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10834-10840: フローニンゲンからの便り 2023年9月5日(火)



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成人発達理論とインテグラル理論を楽しく学んでいただける「成人発達コラボラジオ」を2023年7月14日より始めました。

タイトル一覧

10834. 今朝方の夢

10835. 社会適応ではない自己実現/サイケデリクスの対象者と摂取目的

10836. サイケデリクスの活用よりも優先するべきこと

10837. 自分なりのサイケデリクスの定義/汎心主義と自らの嗜好性

10838. フローニンゲンの町の地下断層が持つ不思議な力/3時のおやつに格好のTHCチョコレート

10839. サイケデリクスについて学位が取得できるオタワ大学とエクセター大学

10840. サイケデリクス体験に対する鈴木大拙氏の指摘とそれに対する考え


10834. 今朝方の夢


時刻は午前8時を迎えようとしている。今、朝日が輝いていて、鳩の鳴き声が小鳥の鳴き声が遠くから聞こえてくる。今日は彼らは少し遠い場所にいるようだ。耳を澄まして聞こえてくる彼らの鳴き声は、心を浄化させてくれるには十分だ。


昨日からフローニンゲンは1週間だけ夏に戻る。今日は最高気温が29度まで上がるらしく、明日は31度の予報が出ている。30度を越す気温は、7月の中旬に数回ほどあっただけなので、およそ1ヶ月半ぶりの暑さだ。今年は冷夏であったらか、気候の方も人間の意図を汲んで、秋が始まる前に夏らしさをもう一度体感させてくれようとしているのかもしれない。擬人的にそのようなことを思わされる。いずれにせよ、今週1週間は夏らしさを十分に満喫したい。


今朝方は断片的な夢を見ていた。まず1つ覚えているのは、海外の街の郊外で発掘調査に従事していたものだ。何の遺跡がそこにあるのかは不明であったが、外国人の考古学者の教授や助手たちと一緒に発掘作業に従事するのはとても楽しかった。その楽しさの感覚が残っている。


それ以外には、サッカー元日本代表の選手たちの食事会を眺めている場面があった。そこで選手たちは楽しげに談笑しており、彼らの話を聞くだけでも楽しく、その場を眺めているのは楽しかった。そうした断片的な夢の場面を通過した後に、最後に見ていたのは、アメリカであろう国の大きな駅のプラットホームにいたことである。私はこれから、ボストンのローガン国際空港に行く必要があり、空港行きの列車に乗る必要があった。列車を待っていると、黒く大きな機関車が煙を出しながらプラットホームにやって来た。電光掲示板を見るとその列車に乗る必要があるとわかり、近くに置いていたスーツケースを持って立ち上がろうとした。すると果たしてあの列車に乗っていいものかという考えがよぎり、少し考え直そうと思った。ローガン国際空港に行く列車があのような古風な機関車であるはずはないと思ったのである。するとどうしたものか、プラットホームに止まっていたはずのその列車は姿を変えていて、モダンな列車になっていた。そちらは電気で動く現代的な列車で、あの列車であれば大丈夫そうだと思って列車に向かっていこうとしたところで夢から覚めた。フローニンゲン:2023/9/5(火)08:04


10835. 社会適応ではない自己実現/サイケデリクスの対象者と摂取目的


美しい朝日が地上の生命たちに活力を与えている。今朝は風がほとんどなく、無風状態の中で木々の葉が朝日を存分に浴びている様子はとても気持ちよさそうである。


先ほど、スタニスラフ·グロフの講演の音声を聴いていたのだが、自己実現とは、Meta-ValueやMeta-Motivationに裏付けられているものであるという指摘が印象的だった。グロフの言葉を言い換えるならば、マズローが述べるところの自己実現というのは、社会が認めるないしは求める基準の中で果たされるものではないのだ。例えば、どれだけカネを得るかや、どのような学校や会社に行くだどか、どのような地位に就くだとかはまったくもって関係ないのである。しかしながら現代人の多くは、社会に認められる存在になろうとする形で自己実現を果たそうとする。繰り返しになるが、それは自己実現でもなんでもなく、社会適応の一種に過ぎない。そのようなことを考えていた。


