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10582-10584: フローニンゲンからの便り 2023年7月9日(土)



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タイトル一覧

10582. 瞑想と即興演奏作曲を組み合わせて/今朝方の夢

10583. 今朝方の夢の続き

10584. 存在と永遠が触れ合う瞬間としての刹那


10582. 瞑想と即興演奏作曲を組み合わせて/今朝方の夢


朝日が穏やかな光を地上に届けている。そして小鳥たちもまた小さな鳴き声を通じて世界に力を与えている。今日の朝日はいつもより穏やかなものに感じる。空はスカイブルーに晴れ渡っているが、太陽の方向にはうっすらとした雲がカーテンレースのようにかかっている。そのため、朝日が優しく感じるのだ。


起床したときに、昨日の暑さで2階の書斎の気温が上がっていて、27度から下がっていないようだったので、部屋の両側の窓を開けて気温を下げることにした。今の外気は19度とのことなので、窓をしばらく開けていれば部屋の熱気が取れて、気温も下がっていくだろう。今日は昨日ほどではないが、日中は30度を超える。そして午後からは雷を伴う雨が降るようで、そこから気温が一気に下がっていく。気温が下がるのは嬉しいことだが、雷はあまり嬉しくない。先日アムステルダムにGREを受験しに行った時にはものすごい雷と雨に見舞われ、その時の記憶がまだ生々しい。今日は午後からジークンドーのプライベートレッスンがあるが、レッスンが終わる頃ぐらいからちょうど雷が落ち始めるようなので、できれば雷が落ちる前に自宅に戻ってきたいところだ。


日記を書く前に、今朝方もまたカリンバの即興演奏作曲をしていた。ここ最近は、目を瞑って、瞑想をしながらカリンバの即興演奏作曲していくことに新たな意味と楽しさを見出していて、先ほど3曲ほど目を瞑り、瞑想をしながら曲を生み出していった。創作活動と瞑想を組み合わせてしまおうという思いからこの試みを始めたのだが、今のところこれはとてもうまくいっていて、自分なりの意義を感じる。視覚に頼らず、音だけを頼りにし、音の響きを深く味わいながら音を生み出していけるのは利点の1つである。ここからは好きな教会旋法にしばらく特化して、その響きを味わいながら即興演奏作曲を楽しんでいこうと思う。


今朝方は夢の最後に、小中学校時代に住んでいた社宅が舞台になる夢を見ていた。今から学校に行くために、歯を磨いておこうと思って歯磨きをしたところ、自分の口の中がものすごく広い部屋のように知覚され、部屋のどの箇所を綺麗にしていくかという感覚で歯磨きをしていた。奥歯はどういうわけかガラス瓶ぐらいの大きさに感じられ、ガラス瓶に歯ブラシを入れて、その壁面の汚れを取っていくような形で奥歯を磨いていた。すると、下の歯の裏側の下の部分に一様に同じような汚れがあることに気づいた。最初それはコーヒーのシミかと思ったが、よくよく見ると、黒い龍の紋章で、いつの間にかそのような紋章が自分の歯に刻まれていたことを知った。そこからも引き続き歯磨きをして、歯磨きがひと段落したので自宅を出発しようと思った。その時に、2階の窓から学校の校庭が見えて、校庭で部活をしている友人たちの姿が見えたので、すぐに学校に向かって彼らと一緒に朝練をして汗を流したいと思った。フローニンゲン:2023/7/9(日)06:47


10583. 今朝方の夢の続き


窓を開けていると、ハエが部屋に入ってきたようだが、部屋を吹き抜ける風のおかげでまた外に出たように思える。こうやって訪問者がやってきては去っていく中で過ごすのも悪くない。窓を開けていると、どうしても虫が入ってきてしまうのは仕方のないことである。冬になると虫たちの活動は不活発になり、彼らが訪問してくることはほとんどなくなってしまうので、これも夏の間だけの楽しみだと思って過ごそう。


先ほど今朝方の夢の断片について振り返っていたが、夢にはまだ続きがある。覚えている夢を全て書き留めておこう。


夢の中で私は、中学校時代のバスケ部のメンバーと一緒に県大会の重要な試合に臨んだ。相手は昨年県3位の強豪校で、今年も強かった。私たちのチームの主力メンバーの大半が怪我をしていて、主力で先発できたのは私だけだった。そんな状態だったので、試合は厳しいものになると思っていた。ところが蓋を開けてみると、かなりの善戦で、試合終了間際までどちらが勝つかわからない状況だった。結局最終的には7点差で負けてしまうが、強豪校相手に非常に良い試合ができたことを嬉しく思った。試合後、コートを後にしようとしたところ、突然足に異変を感じた。シューズと靴下を脱いでみると、右足の足の裏が激しく出血していた。親指の皮もめくれていて、足に負担のかかる相当激しい動きをしていたのだと試合後に気付かされた。メンバーたちも怪我の様子を見て驚いていて、心配してくれていた。とりあえず応急処置をして、右足だけそのような状態だったが、シューズの問題もあるかと思って、サイズを改めて考慮し直し、耐久性のより強いシューズを新しく購入しようと思った。そのような場面があった。


それ以外に覚えているのは、高校時代のクラスメートの友人が、何かの犯罪組織に所属していて、諜報機関に追われている場面があったことである。彼は諜報機関の尋問対象になっていて、戦闘兵器を搭載したドローンが彼を追いかけてきた。最終的に、彼は町の空き地に追い詰められ、ドローンによる高圧電流兵器によって感電死させられた。激しい電流がドローンから放出され、彼が感電死て真っ白くなっていく様子は目も当てられないほどだった。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/7/9(日)07:08


10584. 存在と永遠が触れ合う瞬間としての刹那


時刻は午後4時半を迎えた。結局今日は、気温が33度ほどになり、道場の気温はそれ以上に高くなるとのことだったのでロビンさんと話して、ジークンドーのプライベートレッスンはまた別の日にすることにした。今日は雷が伴う雨が降るということもあって、結局まだ雨は降り始めていないが、安全を期してレッスンを延ばすことにした。先ほどまで33度の気温だったが、少し気温が下がってきて、風も冷たさを持っている。しかし、どこか湿気を含んだ感じもするので、これから雲が出てきて雷を伴う雨が降るというのもおかしなことではないと思う。気温が下がってくれることはありがたいので、早く雨がやってきて欲しいところである。


存在と永遠が触れ合う瞬間、それが刹那なのである。そのようなことをガストン·バチェラードの書籍を読みながら考えていた。刹那は存在と永遠が出会う場所なのであり、そうした邂逅をもたらすトポスなのだ。そして、刹那という瞬間性が生まれる可能性として空(くう)が存在している。あるのでもなく、ないのでもない空は、1つの瞬間性と次の瞬間性の間(あわい)として存在するからそのような形で捉えられるのかもしれない。持続性の観点で見れば空は、瞬間性の破れとして存在していて、持続性から人間を解放してくれるものとして存在している。空を体得するというのは、瞬間性の破れを感じることから出発し、存在と永遠が出会う場所を感じるところから出発するべきだろう。


そのようなことを考えながら、内側を流れる固有のカイロス時間として生きることは、恵みに満ちた機会として生きることに他ならないということについても考えていた。カイロスはチャンスなのであり、チャンスに有り難さを感じながら、それを掴みながらにしてチャンスとして生きていくことが運命を切り開いていく。


時にまつわる思索と体験を豊かに積んでいくこと、それが悟りへの道である。そのような道を自らの時を通じて歩み続けていこうと思う。フローニンゲン:2023/7/9(日)16:38

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