日のゼミナールのクラスの中でも議論に挙がったことである。端的には既存の薬にもサイケデリクス にも固有の価値と効能があり、それを認めた上で適切な人に適切に届けていくことが必要なのだ。


その他には、プロメテウスの神話とサイケデリクスの関係性についても考えていた。プロメテウスはゼウスから火を盗み、人類に火を授けた。そして人間はその火を使ってカンナビスやDMTの煙を吸引したり、サイコアクティブなティーを作って飲んできた。テクノロジーの起源とサイケデリクスとの間にはどこか密接なつながりがあるように思えてくる。引き続き、サイケデリクスをサイコソマティックスピリチャルテクノジーという観点でも眺めてみて、テクノロジー哲学の観点からもサイケデリクスの意味や役割を紐解いていこうと思う。フローニンゲン:2023/10/7(土)19:14

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