それ以外には、現在サイケデリクスの研究に熱を上げているわけだが、サイケデリクスを摂取することが必要な人、あるいはそれを摂取しても良いと判断されるような人がいることを考えると、サイケデリクスは万民向けではないように思える。これは別に特定の人に特権を与えるとかそういう話ではなく、例えば単純にサイケデリクスの体験を消化·咀嚼できないような子供であるとか、今のところの研究で明らかになっているように、すでに精神分裂症を患っている人にはある種のサイケデリクスの使用が病気を悪化させかねないので危険であったり、妊娠中の方もまたサイケデリクスの適用は勧められていない。このように、決してエリート主義でも排他主義でもなく、様々な研究結果を総動員して判断すると、サイケデリクスの摂取が望ましくない人がいるというのは確かであろう。


もちろんレクリエーション的な目的としてのサイケデリクスの活用はあっていいだろうし、むしろそれを無くすことなどもはや不可能な流れであることを鑑みて、レクリエーション目的での活用の際のガイドラインをしっかりと構築·提示することがここからさらに求められるだろう。自分としては、サイケデリクスはレクリエーション的な目的というよりも、研究目的であり、さらには霊的涵養の目的が大きい。前者に関しては、自らがサイケデリクスを摂取することによって、現象学的な内的体験を積み、その領域の研究を勧めていく際のアプローチの選定や立案につなげていくことができる。後者に関しては、これこそが本来のサイケデリクスの源流にあったもので、古代から用いられていたサイケデリクスはいずれも宗教目的のために活用されていたことを忘れてはならない。引き続き、サイケデリクスを活用していい人、活用が望まれる人、活用するべきではない人についての調査·考察を続けていき、サイケデリクス活用の目的についてもより明瞭なものを見出していきたい。フローニンゲン:2023/9/5(火)08:53

10836. サイケデリクスの活用よりも優先するべきこと


なんという心地良さだろうか。朝日の輝き。朝日を浴びて輝いている植物たち。そしてそれを取り巻く形で小鳥や鳩が心地良い鳴き声を上げているこの世界。どうやら私たちは途轍もなく美しい世界の中を生きているようだ。生命の美しさと多様な生命の調和の世界の中に自己が佇んでいて、自己もまた固有の生命を持ってその調和世界に参画しているのだ。


明日の成人発達コラボラジオではLSDをメインに取り上げる予定なので、明日の午前中だけではなく、今日から明日に向けた予習として、集中的にLSDに関する書籍を読み進めていこうと思う。LSDに関する学術書はかなり数が多く、まだ読めていないものもあり、まずはそれらから優先的に目を通していこうと思う。手持ちのLSD関係の書籍を全て読み終えたら、LSDの生みの親であるアルバート·ホフマンの名著“My Problem Child”を読み返そう。こちらはオックスフォード大学出版から復刊されており、注釈を含めてさすがオックスフォード大学出版の刊行物だと思わせる作りになっている。当面は、毎週末のゼミの場とコラボラジオの場を活用させてもらう形で、日々のサイケデリクス研究を通じて得られたことを話し言葉として共有していこうと思う。


先ほどふと、サイケデリクスを活用するよりも先にやらなければならないのは、運動·食事·睡眠の改善であることを多くの人は認識していない可能性があると考えていた。また今後サイケデリクスがより民間人に活用しやすくなった時に、サイケデリクスを万能薬だとみなすような倒錯した物の見方や誤解が蔓延しそうであり、そうした事態に対しても事前に策を考えておこうと思う。サイケデリクスを仮に霊的発達の涵養のために活用するとしても、兎にも角にもボディの涵養が優先されるべきで、運動·食事·睡眠の三位一体をまずは見直すことから始めて欲しいと思う。


運動に関して言えば、運動をしていないというのは、死の道を喜んで歩いているようなものだという考えが自分の中にはあり、その考えを担保しているのは、運動と健康、運動と病気、運動と長寿に関する研究の数々である。現代人にとって運動はまず必須·不可欠の実践であって、生きていく上で必須·不可欠の水のようなものなので、水のように摂取するのが当たり前な運動を実践に取り入れていないというのは論外なのではないかと思う。サイケデリクスを摂取する前に、やるべきことは運動·食事·睡眠の三位一体を整えることであり、そうすればボディが整い、そこからマインドを涵養するべくサイケデリクスに関する知識を得ていくというプロセスを経ていくことが望ましいのではないかと今のところは考えている。フローニンゲン:2023/9/5(火)09:11


10837. 自分なりのサイケデリクスの定義/汎心主義と自らの嗜好性


午前中のサイケデリクス研究を進めながら、改めてサイケデリクスの自分なりの定義について考えていた。サイケデリクスの定義に関しては学者や研究者によってまちまちであり、明確な1つの定義は存在しない。自分なりの今のとこの定義付けとしては、サイケデリクスという言葉の語源に立ち還り、 “mind-manifesting”の要素があるかどうかでサイケデリクスかどうかを分類したいと思う。日本語においては、「向精神性」という言葉があるが、 向精神性という言葉でサイケデリクスを捉えてしまうと、サイケデリクスに含まれる種類が増してしまい、その中には中毒性があるものや心身へ危険な影響を与えるものも含まれてしまう。なので、“mind-manifesting”の作用があるかどうかという語源に立ち返ってサイケデリクスの定義を考えてみたい。 “mind-manifesting”というのは、わかりやすいもので言えば内的なビジョンを立ち現わせる作用があるかどうかという観点で語れるかと思う。もう少し踏み込んでいけば、個人の無意識、集合の無意識、そして個人も集合も超えたトランスパーソナルな無意識(“cosmic unconsciousness”とも表現される)にまで体験を深めていける作用を持っているかどうかを基準に考えることができるように思う。この定義で言えば、サイケデリクス研究者が研究している物質で言えば、LSD、シロシビン、メスカリン、DMTという4種類をサイケデリクスとして定義づけることができ、MDMAやケタミンなどはその作用から考えると、自分の定義からすればサイケデリクスには該当しない。もちろん研究者の中にはMDMAとケタミンをサイケデリクスに入れている人たちもいるので、自分の中でそれは準サイケデリクスとでも定義しておこう。カンナビスについてはその種類によって成分が随分と異なり、“mind-manifesting”の力を持つ種類もあれば、MDMA的な共感能力拡張の(empathogens or entactogens)働きを持つ種類もある。


このような定義をしながらふと、自分の嗜好性についても振り返っていた。個人的には、LSDよりもシロシビン 、MDMAよりもカンナビス、といったように人工系よりも自然系を好む自分がいることに気づく。サイケデリクスだけではなく、薬全般に関して、人工系が危険で、自然系が安全だなどという区分は当てはまらず、むしろ人工系の中にも安全なものはあるし、自然系の中でも危険なものはあることに注意が必要である。自分の中にはパンサイキズム(汎心主義)の発想があるので、LSDやMDMAのような人工的に作られた存在にも心のような現象を認めることができるだろうが、やはり人工的なものよりも自然的なシロシビンやカンナビスの方が心の交流がより行える感覚がある。自分の心をしっかり整えてそれらを摂取すれば、体験も安心したものになり、開示されるものもより豊かになるというのがこれまでの自分の体験である。しかし例外は、人工系のDMTの煙幕摂取と自然系のアヤワスカの経口摂取を比較すると、アヤワスカは浄化に伴う嘔吐が頻繁に体験されるので、DMTの方を好むかもしれない。そんな嗜好性が自分の中にあることを確認した次第だ。フローニンゲン:2023/9/5(火)10:43


10838. フローニンゲンの町の地下断層が持つ不思議な力/

3時のおやつに格好のTHCチョコレート


時刻は午後3時半を迎えた。天気予報のように、今日は29度の気温に達し、今まさにその気温の中にいる。真夏を感じさせるかのような雰囲気があり、とても心地良い。先ほど親友かつかかりつけの美容師のメルヴィンの店から帰ってきたのだが、あまりの天気の良さに道中は感動していた。道ゆく人たちもノーダープラントソン公園で寛ぐ人たちも一様に幸せそうに見えた。今日は中央市場が開催されている日でもあったので、市場の活気はいつも以上で、そこでもポジティブなエネルギーをもらえた。ポジティブなエネルギーで言うと、今日のメルヴィンとの話の中で、大変印象に残っていることがある。それは何かというと、フローニンゲンの町の地下断層には特殊な鉱石が無数に存在しているという話である。


ある日メルヴィンが店の前でギターを演奏していたところ、店の前を通りかかった少し精神に異変のある中年女性がメルヴィンの店の前で、「この店は特殊なエネルギーを持ってるわね。それもそうようね、フローニンゲンの町の下には高エネルギーの鉱石が集まっているんですもの」とメルヴィンとは一切目線を合わせることなく述べて去っていた女性がいたそうだ。メルヴィンはその話にビビッと来たらしく、インターネットで調べてみたところ本当にそのような断層が町の下にあるそうだった。私は今日までその事実について知らなかった。


そもそもこの話が話題に挙がったのは、メルヴィンと場と運命の話をしていたからであった。自分はこれまで様々な町に引っ越して生活をしてきたのだが、メルヴィンはほとんど町も国も変えていない。そこでふと、フローニンゲンで長く生活をしている特別な理由が何かあるのかを尋ねてみたのである。その答えの中で上記の話をメルヴィンがしてくれた。自分もフローニンゲンでの生活がもう8年目を迎えていて、メルヴィンと自分の意見が一致するのは、この町には何か特殊なエネルギーないしは高次元の周波数が存在していて、それらが私たちをこの町に留めているのかもしれないというものである。この感じは確かにしている。


そこからの話は全てサイケデリクスに関するものだった。メルヴィンは学者ではないが、豊富なサイケデリクス体験を有していることから、立派な「サイコノート(psychonaut):サイコアクティブな物質を活用して意識の可能性を探求する人の総称」である。そんなメルヴィンから話を伺う中で、特にカンナビスに関する分類と効果の話が自分にとっては新たな知識をもたらすものだった。メルヴィンがスマホで分類図を紹介してくれ、それをメッセンジャー経由で共有してもらった。その分類については今後様々な場面で紹介していくことになるだろう。そしてもう1つの大きな発見は、前々から気になっていたフローニンゲン大学の哲学科の建物のある前のカンナビス店についての話だった。そこには向精神性のTHCが含まれたカンナビスを購入することができ、その中でもTHC入りのグミ、チョコレート、マフィンが販売されているらしかった。その話はとても興味深く、帰りに初めてその店に入ってみた。すると、とても雰囲気が良く、店員の女性がとにかく良心的で、店が提供しているものについて色々と話を伺った。店員の女性が手始めにお勧めしてくれた可愛らしいTHC入りのチョコレートを2つ購入した。1つはTHCが20mg入っているもので、もう1つはその2倍の40mg入っているものだ。Netflixで公開されている“Cooked with Cannabis(2020)”というカンナビスを扱った料理番組で用いられているTHCの量が合計で8mgなので、それぞれ2.5倍、5倍のTHC含有量だ。早速週末にでも日を分けて1つ1つ味わってみたい。それは寛ぎたい日の格好の3時のおやつになるだろう。フローニンゲン:2023/9/5(火)16:01


10839. サイケデリクスについて学位が取得できるオタワ大学とエクセター大学


時刻は午後4時半を迎えた。輝く夕方の空を眺めながら、少し振り返りをしている。


サイケデリクスについて体系的に学べる世界の大学院を調べている中で、カナダのオタワ大学を見つけた。ここのプログラムはサイケデリクスについて科学的·哲学的·宗教学的に探究を深めることができる素晴らしい機会を提供している。いくつか疑問点があったので早速アドミッションに連絡をしたところ、すぐさま返信があった。どうやら修士号を取得できるプログラムは現在準備中で、来年にローンチ予定とのことだが、今この瞬間には副専攻的に小さなプログラムが2つあり、それについては入学ができるとのことだった。1つは全てオンラインの「サイケデリクスと霊性研究」というもので、これはわずか3つのコースの合計9単位から構成される。もう1つは、リアルなクラスで提供される「サイケデリック科学」と呼ばれるもので、9つのコースから構成されている。いずれもまだ始まったばかりのプログラムのようで、受け入れ人数は少ないとのことだ。いずれのプログラムに入学しても、来年にローンチされる予定の「サイケデリクスと意識研究」という修士課程に単位を持ち越すことができるらしい。


この話を受けて、今年はハーバード大学神学大学院(HDS)と公共政策大学院(HKS)に出願し、その結果を受けてオタワ大学のいずれかのサイケデリックプログラムに出願したいと思う。もちろんオンラインのプログラムであれば、HDSにいようがHKSにいようが受講が可能なので、余力があれば積極的に受講したい。また、HDSやHKSで学位を修めた後にさらに体系的にサイケデリクスについて学びを深めるためにオタワ大学に入学することも検討している。オタワ大学で修士課程を終えた後に、この大学で博士課程に進学することも十分に可能性としてある。サイケデリクスについては、カナダのオタワ大学が提供する修士課程か、これまた近日中にローンチされる予定のイギリスのエクセター大学のサイケデリクス哲学の修士課程は魅力的である。フローニンゲン:2023/9/5(火)16:51


10840. サイケデリクス体験に対する鈴木大拙氏の指摘とそれに対する考え


時刻は午後7時を迎えた。夕日がまだ燦然と輝いていて、辺りはとても明るい。この時間帯になって少し涼しくなってきた。確かに今日は29度ほどの気温に達し、真夏日であったが、この時間帯になって涼しくなってきた様子を見ていると、やはりもう秋なのだとわかる。明日からも引き続き気温が上がるが、朝夕は涼しく、その時間帯においては秋を感じられるだろう。


先ほど考えていたことを書き留めておきたい。サイケデリクス体験は、鈴木大拙氏が指摘するような魔境体験とは片付けられないほどの意味や深みがある。実際に、サイケデリクスは仏教の根源にも存在しているのであるし、他の主要な宗教において意識変容を促す道具として使われていた歴史があることを考えると、それは蔑ろにできるような体験ではない。確かにその体験は一時的なものであり、段階特性ではなく状態特性を持つものであるから、その体験に囚われることは本末転倒であるが、その体験が開示する意味を考察することや、その体験そのものを味わうことは、鈴木大拙氏が述べるところの悟りの道を歩む上で大きな役割を果たすものだと思われる。サイケデリクスが引き起こすのは一時的な変性意識状態ではあるが、それは目撃者の意識状態や、体験が深い場合には非二元の意識状態にも誘う力を持っている。それはある種の悟りの意識状態であり、その体験を絶対視するのではなく、その体験に囚われないようにして、むしろその体験をさらなる意識の涵養に向けた跳躍台として活用するべきだと思う。その高次元の治癒と変容の働きゆえにサイケデリクスのいくつかが「聖なる薬」と呼ばれている事実を無視することはできない。


鈴木大拙氏はサイケデリクスを摂取する機会がなかったとのことだったが、晩年には機会があれば試してみようと思っていたということを文献の中で見かけ、きっとその機会があれば、サイケデリクスが開示する体験の意味についてより洞察のある意見を提示していたのではないかと思われる。ティモシー·リアリーとリチャード·アルパート、そして彼らの実験を引き継ぐ形で今も継続して行われているジョン·ホプキンス大学のサイケデリクスの霊的体験の研究が示しているように、サイケデリクスがもたらす体験は宗教体験と同種のものであり、両者を完全に区別することはできないのである。サイケデリクスを通じた霊性涵養の道についてはこれからもっと議論がなされるべきだろうし、実際のこの研究は進んでいくだろう。少なくとも自分がこのトピックについて研究をしていこうと思っているので、今よりもサイケデリクスの霊的発達効果と新たなスピリチュアリティの姿がより明確になるだろう。フローニンゲン:2023/9/5(火)19:27

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